Episode295 修学旅行三日目 ~あらあらクマさん こんにちは~

「――……大丈夫か?」


 お面の奥で、しっかりと目と目が合った。だから間違いようがなく彼は私へと、その言葉を発している。

 小学校を卒業する前に一度だけ見たその相貌。艶やかな黒い髪をサラリと揺らした、怜悧な美しい顔。


「あ……」

「ん? なに? 人にぶつかりかけたのって、そんなびっくりするほど? てかウケんね、お面して札幌散策」


 間近にいるその存在――それまで白鴎に隠れて見えていなかったもう一人が、笑いを滲ませた声で彼の後ろからひょっこりと顔を出した。ジーザス。


「……お前ぶつかった?」

「いや、ぶつかってはいないが……」


 私の反応がないことに秋苑寺が首を傾げて白鴎に問い掛けているが、もちろん本当にぶつかりかけただけなので、問われた白鴎も少々困惑気味の反応を返すだけ。私はもうどうすれば良いのか分からない状態だ。

 思考停止、心肺停止。いや心肺停止しちゃダメだが、そのくらいの特大衝撃を受けていることを皆まで言わずに察してほしい。


 ……何で何で何で何で!? どうして!?

 札幌広いじゃん! 行く場所いっぱいあるじゃん! 何で何もない普通の通りで! よりにもよってな奴らに遭遇するかなああぁぁぁっ!!?


 恐れず向き合うと決めているせいか、それとも万が一の可能性を頭の隅っこに欠片ほど残していたせいか。いきなりバッタリなこの状況であっても救われるべきことに、脳内だと元気に文句を言える精神状態ではあった。

 そして現状私は秋苑寺が先ほど言ったように、クマさんお面を被ったリリーベア。……そう! クマさんのお面で楽しく修学旅行を謳歌している、浮かれたただの香桜生なのだ!!


 宿敵ズを前に己を奮い立たせるため、フンスと鼻を鳴らしてようやくの対応を開始する。


「あ、の。ぶ、ぶつかりかけて本当にすみませんでした。きゅ、急なことで驚いてしまいまして、固まってしまったのです。本当にお怪我されずに済んで良かったです。ではすみません、私はこちらで失礼させて頂きます」

「あれ? 街中でそんなお面して歩いてんのに、対応は普通にまともじゃん。てか今一人? 迷子になってんの?」


 失礼すると言ったのに初対面の他校生に失礼なことをのたまったあげく、人を迷子呼ばわりしてくる秋苑寺。

 私はここで無視して去れるほどの失礼さは持ち合わせていないので、内心早くここから逃げ出したいながらも続けて対応した。


「いえ、迷子ではありません。仲間とはぐれてしまっただけです」

「あのさー、それを迷子って言うんだけど」


 ちゃんと返したつもりがやっぱり不測の事態に思考が迷子状態になっていて、秋苑寺から呆れ混じりに突っ込まれる。

 そして白鴎が何故かジッと私を見ていたかと思えば、彼は思いも寄らないことを言ってきた。


「はぐれた時の集合場所はちゃんと決めているのか? 俺たちはまだ男子だからアレだが、女子一人……しかも香桜女学院の生徒だろう。国内であってもあまり知らない場所で令嬢が一人のままだと危険だ。俺たちは特に行く場所も決めず適当に歩いていただけだから、君の連れと再会するまで付き添うが」

「!?」

「まあ目ぼしいところはもう行ったし、俺もそうして良いけど?」

「!?」


 何で!? 内心はどうだか不明な軟派チャラ男の秋苑寺はまだしも、どうして白鴎まで…………いや。

 乙女ゲーの“白鴎 詩月”のことを思い出す。


 彼は婚約者の“百合宮 花蓮”のことが疎ましくて嫌いだっただけで、他の女子に関してはヒロイン空子以外には特に正も負も抱いていなかった。だから迷子(ではないけど)な他校生の女子に対しても、常識に則った普通の対応をしてきたのだろう。


 制服で香桜女学院の生徒ということは認識されてしまった。

 香桜女学院イコール聖天学院に通っていない上流階級の令嬢ということで、お互い名乗らないまでも同じく上流階級に位置する人間だから、私が相手のことを知っている前提で言ってきたのだと推察する。『白鴎家と秋苑寺家の子息は、迷子になっている香桜生を見掛けたのに放置した』という負の評価を避けるために。


「……こういう時のために、学院でお互いの位置情報が把握できるアプリを携帯に入れさせられております。ですから付き添って頂かなくても大丈夫ですので、ご安心下さい」

「なら連れが今どこら辺にいるか、この場で確認してくれ」

「そうそ。結構ここから場所離れてたら、俺らの付き添い決定だからね~」

「ぐっ。ちょ、ちょっと待って下さい。いま確かめます!」


 白鴎は明らかに善意で言っているのだろうが、秋苑寺に関しては雰囲気で嫌がっている私のことを見てニヤニヤしながら、嫌なことを言ってせっついてくる。何なのコイツ!?

 取り合えずアプリは起動したまま画面だけが落ちていたので、再び点灯させて確認するが、映し出されているとんでもない現実に思わず目がかっ開いてしまった。


 ――めっさ離れてる。というか、最初に別れた二人まで何かバラけているんですけど。え。


 画面を見てカチンコチンになった私。そしてその頭上と横から勝手に覗いて確認してくる宿敵二人。


「離れてるな」

「離れてんね。てか遠ざかってない? 探されてなくてウケるわ」


 マジで秋苑寺コイツ! コイツ!!


 麗花と桃ちゃんまで何故離れてしまっているのか謎だが、きくっちーに関してはまだロッテンシスターに追われたままだからだということは察せられる。

 一番近いのだと位置的に多分麗花か桃ちゃんのどっちかで、それでもここから近いとはとても言えない。


「ほ、他の子たちでも……!」

「はぐれた連れの位置が把握できるなら、こっちが追い掛けた方が良いだろう」

「相手もやっと探し始めたのに、アンタが向かわず遠くに行ったって発覚して連れちゃんたちの迷惑になるよりか、俺もそっちの方が良いと思うけど」


 秋苑寺お前はもう黙っとれ!!


 何とかしてこの二人と別れたいのに、どんどん退路を断たれて目の前が真っ暗になりそうだ。そして真っ暗になりかけていたせいで、手からひょいっと簡単に携帯を奪われてしまった。


「あっ!」

「ほらほら早くいこーよ。こうしてる間にまた離れてるし。てかアンタの連れも何してんの? 修学旅行で鬼ごっこ?」

「晃星」

「俺ってば地図読むの得意なの。ひっまつっぶし、暇潰し~♪」


 そう言って迷子扱いした挙句、暇潰しと宣い出して歩き始めた秋苑寺の背中に向けて怨波を送りまくる私の空いた手に――――手が触れてくる。

 ギョッとして見るとどういうことなのか白鴎に手を繋がれていて、私が何かを言う前に秋苑寺の後を追うようにして歩き出されてしまった。


「ちょ、ちょっと!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げた私にチラリと一瞬だけ視線を寄越し、特にどうとも思っていないような表情で白鴎は坦々と告げてくる。


「俺たちとまではぐれたら洒落にならない。携帯は晃星が手にしているし、仕方ないだろう」


 仕方ないとか言う以前に、あの失礼極まりないチャラ男から携帯取り返してくれたらいいだけの話でしょ!? コイツも何言ってんの!?

 そしてそんなやり取りが聞こえたのか振り返った秋苑寺も少しだけ目を見開いて、驚いているという様子を見せてくる。


「……めっずらし。あ、分かった。俺らんトコの女子っぽい女子じゃなくて、クマ子だからだ!」

「お前は早く地図見て探して歩け。いつまでも一人だと、彼女も心細いだろうが」

「はーいはい。ちゃんと後ろ付いて来てよ~?」


 前に向き直り、一歩前を歩く背中を歩幅二歩分ほど開けて追う私と白鴎。

 一体これはどういう状況なんだと声を大にして言いたくなるような状態だが、今すぐコイツらと別れたいと変わらず思っていても、どうしてか私の心は落ち着いていた。


 確かに初めは思考停止の心肺停止しかけたが、小学生の時に白鴎に対して抱いた理由が分からないほどの恐怖心は、不思議と私の中に再来していない。


 クマさんのお面を着けたリリーベアで、相手側からは“百合宮 花蓮”だと分からない姿ということを意識しているからだろうか?

 それとも白鴎と二人きりではなく、この場に秋苑寺もいるから?


 思えば同編攻略対象者のライバル令嬢役なのに、私は幼い頃に初めて秋苑寺と遭遇しても、白鴎の時のような恐怖心は抱かなかった。

 確かに秋苑寺は“私”を堕とすために私への断罪に手を貸していて、彼のルートの最後では裏で囲い込むような描写があったので、「ヤダ怖い! そんな未来イヤ!」とは思ったが、それだけである。


 白鴎ルートでは断罪されて婚約破棄されて、一家路頭に迷わされる。だから客観的に見ると、どちらかと言えば“私として”の恐怖は、秋苑寺の方にあると思うのだが……。

 チラリと隣に顔を向ける。すると、すぐに目が合った。


「どうかしたか」

「えっ。いえ、あの、えっと……こ、こうやって歩くの、他の聖天生の皆さまから誤解されませんか? お二人とも、上流階級では高名なお家のご子息ですし……」


 普通に「何でもない」と返せば良かったのに、思考迷子中の私の緩い口から咄嗟にそんな言葉が飛び出してしまった。

 いや、うん。この二人といるのに、そういう周囲の目を気にする余裕さえも出てきている。


「連れとはぐれて一人でいる他校生の女子生徒の付き添いをしているくらいで、騒ぐ方がおかしい」

「いや、お前はぜぇーったいに目撃されたら噂されるね。俺でさえ騒がれるかもだし。まあ相手がクマ子だから、変な感じで別の意味で騒がれるかもだけど? それに俺らの中でこういうのして騒がれないのって言ったら、春日井くんくらいでしょ。つか俺喉乾いたわ。一旦どっか入って休憩しない?」


 そんなことを言う奴の視線の先にあるのは私の携帯ではなく、洒落た外観の喫茶店。

 おい秋苑寺お前ホントふざけるなよ。


 ダラッダルなマイペースチャラ男が途中休憩を所望したせいで、白鴎からも「歩き通しで疲れたんじゃないか?」といらん気遣いをされ、人質ならぬ携帯質を取られている私は宿敵たちに囲まれたまま、すぐそこにあった喫茶店で最悪の足止めをされることになった。

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