第58話 白夜


「あなたが拒もうが、僕は人間みんなを“救済”します。僕はあなたを“救済”します。この“救済”の邪魔は、誰にもさせません――!」


 その言葉が、戦闘開始の合図となった。

 ずん――ッ! と、ルークが地面を蹴る。

 人間をはるかに超越した力で石畳を踏み砕き、その反動で前方に射出される。

 数十メートルあったはずの間合いが、一足飛びにつめられる。


「……っ!」


 思っていたよりも――速い。

 突進の勢いそのままに、月光をまとって飛来する白の剣閃。

 俺はとっさに魔剣で受け止め――。


 ぎィン――ッ! と。


 魔剣と聖剣がぶつかり合い、稲妻のような火花が散った。

 そのまま、ぎりりり……と刃が噛み合わされる。


「へぇ……やっぱりすごいですね、テオさんは。人間なのに魔物ぼくの剣を受け止められるなんて」


 ルークが楽しそうに笑う。


「でも、無駄ですよ。あなたがどれだけ人間として優れていても、人間は魔物には勝てない――」


「……っ!」


 すとんっ、と。

 ルークが一瞬で膝を折って、地に這うように体勢を低くした。



「――人間あなたは、魔物ぼくには勝てない!」



 斬り上げ――下から上へとほとばしる純白の剣閃。

 魔物ルークが使うその技は、皮肉にも人間の技だった。


 弱者が強者を喰らうための技。

 地を這う者が、高みにいる者を討ち堕とすための技。

 おそらく、ルークは長年、独自に技の研鑽を積み重ねてきたのだろう。

 だからこそ――。


 ――――重い。


 その聖剣にはレベル以上の重みがこめられていた。


「大人しく救われてください!」


「お前らの“救済”なんてクソ食らえだ!」


 俺は力任せに魔剣を振るい、ルークを剣ごと弾き飛ばした。


「……っ!? ……く……ッ!」


 ずざざ……とルークが後ろにすべり膝をつく。


「今の僕が競り負けた……? な、なんで……? お、おかしいじゃないですか……! 僕は魔物になった! 強くなったんだ!」


「……目を覚ませ、ルーク。できれば、お前は斬りたくない」


 しかし、ルークに俺の言葉は届かない。


「ああ、そうだ! 僕はまだ魔物の力を充分に使いこなせてないんだ……! もっと、もっと……強くなるんだ……!」


 ルークがさらに紫炎を噴き上がらせながら斬りかかってくる。


「はぁッ……ぁあああァァ――ッ!」


 聖剣による高速の剣撃。

 その一太刀一太刀が――重い。

 全ての剣に、人間の技の重みがこもっている。


「……っ」


 ルークは“技”を知っている。

 打撃を、斬撃を、刺突を、カウンターを、防御を、回避を、足さばきを、目付けを、牽制を、つなぎを、フェイントを、間合いを、ありとあらゆる駆け引きを――知っている。

 人間の技を使う魔物。レベル以上にやりにくい相手だ。


「……剣を下ろせ。これ以上、お前と戦いたくはない」


 しかし、ルークに俺の言葉は届かない。


「ぐぅ……ッ! なんで……! なんで、届かない! 僕は強くなったんだ! もうなにも奪われないぐらい強く! みんなを守れるぐらい強く――ッ!」


 剣で斬り結ぶたびに、ルークの禍々しいオーラは増幅していく。


「……そこをどいてくれ。お願いだから」


 しかし、ルークに俺の言葉は届かない。


「“救済”を……“救済”をするんだ……! 僕が人間みんなを救うんだ! だから、もっと……もっと力を……! みんなを救うための力を……!」


 顔に刻まれた黒い紋様が、じわじわと侵蝕されていく。


「力だ……! もっと力を……! もっと……! もっともっともっと――ッ!」


 ルークがどす黒い炎で覆われていく。

 より強大な魔物になっていく――。


「ぼぼ、僕は強くなるんだだッ! 強くッ! 強くッ! 強くくッ! もうなにも奪われないぐらい強くくくッ! みみみんなを守れるぐらい、強く――ッ!」


「よせ……! それ以上は、心まで人間に戻れなくなるぞ!」


 しかし、魔物ルークにはもう、俺の言葉は届かない。



『……テオ、わかってるでしょう? もう、とっくに会話になってないわ』



 フィーコが淡々と告げる。


『無理やり魔物にされて、肉体に心がついていけてないのね。救おうとしている人間あなたに対して――“食欲”を感じているはずよ』


 ルークの目がぎらぎらと血肉に渇いていく。

 もしかしたら、“救済”にこだわるのもこれが理由の1つかもしれない。

 “救済”して魔物にしなければ、守るはずの人間たちに食欲を向けてしまうから。


「…………そう、だな」


 これ以上の対話は、無駄だ。

 時間が経てば経つほど、ルークは人間ではなくなっていく。

 人間の脅威となっていく。


 このままでは、ルークはすぐに、ただの人食いの魔物になってしまうだろう。

 だから――。



「わかった……もう終わりにしよう、こんな戦いは」



 俺も静かに魔剣をかまえ直した。

 今度は守るための構えではない――魔物を狩るための構えだ。


「ぼ、ぼぼ僕が……みみみんなを救うんだだ……ッ! ぼ僕はは、“勇者”になるんだだ――ッ!」


 ルークもそれに応じるように、聖剣をかまえる。

 どれだけ狂おうと、ルークの表情に浮かんでいるのは――善意。

 優しく、正しく、美しく、俺を“救済”しようとしていた。


 せめて、俺に敵意を向けてくれたらよかった。

 そうすれば、斬ることにこんなにも迷う必要はなかったのに――。



「「はぁあああ――ッ!」」



 そして――たんっ、と俺たちは同時に地を蹴った。

 魔剣と聖剣が、振り抜かれる。


 ぎィン――ッ! と。


 黒と白の剣閃が、火花を散らし――交差する。

 そのまま、互いに剣を振り抜いた体勢で固まった。

 永遠に思えるような一瞬の静寂。そして――。



「…………残念だ」



 俺の背後で、ルークの胸から黒い血飛沫が上がった。


「……ぇ……?」


 ルークは俺のほうを振り返ろうとして、そのまま仰向けに崩れ落ちる。

 当然の結末だった。

 俺のほうがレベルが高く、技術も経験もあるのだ。

 俺が勝とうと決めた瞬間、もうこの戦いは終わっていた。


「……どうしてこうなったんだろうな。俺たちは同じものを求めていたはずだったのに」


 お互いに自由を求め、冒険を求め、人間の解放を求めた。

 もしも出会い方が違っていたら、あるいは……。

 一緒に冒険する仲間にだって、なれたのかもしれない。


「ま、まだ……う、動け……僕が……守るんだ……」


「……無駄だ。心臓を斬った。不死魔物アンデッドのお前でも致命傷だろう」


「な、なぜ……ぼ、僕は強く……強くなったんだ。それなのに……どうして、人間に……勝てないんだ……」


 なぜかなんて、そんなのは決まっている。


「それが人間の力だ」


「……え?」


「お前は人間の天恵を――【レベルアップ】を知らなかった」


「に、人間の天恵……?」


 ルークが俺の右手の甲を見る。

 そこに刻まれているレベルは――。


「……レベル68……?」


「ああ。俺たち人間は、魔物を殺すことでレベルを上げることができるんだ。人間は世界最弱なんかじゃない。世界最強にだって至ることができる種族なんだよ」


「…………そう、だったんですね」


 ルークが泣き笑いのような複雑な表情になる。


「ああ……魔物になんてならなくても、人間はちゃんと強かったんだな……」


 ルークの目から涙がつたい落ちる。


「テオさん……最後に、教えてください……人間は、魔物に勝てますか……?」



「――勝てる」



 断言する。


「俺が勝つ。必ず勝ってみせる」


「……そうか……よかった」


 ルークはそう言うと。

 最後の力を振りしぼるように、聖剣をこちらに差し出してきた。


「……この剣を、あなたに……託します。これは、きっと……あなたが持っているべきものだから」


「この剣は……」


「結界を張る力を持つ聖剣……白夜ノ剣です……」


 差し出された純白の聖剣を、受け取る。

 ただ持っているだけで、凄まじい力を感じる剣だ。



「どうか、その剣で――人間みんなを、魔物ぼくたちから救ってください」



 どれほどの決意を込めて、その言葉を告げたのだろうか。


「…………ああ。その依頼、引き受けた」


 俺がそう言うと、ルークは安心したように全身から力を抜いた。

 俺は魔剣を地面に突き刺すと、聖剣を夜空へと掲げる。


 不思議と使い方はわかった。

 聖剣に魔力を込めると、剣身から太陽のような閃光がほとばしり――。

 ぱぁぁぁ……と、都市全体に優しい光が広がっていく。


 この夜が、白く染め上げられる。

 まるで――白夜。

 町に黒くこびりついていたグールたちが、さらさらと塵になって消えていき、そして――。



「……あり、がとう…………勇者……」



 側にいたルークも、やがて塵となって消滅した。

 レベル刻印の光が、俺の右手の甲へと吸い込まれ――。

 かちり、とレベルが上がる。



「…………討伐完了だ」


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