課外授業 その五

 アルマーニャ村の温泉旅館、その一室。

 そこに暗黒騎士ザニバルとその同級生パトリシア、それに白猫のキトが泊まっている。


 ザニバルはかつて姉から聞いた黒猫剣士の話を語り聞かせようと強引に同級生のパトリシアを連れ出してきていた。

 パトリシアと温泉に入らねばならなくなったザニバルはこっそり漆黒の魔装を解除してマリベルに戻っている。パトリシアはマリベルがザニバルの正体だと気付いていない。

 温泉旅館の女将であるドワーフのビジェンはザニバルの戦友であり、一行を歓待してくれた。


 温泉旅館での夕食が済むと眠くなったマリベルは布団にもぐりこんだ。たちまち眠りに落ちたマリベルだったが、朝も近くなり、うなされる声に目を覚ました。


「……ザニバル…… きつすぎますわ……」

 うなされているのはパトリシアだ。


 マリベルはそのパトリシアの上に乗っかって寝ていた。体温と心臓の音がマリベルに伝わってくる。まるでずっと昔にお姉ちゃんと寝ていたときみたいだ。ただ、あのときとはなにか違う気もする。


 マリベルはパトリシアの寝顔を見つめる。カールした赤髪が顔に垂れていて、パトリシアが身じろぎすると揺れる。なぜかマリベルはドキドキしてきた。


 パトリシアのピンク色をした唇はぷっくらとしている。なんだか気になったマリベルは人差し指を伸ばしてそっと唇に触れようとした。


「……いやですわ…… ザニバル…… むりやり…… あんまりですわ……」


 パトリシアの寝言に、マリベルは獣耳をぴょこりと震わせる。


「勝手すぎますわ…… こんなところに…… 連れてきて…… 二人だけで……」

 マリベルはドキリとして、寝言から耳を離せなくなる。もしかしてパティはここに来たくなかったのだろうか。マリベルはとても楽しかったけど、パティはそんなことはなかったのだろうか。


「ずっと…… 思ってましたのよ…… 友達とは…… 違うって……」

 その寝言にマリベルは胸の奥がずきりとする。


「嫌いですわ……」

 その寝言に耐えられなくなってマリベルは布団を出た。


「……ちゃんと言ってくれないなんて」

 パトリシアが言いかけたところで、部屋の隅に寝ていた白猫のキトがのそのそとやってきて、マリベルがどいた後のパトリシアに飛び乗る。胸に乗られたパトリシアは「むぎゅう」とうめき、重さに声が出なくなった。


 マリベルは深い恐怖に駆られていた。パティとの楽しいひとときを想うと心が暖かくなって、嫌われているかもと想うと怖くてたまらなくなる。

 ずっと仇を探し回って戦ってきたマリベルには友達というものがよく分からない。でも友達じゃないって言われるのが辛くて恐ろしいことだけは分かる。

 こんな気持ちに振り回されそうだなんて自分はどうしてしまったのだろう。パトリシアといたら、自分が自分ではなくなってしまいそうだ。


 マリベルから暗黒の瘴気が立ち昇り、瘴気は漆黒の魔装へと変じた。マリベルの姿が暗黒騎士ザニバルへとたちまち変わる。

 姿を変えても怖さに変わりはないが、ザニバルにとって怖さは力となる。


 小鳥の鳴く声でパトリシアは目覚めた。胸が重い。いつものベッドと寝心地が違う。ぼんやりした頭でしばらく悩んでから思い出した。ザニバルに連れ出されて温泉旅館に泊まったのだ。

 寝ていたらマリベルに乗っかられて、眠れなくて、でもいつの間にか寝ていたらしい。

 今、胸の上には白猫が乗っかっている。


「え!? マ、マリベルが猫に」

 驚きで起き上がったパトリシアの胸から白猫はぴょこんと飛び降りて、不満そうに鳴く。


 パトリシアは自分たちを乗せてきたホーリータイガーが白猫に変じたことを思い出し、

「マリベルが猫で、猫が虎で、だったら、あの虎がマリベルでしたの? だからいつの間にか一緒にいたのかしら……」

 考えかけたところで、今度は部屋の隅でザニバルが座り込んでいるのに気付いてまた驚きに身体が跳ねる。ザニバルは膝を曲げて座り、自分を両腕で抱いていた。途方に暮れた様子だ。パトリシアが起きたことに気付いたザニバルは、パトリシアを見つめてくる。二人の目が合う。

 

 パトリシアの脳裏にさっきまで見ていた夢がよみがえった。

 その夢では、ザニバルにお姫様抱っこされたパトリシアが大きな城に連れてこられていた。二人っきりの城だ。そこでパトリシアはいつの間にか白いドレスを着ていた。愛の契りを結ぶための聖なる衣装だということがパトリシアには分かる。でも儀式の間でザニバルが語ったのは、二人はここでずっと暮らすのだという言葉だけ。

 ちゃんと心の内を明かしてくれないなんてずるいと不満なパトリシアは、ザニバルに誓いの言葉を求めて……


「ひゃあああっ!」

 恥ずかしさのあまりにパトリシアは悶絶して布団の上を転がる。どうしてそんな夢を見てしまったのか。黒猫剣士と三毛の魔法使いのせつない物語を聞いてしまったからだろうか。


「ひどすぎますわ、ザニバルのせいですわ!」

 夢の中のことなのに、パトリシアは恥ずかしすぎてついザニバルに八つ当たりしてしまう。


 ザニバルはしゅんとして、しかし

「……パティのせいだもん」

 と言い返す。


「あ、あ、あんなのずるすぎますわ!」

「だって…… パティが喜んでたからだもん。嫌だなんてわからないもん……」


「私から口にしろって言うの!」

「がんばってお話ししたんだもん!」


 二人の会話は全くかみ合あわず、ただぶつかり合う。

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