犯人
二体のサラマンダーは超低空飛行で山脈の森上を進む。
やがて速度を落とし、森の中へと消えた。
その後ろの空に黒い瘴気の塊があった。夜闇に溶け込んでいて視認するのは困難だ。
やがて瘴気が散ると、その中からは蝙蝠のような姿が現れた。積層装甲を翼のように広げたザニバルだった。
先ほどは兜と鎧の装甲一枚分を身代わりとしてサラマンダーに残し、広げた装甲で急減速して脱出した。危ないところだった。
ザニバルは静かに滑空して、サラマンダーが消えていった辺りの森へと降り立つ。
森の中にはところどころに岩場があり、大きな洞穴が開いている。
かつてこの山脈地帯でゴブリンの暮らしていた「巣穴」だ。
サラマンダーたちの姿は見当たらない。おそらくは洞穴に潜っていったのだろう。
ザニバルは真っ暗な穴に入る。暗黒騎士は暗闇でも目がよく見えるから支障はない。ゴブリンたちもそうだったから洞穴は明かりの設備には乏しい。
ザニバルの魔装に宿る悪魔バランは懐かしそうに、
<ここのゴブリンどもの恐怖は実に美味かったもんさね>
ザニバルは暗い穴を進みながら、むしろ自分が恐怖を感じていた。
<果樹園で会ったひとたちは、あたしがここから追い出したゴブリンだ…… もしもあたしがザニバルだってばれたら……>
かつて連合王国は、このガイレン山脈を越えてナヴァリア州に侵攻する作戦を行った。
対して帝国軍のザニバルは、山脈地下に張り巡らされた洞穴を使って王国の軍団を背後から奇襲し、将軍を倒して勝利を得た。
洞穴を使うには、そこに暮らすゴブリンを排除せねばならなかった。追い出されるゴブリンたちの恐怖はザニバルの力ともなった。
ザニバルが感じた恐怖はたちどころにバランが喰いつくした。
「仕方ないもん。そうでもしなきゃあいつをやっつけられないんだもん!」
ザニバルは自分を励ます。
暗い洞穴は複雑に枝分かれしている。
だが洞穴の壁にはサラマンダーの巨体にこすられた跡が残っている。
ザニバルは着実にサラマンダーを追う。
洞穴は二股に分かれていて、片方の先には広間のような空間が見える。サラマンダーが進んでいったのは、もう片方の洞穴のようだ。広間の方からは人の声が聞こえてくる。
ザニバルはいったんサラマンダーの追跡をおいて、人を確認することにした。
広間の方へと近づくにつれて植物の匂いがしてくる。どうやらキノコの匂いだ。慎重に進み、姿を隠しながら広間をのぞき見する。
広間には背の低い木箱が並んでいる。木箱にはキノコがびっしり生えていた。
栽培用に水がまかれているらしくて湿度が高い。
照明の魔道具が壁に設置されており、薄暗い光で広間を満たしている。
女が一人と男たちが数人いた。
女は手拭いを被った農作業着姿、男たちは帝国兵士の恰好をしている。
このあたりにいる帝国兵士といえば、国境線の要塞に駐屯している部隊だろう。どうやらザニバルは洞穴を通って要塞の近くにまで来たらしい。
女は値段の話をしているようだ。
しかし男たちに押し切られて悔しそうな顔をする。
男たちは女に硬貨を数枚渡し、木箱を抱えてどこかへと運んでいった。
ここはキノコを育てて売る農場のようだ。
男たちの気配が消え去ると、別の洞穴からサラマンダーたちが静かに姿を表した。
女は眉をひそめ、サラマンダーを詰問し始める。
「マルメロの獲物がないじゃないか! どうして二体しかいない? 敵がいた? こんな田舎にサラマンダーを倒せるような戦士がいるなんて。は、黒い騎士!?」
<泥棒見つけた!>
ザニバルは確信する。この女がマルメロ泥棒だ。
<でも、この声……!?>
ザニバルは女の声に聞き覚えがあった。帝国にとって最悪に危険な存在。ザニバルの宿敵。しかしザニバルが倒したはずだった。まさか生きていた? 怖い、でも確かめなきゃならない。
<生きてたならもう一回倒すもん>
広間へとザニバルは歩み出る。
女はザニバルに気付き、慌てて召喚魔法を解除した。サラマンダーは消失する。
二人はしばらくまじまじと見つめ合う。
女は呆れたようだった。
「こんなところで会うとはな。暗黒騎士デス・ザニバル」
「それはこっちのセリフだもん。やっぱりフレイア…… フレイアだよね? えっと、なんだったっけ呼び名は」
ザニバルは女の服装を上から下まで眺める。
かつての大将軍フレイア・シュガルは豊かな肢体を薄い豪奢な布で申し訳程度に隠して、その美しさを見せつけていた。
それが今はどうだ。使い古した手拭いを頭にかぶり、首にも手ぬぐいを巻き、地味な上着にぶかぶかしたズボン、腕には腕抜きと軍手、足には長靴で、顔の一部しか露出していない。
女はザニバルをにらみつける。
「フレイアなどとなれなれしい! 私こそは連合王国西部方面特殊魔法部隊、サーカス魔術団の長。将軍フレイア・シュガル! ……いや、今の私は将軍などではなかったな…… 一介の潜入工作員にすぎない…… 貴様に倒されて、我が愛するサーカス魔術団も失ってしまった……」
フレイア・シュガルは手拭いを頭から外した。
美しい顔の片頬を縦に傷が走っていて、片目には眼帯を付けている。
「ねえ、どうして生きてるの。せっかく倒したのに」
「く…… 洞穴の底で深手を負ってひとり過ごすのは地獄だったぞ…… 気付けば帝国領土に自分だけ取り残されて生き恥をさらし、もはや戻ることもできない有様だ」
フレイアは胸に手を当て、顔をしかめる。
それを気にせずザニバルは問い続ける。
「ねえねえ、どうしてそんな服を着てるの?」
「……農作業に便利だからだ。そんなことより貴様はなぜここにいる。私を探しに来たのか」
「別に。ねえ、どうして農作業に便利なの?」
「貴様…… 外の畑で薬草を育てるときに日焼けしないですむのだ。足が泥で汚れないのもいい…… それよりも貴様がどうしてここに」
「ねえ、どうしてキノコを育ててるの? そんなに好きだった?」
「尋問か! 見れば分かるだろう、貴様らの要塞に潜入して作戦活動中だったのだ! まあ魔女としては栽培は昔から得意だからな。それよりも」
「ねえねえ、どうしてマルメロを泥棒したの?」
「ええい! 人の話を聞け!」
フレイアは指先をザニバルに突きつける。
「泥棒なのは貴様らだ。このナヴァリアは我ら王国の神域。貴様らがマルメロと呼ぶ神樹はその象徴であり、神樹の実には神の御力が宿っている。我らには正統なる権利がある! 帝国の方が泥棒だ!」
「ふふん、マルメロは俺のだもん! 美味しいマルメロは盗ませないもんね!」
「美味しいだと? ふざけるな。そのマルメロは魔族の難病を治すためにどうしても必要なのだ。我々サーカス魔術団はマルメロを確保して国民を救うためにナヴァリア奪還作戦に挑んだのだぞ。もはや私一人になってしまったが、作戦は今も継続中なのだ」
ザニバルは金属音を立てて首をひねる。
「マルメロは買えばいいのに。無人販売所でいくらでも売ってるよ」
フレイアは歯をぎりぎりと鳴らす。
「ザニバル…… 貴様が卑怯な奇襲を行った結果、王国は守りのために要塞を築き、帝国も対抗して築き、にらみ合って国境は完全に封鎖されているのだぞ! 輸入の再開などできるものか!」
ザニバルは兜の奥の赤く燃える眼を瞬かせる。
「でもでも、戦争に卑怯とかないしー。もう終わったんだしー!」
「いずれは封鎖が解かれるかもしれない。だがな、私の調査力を舐めるな。もうじきナヴァリアの果樹園は赤字と借金で潰れてしまう。このままでは神樹は失われてしまうのだ。だから今のうちに強硬手段を採ってでも特級品の果実を奪取して地下保存しておく。そのためにはこの洞穴農場は都合が良い……」
そこで フレイアは自嘲の笑みを浮かべた。
「それもここまでか。貴様に見つかってしまってはな。だが私はあきらめないぞ。王国のために! 我らが同胞のために!」
フレイアは遠いまなざしを浮かべ、農作業着姿でびしりと敬礼をする。
そして木箱のそばに置かれていた農具の鍬をおもむろに拾った。
鍬の棒には布が巻かれている。フレイアが布を取り去ると、棒の先端には蒼い宝玉がはまっている。魔法術式用の杖だ。
フレイアは鍬を広間の床に振り下ろす。そこから輝く線が走る。フレイアが鍬を振り下ろすたびに線は複雑な紋様と円を描き出す。魔法陣だ。
膨大な魔力が魔法陣を渦巻き、術式の発動を開始する。巻き込まれないようにザニバルは後退する。
周囲の時空間が一気に歪む。
フレイアの姿が龍に変じていく。
フレイア自身は純粋な人間だ。
実際には肉体が龍に変化しているのではない。運命を過去から書き換えて、フレイアは元から龍であったという事実に作り替える超高等な魔法術式である。
これに用いる魔法陣は極めて複雑であってそう簡単に展開できる代物ではないのだが、あらかじめ広間に仕込まれていた。フレイアは正体がばれることを想定していたのだ。
<思い出した、呼び名。蒼龍の魔女だ>
<まずい、やばすぎるよ、ザニバル! あの時とは違う。この魔女には何の恐怖もない! 喰らえない! 力にできない!>
悪魔バランが叫ぶ。
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