インターミッション・孤独な竜 後編

 「どうでしょうか?ぼくが見るに、あなたも大分人恋しそうに見えます。帝国としても、象徴として紅き竜が国土にいることを誇示出来るならば、歓迎されないということは無いと思うのですが……」


 わたしの願望と帝国の打算をごっちゃにしたよーなことを、ムグスカは言う。いや、何を知ったようなことを言うのか、とムカつかないでもない。

 そもそもわたしが出奔したのは、もう人間と関わり合いになりたくなかったからだ。

 親しかった人がどんどん死んでいなくなる世の中なんかに、身を置いていたくなくなったからだ。

 そんなわたしが、人恋しい?冗談言っちゃいけねえよ、坊ちゃん。


 『……あんたの都合でわたしが身を置く場所を変えるわけにはいかないわね。わたしは好きで一人でいるの。何を見てそう思ったのかは知らないけれど、人間の中で暮らすのなんて真っ平ご免。もうそういうのはいいのよ。あと帝国の事情なんか知ったことか、って話よ。つまんない話これ以上続けるつもりならここから追い出すわよ?』

 「それは困ります!……けど、本当に人間が嫌なのでしたら、ぼくのことを招き入れたりはしないでしょう?威嚇するなりして追い返せば済む話じゃないですか。それに、何年か前は帝国各地であなたに言伝を頼まれた、という人も少なくなかったと聞きます。人の間に身を置くとまでは行かずとも、人間と繋がりを完全に断ちたいとまでは思っていないんじゃないですか?」

 『別に人間が嫌いとまでは言っちゃいないわ。たまに会いに来るくらいの人間なら、気分によっては歓迎しないでもない。でも、こんなデッカいトカゲが常に側にいたんじゃあ、人間だって落ち着けないでしょーが。そのうち鬱陶しがられるのがオチってもんよ。帝都にいたころのような、愛らしいペットのドラゴンちゃん、なんかじゃねーんだから、わたしも』

 「それなら、かつての姿を取り戻せば帝国の人間にも歓迎されるのでは?」


 わたしが言いたいのはそーいうことじゃない、と思うのだけど、かつての姿、って言葉に在りし日のお嬢さまやネアスのことを思い出させられ、わたしは黙り込んでしまった。いやマテマテ、そんなことが可能なわけないってのに、何考えてんだわたし。


 「あなたは暗素界由来の竜種です。現界での姿形は暗素界のあなたに縛られていますけれど、人間に比べれば暗素界との繋がりの形を変えることは容易でしょう?有り様を変えれば纏う姿も変わる。理屈としては間違ってないと思いますが」

 『……そーいやさっきあんたの言ってた揺動効果もそんな話だったわね。根拠無し、ってわけでもないのか』

 「覚えていてくださって嬉しいですよ、コルセアさん」


 研究を認められたみたいに思うのか、ムグスカは子供っぽい笑顔を焚き火の火に照らしていた。そんなところもバスカール先生が若かった頃を思い出させる。

 でも、やっぱり面白くない。わたしの居る場所を他人に決められるのも、わたしの本音を勝手に推察されるのも、だ。わたしの不満や不幸、不興も不遇も、それは全部わたしのものだ。誰かに慰めてもらう必要なんか無いし、そうして欲しいとも思わない。

 だから、わたしのことなんか何も知りやしない若僧に同情されるのなんてご免だ。わたしは紅竜。人と意思を交わすことも出来なかった幼い頃ならいざ知らず、こうして孤独を託つのに文句なんか無い。無いハズだ。


 『…………ま、話としては面白いわ。追い出すまでもないから、今晩はここで過ごせばいい。でも、朝になったらとっとと出て行って。わたしもここを離れる。次に来た時はもういないから。いい?』

 「……分かりました」


 分かりました、と言った割には割り切れないものを呑み込んだような顔になり、ムグスカは持参した荷物の中から毛布を取り出して横になった。これこれ見よがしにこっちに背を向けているところを見ると、彼は彼なりに納得出来ないものでもあるんだろう。理解するつもりも無いけれど。


 『おやすみ』


 返事も期待せずにわたしもそう告げると、焚き火とムグスカから顔を逸らすようにして伏せの姿勢になった。やっぱり返事は無かった。



   ・・・・・



 翌朝も好天に恵まれ、まだ真新しい雪面に差し込む陽の光が洞窟の中にまで入り込んでいた。

 それが眩しくて目が覚めたわたしは、大あくびを一つして、昨日の客人に声をかける。


 『………ん、朝かあ…。ムグスカ、晴れてんだから帰りの心配はないでしょ。早く起きたら?……って、いないし』


 とっくの昔に冷たくなった焚き火の跡の側には、人のいた痕跡だけが残されていた。荷物も無い。また昨晩のわたしのふて腐れた態度が面白くなくって黙って出て行ったんだろうか。

 頭だけ傾けて視線を向けた先の、その光景に鼻白む。別に出て行くなら勝手に行けばいーだろ、とは思うけれど、一言も無しにそうされるとそれはそれで面白くはない。我ながら勝手なことだなあ、と苦笑しつつも、もう一寝入りしようか、と思った時だった。


 「あ、おはようございます。朝食いかがですか?」

 『え?……あれ、あんた帰ったんじゃなかったの?』


 洞窟の外からかけられた声に振り返ると、そこには手製のものと思しき弓と、今捕まえたばかりのようなウサギみたいな小動物を二匹、それぞれの手にぶら下げたムグスカがいた。


 「まさか一晩過ごすことになると思わなかったので、食べ物も用意してなかったんです。狩りの真似事をしてみたんですが、まあ上手いこといったので。どうです?」


 仕留めた獲物を掲げて、そう言った。まあわたしの空腹を満たすにゃ量が足りないだろうけど、客の折角の心づくしだ。ありがたくご相伴に与ることにした。




 『あんた、いつもは机に向かって狩りなんかしそうになさそうに見えるけどね。あ、ごちそうさま。美味しかったわよ』


 皮をむいて捌くところまで自分でやり、持参していた調味料で軽く味をつけられたウサギは、当然わたしの一口でペロリといかれたわけだれど、不思議と滋味に溢れていたように思えた。要するに、美味かった。


 「ぼくはこれでも猟師の息子ですからね。子供の頃からこれくらいはやってました。お陰で一人で野山を歩くのも苦になりません」

 『たくましいことねー…』


 バスカール先生はそういう野性味ある行動とは縁が無かったから、そこは全然似てないところだな。

 そんな風にぼんやり考えながら、食事の後片付けをするムグスカをぼけーっと眺めてた。

 調味料なんかを持ち歩いているところを見ると、本当に山歩きは慣れているんだろう。その場で獲物を捕らえて食事にしてしまうとか、ただの学者せんせーじゃないのかもしれない。

 ふと、昨夜の会話にあった、わたしが姿を変えられる云々の話を思い出す。自分の今の姿は暗素界にある我が身の分身、というかわたしの場合暗素界の方が本家なんだが、あんにゃろうとは実のところ個体としては同じもの、って考えはわたしには無い。だってこっちの言うこと聞いてくんねーし。わたしだってあっちの都合なんか知ったこっちゃねーんだし。

 ……暗素界と現界、かあ。気界を間に挟み、対立するでも無く併存するでも無く、なんかそう「在る」のが当たり前のこの世界で、やっぱりわたしはわたしでいられているのだろうか。

 日本人、茅梛千那だった時の記憶は、もう大分薄れてる。意識としては完全に、暗素界に由来する紅竜、に成り果てている。

 そんなわたしが自分でいることの理由は……実のところ、もう大分昔に捨て去ってしまっていた。

 だったら、在り方を自分の都合で変えることだって、不遜てわけじゃないのか……なんて、身勝手なことを思ううちに、ムグスカは帰り支度を終えたようだった。


 「よし、と。さて、ぼくは帰ります。コルセアさん、もしまたお会い出来ることがあるとしたら、今度は土産の一つでもお持ちしますよ」

 『そいつぁ豪毅ね。わたしはシクロ肉をお腹いっぱい食べてみたいわ』

 「………あの、貧乏学者に何をさせようってんですか」


 期待しないで待ってるわ、と微笑むと、ムグスカには睨んだように見えたのか肩をすくめて震えていた。なんなら代わりにお前を食ってやろーか?なんてどっかの紐パン女に言ったようなことを思ったせいかもしれない。


 『ま、気をつけて帰りなさいな。冬山は天気が変わりやすいからね』

 「ありがとうございます」


 荷物を担ぎ、ムグスカはそれ以上何も言わずに洞窟の外に出た。

 結局この青年は何をしに来たんだろう。

 わたしの胸をちょっとざわつかせただけで、そっちの方には何か得るものがあったんだろうか。

 ……いや、いいか。わたしには関係の無い話だし。

 そして、場所を移すにしてももう一寝入りしからにしよう、と伏せの体勢に戻ったわたしに、去り際の訪問者がこう言ってきた。


 「……コルセアさん。あなたは自分で思ってるよりもずっと自由なんじゃないかな、と思いますよ。ぼくは」


 ……知った風なことを言う。わたしは多分、望んで縛られているんだ。お嬢さまとネアスと、帝都で知り合った人たちの思い出だけを胸に、このままただ長い時を生きて、そしていずれ暗素界に還る。それだけのことよ。


 「だから、ぼくと一緒に帝都に帰りませんか?……なんてことは言いませんけれど、人間にも自分にも、いずれ絶望しないで済む時が来ると思うんです」

 『………あんたがわたしより後に死んでくれるってんなら、そういう寝言も真実味を覚えるんだけどね』

 「それは……まあ、無理でしょうね」


 だろーね。

 見知った人たちは、ことごとくわたしより先にいなくなる。それを思い知って得た絶望は、わたしの楽観を常に腐らせる。だからわたしは一人でいい。




 それは、犯した罪の大きさをまだ知らなかった時期のわたしの、とんだ独りよがりだったんだ。

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