かけっこ特訓と暗黒騎士
暗黒騎士ザニバルは決意した。悪魔ボウマの操る雷蛇とかけっこ勝負をするのだ。叩きのめして、悪魔ヴラドについて知っていることを洗いざらい吐かせてやる。ちょっと速いからって調子に乗っているボウマは許せないのだ。
魔物退治は村の長老に反対されているけど知ったことではない。ザニバルを村に呼んだ巫女のマヒメがやっつけていいと言ってるのだから。
村の朝は早い。
まだ日が出て間もない時間だが、今日もマヒメは村中を回って朝食を配り歩く。それにザニバルはヘルタイガー共々ついていきながら、念のため聞いてみることにする。
「ねえ、悪魔ヴラドって知ってる?」
悪魔ヴラドはザニバルの仇だ。おそらくボウマとヴラドは悪魔同士なんらかのつながりがある。
忙しい作業中に声をかけられてマヒメは眉根を寄せる。
「聞いたこともないわよ」
「やっぱりボウマに聞かなきゃダメかなあ。じゃあじゃあ、悪魔ボウマはマヒメに憑りついてるんだけど気付いてる?」
ザニバルの質問にマヒメはぎょっとする。
「嫌がらせ? 気持ち悪いこと言わないでよ」
「村に出る魔物はねえ、悪魔ボウマが作った雷蛇なんだよ。マヒメは雷蛇に乗って楽しそうに暴れてたのに覚えてないの?」
「はあ? 冗談にもほどがあるわ。私がそんなもので村を走り回るだなんて馬鹿にしているの? いい加減にして」
マヒメは機嫌を害して口を聞いてくれなくなる。
<この巫女、自分が憑りつかれていることをまるで分かっちゃいないのかね>
ザニバルのまとう魔装に宿る悪魔バランが呆れたように言う。
<でも変だよ。今、走り回るって言ったよね>
<その話はしていないのに、どうして知ってるのかねえ>
<昨日、魔物を見つけたって話しても、どんな魔物だとか何も聞いてこなかったのに>
<ふうむ、心の奥底では分かっていて、それを認めたくないのだろうよ。ボウマはうまく憑りつき損ねたのさ>
マヒメは朝食を配り終わって社務所に戻っていく。ザニバルはついていかず、長老の塔に向かった。
塔の下からザニバルは叫ぶ。地獄の底から響くような低い声で。
「ちょ~ろ~! お~は~な~し~しよ~よ~!」
塔の屋上に長老が顔を出す。その表情は引きつっている。
「暗黒騎士殿、い、いったいその話し方は」
「ねえ、マヒメはいつからああなの?」
長老はしばし沈黙し、深くため息をついてから、
「二年前、ナヴァリアに敵が攻め込んできた。領主の求めに応じて我らの村からもマヒメら若者たちを戦いに送った。なにせ敵の狙いは我らの神樹を奪うことであったのだから」
二年前の戦いといえばザニバルには心当たりがある。王国からの侵攻部隊が国境を越えてきたところで、ザニバルは山脈伝いに奇襲をかけた。侵攻部隊は壊滅して散り散りになるも、一部残党はナヴァリア州に侵入して戦闘を続けた。奇襲成功で満足していたザニバルは残党狩りに加わらず、次の戦場へと去った。
「若者たちは治癒術士として働くはずであった。最前線で戦うような危険な任務ではないと聞いていた。……だが誰も帰っては来なかった。あの魔物に乗って戻ってきた、変わり果てたマヒメを除いては……」
長老は沈鬱に語り続ける。
「マヒメがようやく自分を取り戻したとき、我らはマヒメたちに何が起こったのかを聞いてみた。しかしマヒメの話は要領を得なかった。魔物なぞ知らないだの、ユミナたちは共にいるだの、その分も働くだの」
長老はもう一度深くため息をついてから、
「このままでは遷宮もできない。長く神樹を守り続けてきた我らも終わりだ。村は滅びる…… 神様とご先祖様に申し訳が立たない」
そう言うと顔を引っ込めてしまった。
ザニバルはがっかりだった。ちょっと分かったけど大事なところが分からない。
改めてザニバルは決意する。やっぱりかけっこでボウマに勝って聞き出してやる。そのためにはあの雷蛇よりも速く走れないと。
<それで、あの雷蛇に勝負する算段はどうなってるのさ。自慢じゃないがバランの魔装は重いんだよ>
バランが聞いてくる。
<特訓だもん!>
隣に並んでいるキトの頭をザニバルは撫でる。
<ね、キト>
キトはニャアと返事する。
<大丈夫かねえ>
バランは不安げだ。
ザニバルとキトは谷の上まで登ってきた。
見下ろすと谷に広がる村が一望できる。真ん中の小川を挟んで家や塔が点在している。村はずれの頂きにはマヒメのいる神社がある。
「いいこと考えたんだ。走るんなら転がるのが速いんだよ」
ザニバルは魔装から闇の瘴気を噴出させる。瘴気は魔装を包みこんで新たな装甲となる。装甲は折り重なって球状になっていく。やがて暗黒騎士ザニバルを中核とした黒い球ができあがった。
暗黒騎士、ボールフォームである。
<おい、ザニバル、こいつはどう見てもやばいだろ、止め>
バランが言いかけたところでザニバルの球は転がり出す。
坂を転がりながらどんどん加速する。
「やったよ! すごい速いもん!」
土煙を上げながら、走るというよりも転がり落ちていく。
球は猛速度で段差に引っかかり、空高く跳ね上がった。回転しながら木の茂みに落ちて岩に激突、あちこちの岩に跳ね返りながらもさらに転がり落ちていく。
ザニバルは声も出ない。自分が今どうなっているのか分からない。ただひたすら怖い。
草をまき散らし、岩を砕き、谷の下り道へ。うまく道の畔でガイドされて、さらにぐんぐんと速度を上げる。
そして急カーブが迫ってきた。曲がりきれず、球は空へと大ジャンプ。落ちていく先は小川の深みだった。球はごぼごぼと沈んでいく。
<ザニバル! 泳げないだろ、おぼれちまうよ!>
<泳げないんじゃないもん! 浮かないだけだもん!>
川底に球がはまってしまって身動きも取れない。ザニバルは必死に魔装を一部解除して手足を伸ばし、重い身体を引きずるように川岸へと這いあがる。全身からぼたぼたと水が滴り落ちた。
「ううう、めちゃくちゃ怖かったもん……」
よろめきながらザニバルは歩く。迎えに来たキトが心配そうにザニバルの濡れた魔装を舐める。
「ふう、怖かった。でも次はもっとうまくやるもん」
ザニバルがそう言うとバランは動転した。
<まだ続けるのかい!>
「だって絶対勝つって決めたんだもん!」
ザニバルは手を高く掲げる。
「がんばるもんね!」
キトが元気よく吠える。
谷の上。
今回のザニバルはキトに球乗りをお願いした。
「二人の力を合わせるんだもん! 転がればキトはもっと速くなれるよ!」
ザニバルの球にキトが四つ足で乗る。恐る恐るキトが足を動かすと、坂に進んだ球は勢いよく転がり出す。
転がる球の上でキトはあっさりバランスを崩し、足を踏み外した。キトにはサーカス経験などないのだ、仕方ない。
キトとザニバルは二人でぐるぐる転がりながら落ちていく。さっきよりも派手に土や草をまき散らしながらまた村の道に突入し、諸共に転がり、ジャンプし、また小川に飛び込んだ。
ぬれねずみになったキトとザニバルが川から這い上がる。
二人とも目を回している。
バランは呆れかえって、
<ザニバル、このやり方は話にならないよ>
<うん、キト、ごめんね。次は球の中に空洞を作ってみる。そうすれば水に沈まなくなるもんね>
<球を使う案から離れな!>
<でも、だって、他に考え付かないし>
ザニバルはむくれる。
ザニバルとキトが水を垂らしながら谷の道を戻っていると、雨がぽつりと降ってきた。見上げれば空は灰色の雲でいっぱいだ。山の天気は変わりやすい。
雨はすぐ大降りになって、ザニバルたちが川に落ちたことを忘れさせる。
道の向かいからやってくる者がいた。傘をさしたマヒメだ。
「谷を転がるなんて馬鹿なんじゃないの」
そう言いながら大きな傘をザニバルに差し出す。
ザニバルは傘を開いてキトの上にかざした。キトはぎゅっとザニバルに寄ってくる。
「忙しいのにありがとう。マヒメって優しいんだね」
ザニバルが礼を言うとマヒメは顔を赤くしたようだった。
マヒメは傘を伏せて顔を隠す。
「暗黒騎士からそんなこと言われたって不気味なのよ。風邪なんてひかれちゃ迷惑なの。ほんと馬鹿なんじゃないの」
歩きながらマヒメは雨空を眺め、
「ああ、どうしよう…… この雨で神樹が伸びたら、遷宮までの時間がもうなくなってしまう。とにかく魔物を早くなんとかしてよ、ザニバル」
「そのせんぐうってなに?」
「遷宮はね、村を挙げて神樹の苗木を運ぶ祭りなの。育った苗木は今のままだと枯れてしまう。海の宮まで運ばないと……」
「神樹ってマルメロでしょ。マルメロが枯れちゃうの?」
「マルメロ、ああ、領主様はそういう名前で呼ぶことにしたそうね。せっかく果樹園も作っていただいたけど、この村でしか神樹は育てられないの。このままではマルメロはおしまいよ……」
兜の奥でザニバルは顔色を変える。
「そんなの絶対ダメだもん!」
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