二時限目 その三
体育の授業は柔軟運動から始まった。
生徒たちは二人組で背中合わせになって互いを持ち上げる。そうしながらも、興味津々にクレシータ先生と暗黒騎士ザニバルを見つめている。
ザニバルの背はクレシータ先生よりはるかに高い。背中合わせになっても大きくずれている。むきになったクレシータ先生がザニバルを持ち上げようとしたがびくともしない。
逆にザニバルが持ち上げると、クレシータ先生の身体が高く跳ね上がった。
「ぎゃ!」
激しい加速にクレシータ先生は締められる鳥のような声を出す。
「教練は大事だもんね。しっかりやってなかった者から先に死んじゃうもん」
ザニバルは繰り返し先生を跳ね上げる。ようやく終わったときにはクレシータ先生はよれよれになっていた。それを見たザニバルは満足そうに、
「うん、しっかり柔軟できてるもん」
「じゅ、柔軟は、終わります、つ、次は、かけっこ」
「知ってるもん、これも二人組でやるんでしょ!」
「かけっこは、二人組では、やらな……」
ザニバルはクレシータ先生をひょいと持ち上げて肩車した。ちらりと見回し、芒星城の周囲を巡る道に目を付ける。
「この道がたくさん走れそう」
言うや、全力で駆け出す。
生徒たちもぞろぞろと続く。
重装甲に身を包んでいるわりにはザニバルの走りは速い。ただし大きな手足を振り回して走るから全身が激しく揺れる。肩車されている先生は前後上下に振り回されて目を回している。
芒星城を回っていくと漆黒の塔が建っていた。ザニバルの住む家だ。
「がんばってね!」
塔の窓から巫女マヒメが手を振ってくる。
「がんばるもん」
ザニバルはさらに速度を上げて、先生はさらに激しく揺れる。
塔から大きな白い虎が出てきた。ホーリータイガーのキトだ。
楽しい遊びと思ったのか、飛び跳ねるようにザニバルと並走し始める。
ザニバルも負けじと飛び跳ねる。クレシータ先生も空を飛ぶ。
そろそろ一周して広場が見えてきたところでクレシータ先生は息も絶え絶えに、
「かけっこ、おわります」
と呻いた。
「軍だったらあと二十周は走るのに」
ザニバルは物足りなさそうに止まる。キトは走り足りなかったのか、一吠えしてから自分だけ丘の方へと駆けていく。
ザニバルは先生を降ろしてから言った。
「じゃあ次は先生の番ね。ザニバルを肩車して」
「……しない! おしまい!」
四つん這いになって苦悶している先生は必死の形相で叫ぶ。血の気が引いて真っ白な顔だ。
しばらく時が過ぎ、生徒たちは一通り広場に戻ってきた。
クレシータ先生は気持ち悪そうだが、絞り出すような声で、
「……二人組を替えます。ザニバルさん、あなたは……」
パトリシアに目を向ける。
「パトリシアさんと組んでください。席も隣同士ですからね、それがいいでしょう」
「えっ!?」
パトリシア、それにパトリシアと組んでいたドゥルセが驚きの声を上げる。ドゥルセの方が声は大きくて非難の色が込められている。
ドゥルセは目を剥いて、
「先生! おかしくないですか! あたしとパトリシア様は大の親友なんですよ! 組んでお世話をしないといけないんです!」
「分かりました、先生」
パトリシアの返事にドゥルセはぎょっとして、パトリシアの顔を凝視する。
パトリシアの浮かべている表情には驚きだけでなく喜びがあった。
ドゥルセはパトリシアに手を伸ばす。
パトリシアは気付きもせずにザニバルへと駆け寄る。
「お手柔らかにお願いしますわ」
「手を抜いたりしたら死んじゃうもん」
「あの、ここは戦場ではなくってよ」
二人の会話にドゥルセは蒼ざめて拳をきつく握りしめる。醜く顔を歪ませている。
それを見たクレシータ先生が突然立ち上がった。
「おいしい! これです! 燃える嫉妬の炎! 先生、気付きませんでした。ザニバルさんは教室に関係ない大人とばかり! そうです、こういう火種を待っていたのです!」
先ほどまで疲れきっていたはずのクレシータ先生が元気にあふれている。
「想定とは異なりますが、これはこれで! 皆さんには思いきり羨ましがって! 悔しがって! 若い炎を燃やしていただきましょう!」
時々テンションが高まりすぎる先生だが、それにしても異様な空気だ。
生徒たちが息苦しそうにむせ始める。
パトリシアも胸を押さえる。
ザニバルの魔装がぎしりと音を立てる。
<ザニバル、空気がヤバいよ!>
悪魔バランが叫ぶ。ザニバルにしか聞こえない声だ。
クレシータ先生はうっとりとした様子で、
「嫉妬の炎ほど醜く、そして美しいものはありません。嫉妬は魂の生々しい傷から燃え上がり、嫉妬の相手のみならず己をも焼き尽くすのです」
<バラン、もしかして>
<そう、こいつは悪魔憑きさね! 嫉妬の悪魔ペリギュラ! こいつは嫉妬を喰らって力にする!>
クレシータ先生は指を左右に走らせて、生徒の皆を指さした。
「ザニバルさん込みで始めるとしましょう。いいですね?」
「はい」
「うん」
何を問われているのかも分からないのに、皆は頷く。ザニバルすらもだ。
<ザニバル、返事は止めな! 契約させられるよ!>
<……返事したくてしたんじゃないもん、そういう空気なんだもん!>
ザニバルは空気からの強い圧を感じている。そうするしかないという空気。
<ちぃ! 空気を操る力かね! ペリギュラめ、暗黒騎士をも支配しようというのかい!>
バランは悶える。バラン自身が嫉妬心を引き出されている。
クレシータ先生が宣言する。
「生徒の本分は嫉妬! 競い合い、足を引きずり合うのです!」
クレシータ先生は足を上げて、くるりと踊るように回ってみせる。
「そして嫉妬の頂点は敗北! どうしても勝てないと分かったときにこそ嫉妬の炎は最高に美しく燃え上がり、己を焼き尽くすのです!」
クレシータ先生は高くジャンプ、四回転してから優雅に着地する。
「親しい間なればこその嫉妬。己に与えられるべき機会を身近な者に奪われるからこそ嫉妬に火がつく。皆さん、今日の二人組で互いに羨み合い、妬み合うのです。一か月後、負けた者はそれを皆の前で告白し、ここから永遠に去るものとします! いいですね」
「はい」
「うん」
生徒もザニバルも返事をする。してしまう。
そしてクレシータ先生は深く一礼した。
「嫉妬の講義を終わります。ここからは実習ですよ」
生徒の皆も深々と礼をする。ザニバルすらも。
バランは叫ぶ。
<しっかりしなザニバル! 今までもずっと空気なんぞ無視してきただろうが!>
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