Report 3 魔術のホームスクーリング(2)


 ――AM: 10:15 呪文学(座学)


「従来の魔術は、一つの術を行うだけでも大変な苦労を強いられました。聖別や供物などといった儀式の前準備。難解にして長大な呪文。それらは魔術の敷居を高くして、新参者の参入障壁となったのです。けれどもリチャードソンは精霊術を開発するにあたって、そのような魔術の特権性を取り払うために、もっと簡略化され、誰でも学べるようなものにしたいと考えました。そうしてできあがったのが、『現代実践プラグマティック・魔術マジック Pragmatic Magic』なのです」


 ホワイトボードの前に立って講義する徳長。

 賢治は、真剣な表情でノートを取っていた。


「昨日賢治くんが詠唱した《ファイアボール》や《スタン・フラッシュ》といった呪文、あれらは全て『現代実践魔術』において発明された『現代呪文モダンスペル Modern Spell』なのです。この授業では使えるかどうかはともかくとして、中学レベルの基本的な現代呪文を覚えてもらうことになります。教科書の22ページを開いてください……」


 だが話題が、賢治にとって以前より興味関心のあったものから暗記的な内容になってきた途端に、睡魔が襲い始めてきた。やがて教科書の上に今にも突っ伏さんばかりに、頭をぐらぐらとさせる。


(……う、うう。やっぱり、昨夜はしっかり寝ておくべきだった。昨日一日に起こった怒濤の出来事の疲れがドッと今になってキている)


 遠くで聞こえる船長の挨拶。机は港。教科書は船。ホワイトボードの海。賢治は客室の中でまどろみ、船出の時を待つ。……


「――船旅へ出るには、まだ早いですよ」


 耳元で囁やかれた。

 電気でも走ったかのように、賢治は背筋をピンと正す。

 すぐ後ろに徳長が立っていた。


「……すみません」


 そのとき、賢治の視界にこちらを見ている桐野の姿が目にはいった。

 筆箱につけられた逆十字のロザリオのようなキーホルダーをいじりながら、とびっきりの軽蔑の視線をこちらに投げかけている。


(バカじゃないの?)


 そういう風に、脳内へ直接罵られたかのように錯覚した。


(……しんどい)


「まあ、こればかりは言葉でアレコレ説明するよりも、実際に見たりやったりした方が、理解するのが早いでしょう。それはお昼後の演習でやりますので、それまでがまんしてくださいね。

 ――では、少し目が覚める話をしましょうか。賢治くんは哲学者であるカントの『格律かくりつ』という概念はご存知ですか」


 『格律』という言葉を聞いて、賢治の目に光が宿る。


「もちろん知っています。自分の行動を律する原則のことです」

「そうですね。私たちは生きているうちに、『うそをつかない』『他人に優しくする』『人のものを勝手に使ってはいけない』といった自分の行動に、一定のルールを自然とつくるものです。しかし、決まりといっても自分でつくるものですから、その中には『バレなければうそをついていい』『催促されなければ、いつまでも他人のものを借り続けていい』などといった自分の利益だけを考える、利己的なものも存在します。他人と諍いを起こさないためには、そういう『自分さえよければいい』といった決まりは選ばず、より他人と協調できてかつ自分を成長させていけるような決まりを選ばなくてはなりません。哲学者のカントは、これを格律と呼んだのです。ここまでの話は、汎人界の高校の倫理で習うレベルのお話ですね。

 さて、ここからは術師界のお話。元々カント哲学に関心を持っていたリチャードソンは、この格律という考え方が精霊術でも通用するのではないかと考えたのです。そうしてリチャードソンは術師が術を行使するとき、『霊的格律サイコ・マキシム psycho maxim』という自分なりのルールを意識的あるいは無意識的に定めていると考えました」

「霊的格律……」

「霊力場は霊的格律に則って発動されます。この格律がしっかり定まっていなかったり、自分の欲望の赴くままのものだったりすると、力場はとんでもない暴走を起こしてしまいます。そうならないためにも、自分自身の格律がどのようなものかを日々反省することは大切なのです。いわば、自分をコントロールするということですね。

 では、きちんとした格律に則って術を行うとどのような現象が起こるのか。――それはお昼のあとで、桐野さんに実演してもらいましょう」




 ――PM: 1:00 呪文学(演習)


 客間の障子を開けると、そこは縁側になっている。

 その目の前には塀が広がっているのだが、そこには片手で開く扉が設えられていった。

 徳長が扉を開くと、立派な竹林が植えられていた。

 賢治たちは徳長の先導で、その中を掻い潜る。

 すると、開けた場所に出た。

 そこには、呪文の的になる看板や力場展開の練習用の円陣などなどが備えられていて、ここが精霊術の練習場であることがわかった。


「うわあ……」


 賢治は、感嘆の声をあげた。

 木々の向こうには、雄大な山並みが広がっていた。この家が、日輪山の麓に建てられていることを実感できる壮観な眺めだった。


「さて。では、これからやることを説明しますよ」


 説明する徳長は、黄色と緑の斑模様まだらもようをした野球ボール大のサイズの奇妙な卵を二つ手に持っている。


「午前中の座学では、『力場を格律によって制御する』と言いましたね。いくら霊力が強くても、コントロールできなければその力は拡散してしまい、思い通りの結果にはならないというわけです。それでは格律で制御すれば、術はどれくらい精確に発現するのか。それをこれから実演してもらいたいと思います。――桐野さん、イソマツくん。前に出てください」


 桐野とイソマツは返事をして前に出る。

 桐野は緑色のローブと三角帽を被り、その右手には伸縮型の杖が握られていた。魔装した状態である。

 イソマツはこれといった魔装はしておらず、上下灰色のジャージ姿であった。

 二人は4メートルほどの距離を置いて、互いに向かい合う。


「それでは桐野さん。〔展開〕して、この卵にほんの少しだけ霊波動を浴びせてください」


 徳長は桐野に近寄り、その奇妙な卵を一つ手渡した。桐野は杖先を卵に当てて、わずかな霊波動を放出させる。

 斑の卵は振動したのち、ふわっと浮かんだのである。


「た、卵が勝手に!」


 賢治が驚愕の声を上げる。

 斑の卵が浮遊し、桐野の周囲をくるくると回っている。


スリコミインプリンティングタマゴエッグスニソクリュウ・ワイバーンの無精卵です。最初に霊波動を浴びせたものを親だと認識し、追尾する性質を持っています。これは大変頑丈で、金づちで叩いても割れません。しかし、親の霊波動が乱れればたちまち割れてしまいます。これから桐野さんには、この卵を携行させたままイソマツくんと術の応酬をしてもらいます。賢治くんは、よく見ておいてください。――両者、力場展開!」


 徳長が合図する。

 桐野とイソマツの両者が一礼をしたのち、霊力場を展開する。

 イソマツは人差し指を相手に向け、拳銃を構えているような姿勢をとっている。

 桐野はフェンシングの構えアンガルドのような姿勢で、杖をイソマツに向けている。サイドウェイ・ポジションと呼ばれるフォームである。


「はじめっ!」


 徳長の合図と共に、桐野が動き始めた。


「《プロテクティヴ・シールド:パイロキネシス!》」


 桐野が右手で杖を構えて、呪文を唱える。彼女の目の前に、淡いマゼンタの光を放つ円陣が出現する。それは盾のように、桐野の正面を加護するかのように浮かんでいた。


「ん? あの呪文、たしか昨日は紫色じゃなかったか?」


 賢治が疑問を口にする。

 あれは昨日、己の《凶ツ弾》による霊力場の弾丸を防ぐのに桐野が唱えた呪文だった。

 そのとき展開された霊力場の色は、薄い紫だったはずなのに、今は淡いマゼンタになっている。


「よく見ておるな。《プロテクティブ・シールド》は特定の術系統を指定して、その系統の術の力場を防ぐ効果があるのだ」


 現世が賢治の疑問に答える。


「系統って?」

「おお、これはすまぬ。精霊術はな、術を行使した際に発生する力場の属性によって識術ESP力術PKメタフィジカルキネシス気術フィジカルキネシス火術パイロキネシス水術ハイドロキネシス地術ゲオキネシス風術エアロキネシス光術フォトンキネシス電術エレクトロキネシス影術シャドーキネシス生術バイオキネシスという、十二個の系統に分類されるのだ。昨日桐野が生成したのは影術シャドーキネシスである《凶ツ弾》を防ぐ盾で、今は火術パイロキネシスである〔バクチク〕に対抗する盾を生成したというわけなのだ」

「なるほど。しかし十二もあるのか……、覚えられるかな」

 

 桐野、左手でイソマツに合図を送る。

 イソマツの拳銃の形をした人差し指から、オレンジ色の閃光が放たれる。〔バクチク〕の光弾だ。

 ドンッ!

 光弾は桐野の円陣に命中した。

 激しく爆発が起こり、桐野の姿が土煙で見えなくなる。


「なっ……! おい、大丈夫なのか!?」


 賢治は、驚いて声を上げた。

 だが現世は「案ずるな。二人ともこの練習には慣れておる」と、何てこともないといった素振りで応えた。

 土煙が晴れる。


(……!)


 現世の言った通り、桐野は無傷でそこに直立していた。《プロテクティブ・シールド》の霊力場の盾も全く乱れがない。


(す、すげー。これが安定した霊力場が成せることなのか……)

「止め!」


 徳長がそう言うと、両者は両手を横に置く。桐野の《プロテクティヴ・シールド》も消滅した。


「自然の運動に逆らわず、かつ自分の意志をしっかりと持つ……。そんな普遍的に妥当し得るような霊的格律によって霊波動を安定させれば、こんなこともできるのです。その証拠に、桐野さんの卵を見てごらんなさい。ヒビ一つ入っていないでしょう?」


 徳長に言われるまま、賢治は桐野の卵を見た。

 卵は全く傷ついておらず、安定した軌道を描いて回り続けている。


「この卵を使った練習を、賢治くんにもやってもらいます。――イソマツくんと交替して、桐野さんに《ファイアボール》を撃ってきなさい」


 賢治は驚愕する。


「ええっ!? こういうのって、最初は的とかで練習してからやるものじゃないんですか!?」

「賢治くん、格律というものは頭でああだこうだと考えるだけでは意味がありません。実際の行動において、つねに反映されなければならないのです。それには実践が不可欠であり、またその格律が実際求められる場面に近い状況でやった方が、その体得は早くなるのです」

「で、でも」

「昨日はできたでしょう? その時の気持ちを思い出せばいいんです。桐野さんの腕前なら私が保証しますし、危なくなったら私が止めに入ります。さ、行った行った!」


 賢治は背中をポンと押されて、イソマツがいた場所まで行く。すれ違うとき、イソマツが「¡Buena suerteブエナ・スエルテ!(グッドラック!)」と言ってウインクする。


「賢治、余り固くなるな。涼ちゃんの言うとおり昨日はできていたのだから、大丈夫なのだ」


 現世が、賢治に近寄って小声で耳打ちする。


「あ、あの時は無我夢中だったし、現世が指示してくれたから……」

「桐野はこの練習に慣れている。だから、安心してぶつかって来い!」


 向かい合う賢治と桐野。

 ――ジロリ。

 桐野の鋭い眼光が、賢治を射抜く。


(……集中しろオレ。朝あんなことがあったって、今は練習の時間なんだから。私情を挟むんじゃないッ)

「それでは、賢治くん。力場を展開してください」


 賢治は「《Expand》!」と唱える。


 ウウウ――ウウウウウン。

 青いローブ。帽子。手にはトネリコの杖。

 かたわらの現世は、赤い本の姿になっている。

 賢治は、昨日と同じ魔装をすることに成功した。


「はい。これ持ってください」


 徳長が賢治に卵を手渡す。

 言われるまま、恐る恐る杖先から霊波動を放出する。

 ブ、ブ、ブ。

 卵が浮遊し、賢治の周囲を巡り始めた。


「できたじゃないか、賢治! その調子なのだ!」


 桐野と比べると不安定な軌道ではあったが、卵は無事に動き始めた。


「よ、よろしくお願いします」


 賢治は、弱々しく礼をする。


「――両者、構え!」


 徳長の合図。力場を展開した賢治と桐野が、杖先を向け合う。

 桐野は、先程と同じサイドウェイ・ポジションのフォームをしている。

 賢治はトネリコの杖を三十センチ辺りのところで握り、正面を向く構えをとっている。どことなく剣道の青眼(中段)に似たそのフォームは、長い杖を用いての戦いを想定した、フロント・ポジションと呼ばれる構えである。


「はじめっ!」

「《プロテクティヴ・シールド:パイロキネシス》!」


 桐野、さっきのと同じ円陣を出現させる。そして、左手で合図をした。


「行くぞ、賢治!」


 現世が声をかける。賢治、杖を桐野に向けて詠唱する。


(オレが今、守らなければいけないこと。それは相手を傷つけないよう、シールドの真ん中にファイアボールを命中させること。……律しろ! その優柔不断な精神を。オレならできる。昨日やれたオレなら、正確に呪文を発動できるはずだ!)


「ファ、《ファイアボール》!」


 ドドドドドドドドン!!

 轟音。爆風が竹林を騒がせる。立ち込める砂煙――


「……」


 賢治の杖先から放たれた大小八つの火球は、狙い通りの方向に向かずバラバラにすっ飛んでいった。いくつかは着弾する前に自爆し、あるいは空中で誘爆を引き起こした。

 賢治は目を皿にして、変わり果てた光景を見る。

 草むらはすっかり焼け焦げ、禿げ山がそこらかしこにできている。砂が舞い飛び、泥山が盛り上がっていた。


「……ゲホッ」


 目の前の桐野は、煤まみれの顔になって咳き込んだ。栗色の髪は乱れ、ローブはあちこちが焦げている。卵は表面が焦げついて、灰色になっている。《プロテクティヴ・シールド》は完全に消滅していた。

 そして、賢治の卵はというと――


「あっはははは! 賢治くん、頭にスクランブルエッグ乗せてどこいくのー?」


 殻が割れるどころか、余りの熱量で一瞬に凝固して賢治の帽子の上に降り注いでいた。黄色と緑の斑模様をした卵焼きの残骸が、ブスブスと焦げている。


「け~ん~じ~……」


 赤い本の中から現世が、哀れむような呆れるような目をして言う。


「……」


 三角に吊り上がった目で桐野は、賢治をギロリとにらみつけた。


「――ご、ご、ご、ごめんなさいっ!!」


 賢治は、顔を真っ青にして頭を下げる。


「……申し訳ありません。私の判断ミスです」


 徳長が言った。エアロキネシスによる緑色の残光をまとう右手で、海松色の着物の煤を払う。賢治の力場の暴走は徳長の予想を遥かに上回るもので、対応が遅れてしまったようだ。


「賢治くんはこれから八日の間、ずっとその卵と一緒に過ごすことにしましょう。普段から霊力のコントロールを意識づけるためには、そうした方がいいです」


 賢治は残り時間いっぱい、力場のコントロールと《ファイアボール》の的当てをやり続けた。それでもやっぱり上手くいかず、卵を二個壊したうえ、看板五枚を破壊してしまった。

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