放課後 その二
パトリシアが日々暮らしている城砦屋敷、その前に暗黒の塔が出現しているのは異様な光景だった。塔を取り囲むようにして、鱗のようにとがった鋼板がびっしりと地面から生えていくのも悪夢のようだ。
ザニバルに剣や弓矢を向けていた兵士たちは鋼板の隙間に閉じ込められ、パトリシアの父であるエルフィリオや取り巻き商人のラミロたちも同様だった。
鋼板の隙間にも鋼板が生えてくれば彼らは切り裂かれてしまうことだろう。
塔を出現させ、鋼板出現を操っている暗黒騎士ザニバルは、彼らの悲鳴を気にすることもなく、赤く燃える眼でパトリシアを見つめて言う。
「パティはこっちで暮らせばいいじゃない」
そこでザニバルは少し口ごもってから、
「家族みたいに」
その言葉がパトリシアの胸に刺さる。
「……みたい、なのですわね」
「?」
ザニバルは赤い眼を瞬かせる。
「どんなふうに見えようとも、父と私は本物の家族ですのよ。私の家族を傷つけるのは許せませんわ。すぐに解放してくださいな!」
パトリシアの口調がつい激しくなる。
「そもそもザニバルが私を勝手に連れて行って無断外泊をさせたのですわ。ザニバルから謝るべきなのに父を責めるなんて間違っていますわよ!」
「うん……」
ザニバルがうなだれる。
「わかったもん」
鋼板の発生が止まり、エルフィリオやラミロ、それに兵士たちを閉じ込めていた鋼板が地面に引っ込んでいく。
解放された兵士らは急いで城砦に逃げ込む。エルフィリオは悠然とそれに続く。
そのとき遠くから奇妙な音楽が鳴り響いてきた。
パピラビラビビラー
パパピラピララー
また何か異変かと兵士たちは門の扉を慌てて閉ざし、壁上から警戒する。
輝く物体が街道を城砦へと高速に接近してくる。その輝きから音楽は鳴り響いてきていた。
近づいてきた輝きは、絶え間なく発生する雷が蛇のような形をとっているものだった。頭上には少女が立っている。
神社のエルフ巫女であるマヒメが操る雷蛇だ。マヒメは悪魔ボウマに憑依されており、その力によって雷を自在に繰り出すことができる。
マヒメの雷蛇を追うように大型の黒い獣もやってくる。獣は三つの頭を持つ巨大な狼、ケルベロスだ。こちらの頭には白い服の女性がまたがっている。ザニバルの副官ミレーラだ。
マヒメはほっとした顔、ミレーラは喜びに満ちた顔をしている。
マヒメは雷蛇から降り立ってザニバルに駆け寄り、不満げに頬を膨らませる。
「私をおいて逃避行だなんてひどいわよ。塔がいきなりなくなったと思ったらこんなところに引っ越してるし、それが家族への扱いなの!?」
ミレーラもザニバルの元にやってきて、抱きつかんばかりなのをザニバルが押しとどめる。
「ザニバル様! 家族は再会を抱き合って喜ぶものですよ! さあ、今からこの城砦と戦争ですか? こんなの私の召喚術で一瞬ですから」
会話を聞いていたパトリシアの機嫌がみるみる悪くなっていく。
「いいですわ、私は私の家族のところに帰りますわ!」
ザニバルには彼女を留める言葉がない。
すたすたと城砦の門までやってきたパトリシアは、
「開けてくださいな!」
大声で叫んだ。
門の扉が少しだけ開かれてパトリシアを招き入れる。
「さよなら!」
パトリシアはザニバルの方を振り返って一言告げたあと、扉の向こうに消える。扉はすぐに閉まった。
ザニバルはしゅんとした様子で立ち尽くした。
「お腹減ったんじゃないの。朝ご飯を作るわよ」
マヒメが暗黒塔の扉を開いてザニバルを招く。
ザニバルはしばらく反応しなかったが、マヒメにまた促されてとぼとぼと暗黒塔に入った。
「それでは朝食をとりながら城砦攻略の作戦会議としましょう!」
ミレーラも入ろうとして、
「……ミレーラは来なくていいもん」
ザニバルに冷たくあしらわれる。
「そんな、ザニバル様! 副官はおそばにおいておくものですよ!」
「ミレーラには芒星城の守りを任せるもん。副官の大事なお仕事だよ」
「大事な任務をこのあたしに……! ありがとうございます、早速向かいます!」
ミレーラはいそいそとケルベロスにまたがって芒星城へと戻っていく。
ザニバルは暗黒塔一階のテーブルに力なく着いた。温泉は楽しかったし、パティをひどいお父さんから守ろうとしたのに、なぜかパティを怒らせてしまった。なにがいけなかったのだろう。黒猫剣士のお話ができたのが嬉しくていきなり温泉に行ったからだろうか。パティは嬉しくなかったのかも。それとも温泉の滑り台が怖すぎたのだろうか。一緒に寝たのはなにか叱られるようなことだったのだろうか。
ザニバルはもっと思い返す。
家族みたいと言ったらパティはひどく怒り出した気もする。どうしてそんな言い方をしたのか、ザニバルは自分の気持ちにうまく説明がつかない。今までに感じたことのない想いが自分の中にたまっている。
ザニバルは大きなため息をついた。でも自分のよくわからない気持ちを吐き出すことはできなかった。
エルフィリオやパトリシアが住まう城砦屋敷。その家長室にエルフィリオはパトリシアを呼び出していた。
パトリシアは厳しい折檻を覚悟して部屋に入る。重厚な机に着いているエルフィリオは、しかし機嫌が良さそうだった。
「パトリシアよ、大手柄だぞ!」
「……お父様?」
エルフィリオは家長室の窓から外を眺める。城砦の隣にそびえたつ暗黒塔が見える。無数の鋼板に囲まれた塔はおぞましく、まさしく悪魔の居城であるかのようだ。
「実にすばらしい力だ。例えまた王国軍が攻めてきても十分に対抗できるだろう」
エルフィリオは満足そうに独りごちる。
「先程現れたのはアトポシス神聖教団のミレーラ・ガゼット。教皇に直接仕えている高官だな。そしてもう一人はアルテム神社の巫女マヒメ・シンジュ。アルテム神社は王国のエルフからも信奉されている。エルフに強い影響力を持つ立場だ。暗黒騎士はそんな連中を従えている」
エルフィリオは高笑いしてから、
「単騎での高い軍事力と内外への強い影響力。帝国の内乱を先導しているとの噂が出るのも統率への期待があるからこそだ。そんな暗黒騎士デス・ザニバルにお前は見初められたのだぞ!」
「……えええっ?」
パトリシアは数瞬遅れて父の言葉を理解してから顔を真っ赤にする。
エルフィリオは立ち上がる。
「いいか、パトリシア! 我が一族の責務はナヴァリア州を守ることだ! そのためにはあらゆる手を使う! 私は全力を駆使してこのパリエ郡を守り抜いたが、先代領主は王国軍との戦いで大きな被害を出し、娘のアニスはくだらない芒星城やらマルメロやら新しいもので遊ぶばかりだ」
この話はいつも父から聞かされていることだった。だがその後が違った。
「帝国の広報によれば、ナヴァリア州の領主はアニス・ナヴァスからデス・ザニバルに交代するよう印璽が下されたとある。だが、いまだ印璽は行使されておらず領主はあのアニスのままだ。パトリシアはザニバルの妻となり、印璽を行使せよ! ナヴァリア州をパリエ・ナヴァスのものとするのだ!」
パトリシアは驚愕で言葉もない。
「ザニバルがお前を連れ出した責任は、お前を妻に迎えることでとってもらう! いいな! どんな手を使ってでもザニバルを落とせ! 今日から夜這いに行ってきてもかまわんぞ」
話を終えたエルフィリオはどっかと椅子に座り込む。自分への興味が失われたのを見て取ってパトリシアは部屋を退出する。
パトリシアは自分の足が地についていない気分だった。ザニバルの言葉にいらついてきつく当たってしまったけれども、嫌いになったわけではない。むしろ前よりも気になって仕方ないし、せっかく家の前にいるのだから後で押しかけようと思っていた。あのマヒメと二人っきりにさせるのはなんだか悔しいし。
それが父からの命令を受けてしまった。これでは父のために、よ、夜這いに行くことになってしまう!
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