第6話 青年と人形ちゃんの遺産巡礼
人形は整った小顔に唇一文字の無表情をしていた。人形だから無表情…というわけではない。前回の紅茶事件をすねているだけだった。
「一週間ぶりですね。話は伺っていると思います。とりあえず移動しましょう」
「…………」
「人形さん、世界遺産を見に行きたいと言ったのはあなたですよね。そう黙られちゃどうしようもないんですけどね」
「…………」
人形とのにらめっこが続く。話は進まず、3歩ほど人形から距離を取った。青年は直感した。紅茶事件で失った信用を取り戻すにはー青年自身、あの事件で自分にできることはしたと思っており、実際誰のせいで紅茶がなかった、という話でもないー謝罪しかないと思った。
とはいえ青年に罪はない。罪状がなければ謝罪のしようがない。青年は人形ともっと話したいと思っていた。もっと一緒にいたいと思った。春も夏も秋も冬も、たくさんの景色を見て、こころゆさぶられる音楽を聴きながら車にゆられ、風が気持ちよくあたるベンチに座って話したかった。青年は人形との出会いに感謝したかった。
「僕は君のことが知りたい。どんな時に笑うのか、どんなものが好きか知りたい」
「……………」
「あなたがどんな存在かわからないが、魂があることは分かる」
人形はただ青年の瞳を見つめていた。青年は人形の瞳の中に光をみた。田舎娘のようにまっすぐであり、貴婦人の強い意志を秘めた光であった。世界の広さを知らないために生まれた「生きる力」と、世界を知ったうえで生まれる「生きる力」とが混在するような不思議な光をたたえていた。青年は光に吸い込まれるように体が自然と動いた。右足を前に出す動きと連動して腰が落ち、左足のひざは地面についた。右足をさらに膝から地面につけ、両ひざがそろった位置で腰を完全に落とした。正座をしていた。
「あなたと一緒に世界のすばらしさを見たい。遺産巡りのとも、お願いいたします」
青年は武道を沿ったことがある。その時に学んだ体配とは違う部分もあるが磨かれた精神は以前よりも洗練されていた。雨風がもろい山肌を削り、真に固い部分のみが残った一針の山。天をも
青年は手を前に出しおにぎりの形を作るようにして指を整えた。その上に頭を下げた。人形はゆっくりと椅子から立ち上がり青年から少し距離を取った。人形もまた正座をした。
「お引き受けいたします。こちらこそ。よろしくお願いいたします」
人形は青年と同じように頭を下げた。滑らかに体を動かし銀色の髪と無地の黒いベールが垂れた。茶色いじゅうたんの上にいる二人の様子は鹿の頭のようであった。すでに互いを均整に尊重している二人の関係は
先に青年が顔を上げ、あとからゆったりと人形も顔を上げた。二人は部屋であいさつを交わしたときと同じく視線を交わした。少しの間、緊張感が部屋を走った。その矢先、人形は目を細めはにかみ笑顔を見せた。少しばかりの緊張を人形がなごませた。
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