ナヴァリア州

 ナヴァリア領主の少女アニスは白馬を駆り、暗黒騎士ザニバルはヘルタイガーを駆る。


 峠を越えていよいよナヴァリア州に入った一行は、麦畑が広がる緩やかな丘陵の中、街道をひた走っていた。

 太陽が美しい麦畑を照らし出す。


 アニスは馬の速度を少し落としてザニバルと並走する。

「騎士様はナヴァリアは初めて? 私のナヴァリアはいかがかしら」

「大軍の会戦に向いた地形だ。麦畑は部隊を伏せるのにもいい」

 ザニバルは油断なく周囲を確認している。


 景色への誉め言葉を期待していたらしきアニスはくすりとしてから、

「ナヴァリアはこの美しい麦畑が自慢の一つですのよ。もちろん収穫もすばらしいですわ。ねえ、騎士様——そう、騎士様のお名前をまだお伺いしていませんでしたわ」


 問われたザニバルは考え込む。このアニスがなぜ恐怖を匂わせないのかしばらく近くで調べてみたいが、ザニバルを敵視している彼女に名前を明かせばそうも行かなくなるだろう。

「俺は—— 暗黒騎士の——」

「暗黒騎士の?」


「——暗黒騎士の敵、デル・アブリル」

「デル・アブリル様、ザニバルの敵でしたのね! 頼もしいですわ!」

 アニスは目を輝かせる。


<まだそんな名前を憶えてたのかい。ったく、さっさと忘れちまいな>

 ザニバルの魔装に宿る悪魔バランが文句を言ってくる。ザニバル以外には聞こえない心の声だ。


<ううう、だって名前とか考え付かないし>

<暗黒騎士の名乗りを上げればいいだろが。どうせ領地を奪う相手だぞ>

<だって……>


 陽がさらに昇って麦畑を鮮やかな光で染め上げる。

 収穫の時が迫り、麦は豊かに実っている。


 一行は風を切って街道を駆け抜けていく。 

 夏とはいえ早朝の風は涼しい。麦と土の匂いだ。

 

 前方に大河が迫ってきた。

 街道は川下と川上に分かれる。

 看板が立っていて、川下の道は港行き、川上の道は州都行きとある。 アニスは川上へと道をとった。ザニバルはついていく。


 空は蒼く、彼方には白い雲。

 ザニバルにとっては爽やかすぎてなじめない天気だ。


 アニスは振り返って遠くまで見やる。

「暗黒騎士は見当たらないですわね。先を越せましたわ!」

 ほっとした顔だ。その暗黒騎士はアニスのすぐ側にいる。


 大河に沿った街道を上っていく。

 街道脇に石塔が見えてきた。五階建てぐらいか。防衛用としてはかなりしっかりした造りだ。

 塔の上には奇妙な人形のようなものが飾られていた。まるで黄色い果物に大きな目を付けて手足を生やしたような形だ。緊張感を欠片も感じさせない。


「あれって?」

 ザニバルはいぶかしむ。戦闘用には見えないが、他に実用的な用途があるとも思えない。


「ナヴァリア州のゆるキャラ、メロッピですわ!」

 アニスは胸を張って自慢のポーズをとる。胸の大きさが目立つ。


「ゆるきゃら?」

「ゆるくてかわいいでしょう!」

 ザニバルには意味が分からない。


「なんで塔の上にいるの?」

 警戒しながらザニバルは近づく。


 如何なる仕組みか、塔の上のメロッピが自動的に踊り出した。塔からゆるいメロディが流れ出し、上から垂れ幕が下ろされる。

 垂れ幕には「ナヴァリア新名物のマルメロは甘酸っぱい恋の味」と大書されていた。


「マルメロは最高に美味しいんですのよ」

 塔の一階には「道の塔」と看板が掲げられ、果物売り場になっていた。

 そこに並んでいる黄色い果実がマルメロということらしい。

 売り場は無人で、お代を置いていけばいいようだ。


 客は誰もおらず、そういえばここまで人を見てもいない。

 楽しげなメロディがもの悲しく聞こえる。


「……客がいないよ」

「みんな、マルメロの良さを知らないだけですわ。メロッピ人気でマルメロは有名になって、みんな美味しさの虜になりますわ!」

 アニスは疑いもなく断言する。


 ザニバルは既視感を覚えた。

 かつての戦で若い貴族の指揮官が作戦を立てた。ザニバルが作戦の穴を指摘しても聞く耳を持たず、出撃したらやはり穴を突かれて大敗した。

 アニスの真っ直ぐな眼はあの時の指揮官とよく似ている。


 不吉さを感じながらも、塔を過ぎてさらに先へと進む。

 街道のところどころに同様の塔があった。やはり無人で、果実が売れている様子もない。


 村が点在している。しかし人の気配には乏しい。

 豊かな畑が広がっている割に人がいないのはどうしたことだろう。

 民が戦で失われたのか、自ら逃散したのか。


 一行は駆け続けて、太陽が中天に差し掛かる。

 街道は谷の中へと続く。

 川は細くなり、左右には森。

 古そうな木造りの民家がぽつぽつと建っている。

 見るからに田舎だった。

 帝都とのあまりの違いにザニバルは目を疑う。

 まさかこれが州都なのか。


 坂道を上っていくと、前方に城が見えてきた。

 白く真新しそうで、そしてザニバルが見たこともない奇抜な形をしている。どうやら上から見れば五芒星のように見える形のようだ。

 斬新すぎて、大きすぎて、ザニバルにはどうにもこの田舎な景色と釣り合わない箱だと思えた。


 城館を囲む城壁がないのも変だった。

 このナヴァリア州は連合王国と国境を接しており、先の戦争でも大規模な会戦が行われた。今は和平が成っているとはいえ束の間にすぎない。

 この谷からさらに上っていけば連合王国との境界となっている山脈だなのだ。帝国と連合王国が要塞を築いて今もにらみ合っているはず。


 この城砦は戦争に備えていないのか。だったら何のためにあるのだ。

 ザニバルは自分の拝領した土地がどうもまともではないように思えてならない。


「この城、変わっている……」

 ザニバルの兜から黒い瘴気が漏れる。


「ナヴァリアが誇る新たな星、芒星城ですわ! 戦いが終わった今、芒星城が州民の心の拠り所となり、人をつなぎ、州を富ませ、未来を描くのですわ!」

 アニスが高らかに宣べる。ザニバルは無言になった。


 城に近づいていくとヘルタイガーが耳を立てた。警戒している。

 城門の前でなにやら騒ぎが起きているようだ。


「ゴニ!」

 アニスが急いで駆けていく。

「アニス様!」

 騒ぎの方から返事がある。


 背が低くて緑色の肌を持つ魔族が、人間たちと争っている。ゴブリンだ。簡単な鎧をまとい、短剣を提げて武装している。

 ザニバルはヘルタイガーで飛び込もうとして、しかし動きを止める。


 下馬したアニスがゴブリンと親しげに話を交わし、人間の男たちとは向かい合っている。


 ゴブリンといえば魔族だ。人間が支配するこの神聖ウルスラ帝国において魔族は連合王国に与する敵。ザニバルも戦争では多くのゴブリンを屠ってきた。


 ゴブリンはその小ささから侮られることも多い。弱く愚かで醜い化け物と思われている。

 確かに魔法で生成召喚される即席のゴブリンは頭が悪くて美しくもない。だがそれは安い術式で作られた仮初の生命だからだ。

 本物のゴブリンは醜くも愚かでもない。森や迷宮ではその小さな身体を活かした恐るべき戦士となる。


 人の集まりは、商人らしき男に率いられた荒くれ者たち。

 対するゴブリンはアニスを守って壁となる。


 小さなゴブリンの少女は緊張した面持ちで、

「アニス様、ご首尾は?」

「ごめんなさい、ゴニ…… 失敗ですわ…… 陳情しましたけれど、補助金をもらえるどころか、皇帝はナヴァリア州をあの暗黒騎士にくれてやるそうですわ……」


 そこに商人の男がにやにやしながら寄ってくる。ゴブリンの少女、ゴニが短剣に手をやる。


 商人はわざとらしく一礼した。

「これはこれは領主様、どうですか。借金返済の算段はつきましたかね」


 アニスはきっとした顔になる。

「ラミロ…… 今はお金はありません。でも必ず返しますわ!」

「ほうほう、いつ、どこで?」

 商人ラミロからの問いにアニスは窮する。


 ラミロはいやらしい笑いを浮かべた。

「期限までに返せなければナヴァリア州を全部いただきますよ。でもその前に担保を取っておかねばね。物も金もないなら、そうだ、アニス様に来ていただきましょうか」


「領主様に無礼な!」

 ゴニが怒りの声を上げて短剣を抜く。


「金を借りといて返さねえのがわりいんだよお!」

 荒くれ者たちが剣を抜く。

 一触即発の事態だ。


「デル・アブリル様! 」

 アニスがザニバルに助けを求める。


 ラミロもザニバルに目をやった。

「おやおや、用心棒ですか。しかしこちらには切り札があるのですよ。暗黒騎士殿、お願いします」


 ラミロの呼びかけに応じて荒くれ者の中から黒い甲冑の男が歩み出た。

 ラミロが紹介する。

「ふふふふ、この方こそはかの高名な暗黒騎士、デス・ザニバル殿なのです!」

「がははは! 俺は地獄の戦士ザニバル! 無敵の俺様にかなう奴などこの世に存在せんわ!」

 ザニバルと名乗った男は汚いひげ面で下品に笑う。


 アニスの顔色が変わる。

「まさか、ザニバルに先を越されていただなんて……!」


 ゴニが偽ザニバルをにらみつける。

「こいつがザニバル? やっつけてやる!」

 ゴニは短剣で斬りかかった。だが偽ザニバルは大剣を抜いて短剣を弾く。

 ゴニの小さな身体は吹っ飛ぶ。


「ゴニ!」

 アニスが駆け寄る。倒れたゴニは口から血を吐く。


「さあさあ、怪我をする前に大人しくついてきなさい」

 ラミロは蔑みの目を向けてくる。


 そこに燃え上がるような音が響き渡った。

 人もゴブリンも音の方に眼をやり、そして動きを止めた。


 禍々しい闇が渦巻き噴き上がっている。

 その中心には黒い鎧兜の騎士がいる。

 闇はその騎士の鎧兜からあふれていた。


 騎士は歩み、迫ってくる。

 昼だというのに闇が膨れ上がっていく。


 荒くれ者たちやゴブリンは恐怖で竦み上がる。

 あまりの恐ろしさに声も出ない。


 偽ザニバルも震えあがっている。


 闇の瘴気を漏らしている兜から、言葉が発された。

「貴様が、ザニバルだって言うの……?」


「そ、そ、そうだあ!」

 偽ザニバルは悲鳴のように言う。


 ザニバルは偽ザニバルの剣をつかんだ。

「ねえ、ザニバルだったら、今まで何をしてきたか教えてよ…… 本物だったら言えるよね?」


 偽ザニバルはがくがくと震えながら、

「ざ、ザニバルは、いや、俺は、東ウルスラで龍をやっつけて、西では魔女の将軍を倒して、そ、そうだ、十年前の、帝都で、魔族を女子どもまで皆殺しにした、血も涙もない悪魔」


「悪魔…… そう、あのとき悪魔になるって誓った……」

 ザニバルは剣を握りしめた。

 剣はあっさりと砕かれて二つに折れる。


 偽ザニバルは剣の柄を捨てて、

「きょ、今日は勘弁してやる! 次はザニバルの恐ろしさを思い知るぞ!」

 一目散に逃げ出す。


「お、覚えてなさい!」

 ラミロや他の荒くれ者たちも慌てて逃げていく。


 争いは終わった。

 アニスは晴れ晴れとした顔で叫んだ。

「ザニバルを追い払いましたわ! ああ、ありがとうございます! アブリル様はナヴァリアを救った恩人ですわ!」


 ゴニは恐怖に竦みながらもザニバルをにらみ、つぶやく。

「暗黒騎士……」

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