第65話・紅竜の家出(時には夫婦間の問題も解決しちゃいます)

 『……あ、わたくしとある伯爵家でお世話になってるコルセアってケチなトカゲです。なんかもーえらいすんません……』


 わたしはその人物に対面すると同時に、サラリーマン時代にクレームの多いクライアントへ営業に行った時のよーな心境になって、腰が三十八度ぴったりに傾いてペコペコしていた。体感でウン百年経ってるっちゅーのに、この身に染みついている風習というか反応にとてもガッデム!

 いやだってさ、双子の娘の家出に心痛める優しい父親って話だったから、普通もっとこお、優しげで眼鏡かなんかかけて、「ああ、ああっ……心配していたんだよっ!」……って、二人の娘に取り縋って泣くような父親を想像するじゃない?

 それが何よ。開いた扉の向こうで腕組みしてこっちを見下ろしてる厳ついおっさんは。誰がどー見てもプロレスラーでしょ。悪役寄りの。

 胸板とか上腕とか、シャツがピッチピチになってて「てめえらの血は何色だァッ!!」とか叫んだら張り裂けてしまいそーなんだけど。


 「……お父さん、ごめんなさいっ!」

 「……お父さん、しんぱいしてたよねっ?もうしないからっ!」


 身を固くして俯いた顔に脂汗をダラダラ垂れ流してたわたしをよそに、連れてきた双子は御尊父の、わたしの胴回りよりぶっとい太ももにしがみついて一生懸命謝っているようだ。

 目線だけ上に向けてその様子を見てみたら、御尊父のやっぱりパツパツなズボンを掴んでごめんなさい、ごめんなさい、を繰り返してる。

 そしてそんな健気な子らを見下ろす厳ついおっさんの顔は。


 「しぃんぱいしたんだからねぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ?!」


 しゃがみ込んで双子の頭の後ろをかいぐりかいぐりしていたのだった。

 ちなみに厳つい顔は湯煎したチョコレートよりも溶けていた。なんなの。


 「おとーさん、おとーさんっ!」

 「おとうさぁん……ごめんなさい、ごめんなさぁい…」


 双子は今度は足から厳ついおっさん改め蕩けたおっさんの首にしがみつき、両サイドから首を絞められたおっさんは苦悶の表情になる…のではなく、蕩けた顔を一層ふにゃふにゃにしてあまつさえボロボロと涙まで零してる。

 いー話ダナー……とでも言ってその場を後に出来ればまあわたしとしては問題無かったんだろーけど、そんな親子再会の場面に注がれる、一対の冷ややかな視線……。


 「………」


 多分、信じたくはなかったけれど、「おさなづまっ!」……って看板背負ってそーな金髪の若い娘がその持ち主だったりする。まさかとは思うけど、ウチのお嬢さまとそう歳も違わなそーなこのお嬢さんが、このトロットロになってるおっさんの後妻?マジで?


 「………」

 『………あ、ども』


 目が合ったのでいちおーアイサツだけすると、「チッ」と舌打ちされた。かんじわるぅ。なるほど、こわいおかあさん、と言われるだけのことはあるわ。


 「ニモアっ、ルクナっ……おとうさんが、おとうさんが悪かったよっ……ごめんな、ごめんなぁ……」

 「おとうさん、おとうさぁん……」

 「ごめんね、おとうさん……ごめんねぇ……」


 いやそれよりこの愁嘆場と修羅場が同居してる空気、どーすりゃいいってのよ。

 さっきとは違う種類の脂汗が全身から噴き出すのを、わたしは感じずにはおれなかった。




 「いや、ブリガーナ家の紅竜殿とは存じ上げず、大変失礼した」

 『べつにいーんですけどね』


 場が落ち着いて家の中に入れてもらったわたしは、泣き疲れて寝室に戻っていった双子を見送ると、台所のテーブル席に腰掛けていた。

 足の届かない椅子に尻尾を押しつける格好は窮屈だけど、伯爵家のわたし専用椅子とは違うのだから贅沢は言えない。そうして所在なげにブラブラさせてる足のことはさておき、対面に場所をとったおっさんと、その嫁とゆーより娘と言っても差し支えないほど歳の離れた後妻は、難しい顔をしているところだけ共通した様子でわたしを見ていた。そりゃ人語を解するトカゲは珍しーだろうけど、あんまりそうジロジロ見ないで欲しい。


 『それで、お子さんの家出の理由なんですけど』

 「……っ」


 嫁氏がうろたえた様子を見せていた。うーん、この感じだと、子どもに厳しく当たっていることはダンナ氏には知られたくないと見える。いや、子どもの方が訴え出ればすぐにバレるだろーに、それが若さ故か。わたしが永遠に失ったものでもある。うっさいわ。


 『……えーと、なんかまあ、その。もー少し嫁さん大事にしてあげたほーがいいのではないかと』

 「………は?」

 「………え?」


 ただし、年の功とゆーか女性週刊誌のゴシップ馴れした身故のうがった見方とゆーか、それなりに得たものもある。だって行き付けの美容院、ファッション誌とかヘアーカタログじゃなくて女性週刊誌しか置いてなかったんだもん。


 『どーゆー経緯があって若い奥さん捕まえたのかは知りませんけれど、まだ若いんだから多少は旦那さんともいちゃこらしたいだろーに、愛情が子どもにばっか向いてたら少しは嫉妬しますよ?違いますか、奥さん?』

 「………(赤面)」


 当たりかよ。まさか本当にそうだとは思わなかった。

 嫁氏、真っ赤になって俯き、旦那の方をチラチラと見てる。デレデレだなー。わたしもこーゆー気持ちになりたかったなー。

 そう思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくもなる。こんな茶番にやきもきして家出までしてたあの子たちがかわいそうにもなる。


 『まー奥さんまだ若いんですから。三人目仕込むくらいはいいんじゃないですか?話はこんなトコなんで、わたしはこれで』


 付き合ってられなくて、さっさと退散を図る。いやもー、本当にあほらしい。一応親身に見せかけるくらいは出来る、某色黒のおっさんを尊敬するわ。ほんと。


 「あ、あの……」


 椅子を降りて玄関に歩き始めた(浮かぶのもためらわれる位には狭い家だった)わたしにの背中にかけられる声。そーいや名前も聞かなかった嫁さんの方だった。


 『はい。なんでしょ』

 「……い、いえ。ありがとうございました」

 『……いえいえ。トカゲが余計なお節介をしてしまいました。旦那さんと子どもと仲良くしてくださいね。あ、何か困ったことがあればブリガーナ家に相談に来てくだされば話くらい聞きますんで。それじゃ』


 なんだかなー。途轍もなく時間を無駄にした気はするけれど、あそこで双子をほったらかしにして後悔したり気に病んだりするよりは、よっぽどマシだったか。

 家の外に出ると、夜はすっかり深まっていた。宵の口を過ぎてそろそろ良い子は寝る時間、って頃合いだ。


 『……さて。他人の家出の原因も結構だけど、自分の問題にとりかかりましょーか』


 うん。やっておかなきゃいけないことが、わたしにはある。

 見送りの視線に振り返りはせず、わたしは星空に向かって飛び立った。

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