Episode294 修学旅行三日目 ~ねえねえウサギさんどこ行くの?~

 通行人に気を付けながらそれでもスピードを緩めずに走っていたが、撫子の位置情報がとある場所で止まったままなのを少し前から確認して、改めてそこがどこかと一旦足を止めて画面と現実の景色を見比べる。

 それまでは建築物が多くあったのが、ここら辺りで商業施設などはあまり見掛けなくなっていた。どちらかと言うと木々が多く見えるようになってきて……。


 まさか有明生の大群がその場所で固まっている訳がないとは思いつつ、だったら何のために撫子をそんなところまで連れて行ったのかと考えるが、こんなところでずっと思考していても儘ならない。やはり一刻も早く彼女の元へと辿り着かなければ――。

 そうして今一度走り出そうとした私の肩に、グッと力が掛かった。


「――待って!」


 肩に突然の負荷が掛かったのと殿方らしき声がすぐ近くから聞こえてきて、一体何者だと咄嗟に振り返り――――心臓が止まるかと思った。

 乱れた髪を払ってハァと息を一つ吐き、やっと捕まえたという体で彼――春日井さまが私を心配そうな眼差しで見つめている。


 え、何故。何故この人が……っ!? 何!?

 何でそんな顔で“私”を見てくるんですのっ!? というか何で貴方がここにいますの!!?


「また何かあった? 詳しくは聞いてないけど、陽翔が言っていたから」

「!?」


 陽翔!? 何で緋凰さまのお名前までがここで出てくるんですの!? 意味不明の極致ですわ!?

 というか、肩! 初等部時代の貴方は、こんな風に自分から女子に触れてきたことなかったでしょう!?


 まさかの限りなく低い可能性が起こって、そんな場合じゃないのに混乱して石像のように身体も思考も衝撃で固まっていると、私の視界にもう一人の人物が映った。そしてその人物が誰か判って、私の心は歓喜の悲鳴を上げる。

 忍! 忍じゃないですの! お久し振りですわ忍助けて下さいませ!!


 春日井さまの少し後ろに佇んでいるが、私が心の中で必死に彼に向けて救助要請を出していると言うのに、その場で微動だにもしない。何故ですの!?


 しかし私はそこで今の自分がしている格好にハッと気づいた。

 そうですわ……。今の私はウサギのお面を着けた、ロッサウサギでしたわ……!


 だから二人とも私が“薔之院 麗花”だとは気づいていない。

 え、だったら何で声を掛けてきたのか。それも何故か追い掛けられていたっぽい。


 けれど兎にも角にもこんなところで油を売っている場合ではなく、思わぬ再会を果たし向き合うと決めた人物が目の前に現れたとしても、いま優先すべきことは別にある。

 私はこのまま自分が薔之院 麗花とは悟られない方向で、彼等のことを振り切ることにした。


「か、肩をっ、離せぴょん……っ!」


 言った瞬間、お面の内側で顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

 あああああ! 薔之院家の娘がこんなことを口にしなければならないだなんて……!


「あ、ごめん。こっちもちょっと予想外に足が速くて必死だったから。えっと、ね……いや、この場合はウサ宮さんって呼んだ方がいいのかな? あ。彼なんだけど、いま一緒に行動しているんだ。それでそんなに急いで何があったの? それにまたクソとか言っているのが聞こえたけど。何回も言っているけど、ご令嬢なんだからクソとか言っちゃけないよ」


 何なんですの!? 何でそんなことを言われなければなりませんの!? いえ、確かに花蓮の呼び方に釣られて感情のまま口に出した私が悪いのは明白ですけど! ……えっ、アレを聞かれていましたの!!?


 愕然として目を剥きながらも、しかし話し掛けてくる彼の口振りから何となく察せられた。

 絶対に私を誰かと勘違いしている。それにこういうお面を着けて、街中を走る香桜女学院の生徒の知り合いが彼にいることが分かった。……あんな風に自分から肩に触れて、親しくしているご令嬢が。


 何故か心がズキンと痛んだような気がしたけれど、お面がズレないように手で触れて一歩後ろに下がる。


「いま、急いでるぴょん。説明してる暇ないぴょん。もう行くぴょん」


 くるりと振り返って再び走り出すが、何故か少し後ろに付いたまま追ってくる足音が聞こえてくる。


「付いてくるなぴょん!」

「いつも頼ってくるのに何で今回だけそう拒否されるのか分からないけど、危ないことに巻き込まれているのなら放っておける訳ないじゃないか! 一応僕たちそういう仲ではあるだろ!?」


 知りませんわよどういう仲ですの!!

 ああ嫌だ……っ! そんな場合ではないのにまたグルグルしてくる。


 これ以上彼の口から私の知らない誰かのことを聞きたくない。向き合うと決めているのに、その決意がどうしてかしぼんでいく。

 彼と特別に親しくしているご令嬢がいても、別に私には関係ない。だって私が彼と向き合おうと決めたのは、この訳の分からないグルグルと決別したいからで。いつまでもこんな気持ちに振り回されたくないからで。


 ――彼に傷つけられて怯えたままの幼い自分が、今も私の中にんでいるからで


 彼はちゃんとあの時、私にってくれたから。

 今更でもちゃんと、私を見て認めて、謝ってくれたから。だから私は――……。


 何故か視界が滲みそうになるのを堪え、気持ちを切り替えるためにサッと携帯を確認する。もうすぐそこまで来ている。

 早く、早く撫子を助けないと……!


 無理やりに引き剥がした気持ち。決意が萎んでいった理由を考える余裕なんてない。そんなものはまた後で考えればいい。

 好きにすれば……勝手にすればいい。付いてきたところで彼に何ができる訳もない。だって傍にいた私でさえ、いま彼女を守れていないのだから。


 そしてやっと撫子が連れて行かれた地点まで来たところで素早く周囲に視線を巡らす。何と、彼女が連れて来られた場所は広い公園だった。

 確かに走っている間もビルや住宅ばかりで、途中に公園と呼べる場所はなかったと思う。


「ここ……」


 春日井さまは訝し気な顔をしているが、相変わらず無言でここまで一言も口を開いていない忍の表情もまた、不思議そうな感じで公園内を見ている。と、そんな彼の視線がとある一点でピタリと止まった。

 私もハッとして、忍が見ている方向へ視線を向けると――



「……――勝手なことばっかり言わないでっ!!!」



「撫子っ……!」


 遠目に見える、ネズミのお面を着けたままの、香桜女学院の制服を纏う小柄な姿。彼女は今、四人いる有明生に……いや、その内の一人の正面に立って対峙していた。

 急いで彼女の元へと向かい、走りながらその名を呼ぶ。


「ピーチ!!」


 そこにいる人間全員が私の声を聞いてこちらを振り向くが、私が来たのに気づいた撫子もまたパッとこちらに駆け寄ってくる。足が……!


「ロッサちゃん! うっ、うう~!」

「大丈夫ですの!? こんなところまで勝手に連れて来られて! 足、足は……っ?」


 怪我を負っているのにこんな場所まで連れて来られて、今どういう状態になっているかを確認するために膝へと注視すると…………ハンカチが変わっている?

 撫子の膝には最初に私が彼女に巻いてあげたものではなく、別のハンカチが濡らしてある状態で結ばれていた。


「あのっ、あのね! めが、眼鏡の男の子がねっ、桃のこと心配してくれてっ。足、どんどん血が出て、ロッサちゃんのハンカチが真っ赤になっちゃって、交換してくれたの! でも血が固まる前に、傷口洗い流した方がいいって、違う人が言って、だから、だから桃……っ」


 ひっくとしゃくり上げながらも必死に説明してくる言葉に耳を傾けて、どうも善意で行動してくれたらしい有明生に視線を戻す…………って、あれ拓也じゃありませんの!?

 こんなところででもまさかの再会が発生してもう仰天するしかないが、確かに彼ならば怪我をして一人でいる子を放ってはおけなかっただろうと納得する。


「なら、彼等の中に例の輩はおりませんのね?」

「い、いるっ」

「え!?」


 撫子が振り向いて、勢いよくビッ!と彼女が指を差した人物。

 それはまあ何とも立派な体格をした男子生徒だった。背丈は中学生男子の平均よりも恐らく上だろう。何かスポーツでもしているのかそれらしい体格をしており、もしかして小学校時代に他の生徒が撫子の助けを無視したのは、家格と併せて彼自身のその大きな体格が及ぼした影響もあったのかもしれない。


「大丈夫?」


 私達の様子が尋常ではないと悟った春日井さまが近づいてきてそう声を掛けてくるが、見知らぬ男子ばっかりに囲まれていた撫子は既に限界だったようで、「ひっ」と小さな悲鳴を上げて私に縋りついてくる。


「こ、この子は男子が苦手だぴょん。離れるぴょん!」

「え? あ、分かった。ごめんね」

「……ぴょん?」


 そう言うとスッと退いてくれたが、私の口調に反応した撫子がそろりと顔を上げてくる。


「ロッサちゃん?」

「せ、説明は後でするぴょん……」

「お連れの人ですか? でしたらすみませんでした。勝手に連れて行ってしまって」


 逆にこちらに近づいてきたのは拓也と、三人。

 拓也と忍だけならお面を外してウサギが私だと明かしても良いが、現状無理である。

 本来の口調で話すと知ってほしくない人にもバレてしまうかもしれないし、もうヤケクソでそのまま『ぴょん語尾』を続けるしかなかった。


「いま聞いたぴょん。この子の手当てをしてくれてありがとうぴょん」

「いえ。……あの、香桜ではそういうのが流行っているんですか? ちょっと、そういうことをしそうな僕の知り合いが、そちらの学校に通っていて」


 ……さすがですわ拓也! そうですの、これはあの子の突飛な思いつきのせいですのよ!


「数人同じことを今している子がいるぴょん。拓……貴方が言っているの、その内の一人のことぴょん」

「……うん?」

「あれ? その内の……って、こと、は」


 疑問の声を発したのは後方。拓也は私がその知り合いのことを知っていると暗に含ませて言ったことで、信じられないというような顔で私を凝視している。

 私だって本当はこんなお面着けたり、ぴょんだなんて言いたくありませんでしたわ!


「え……え!? まさか麗…」

「あの!」


 拓也が私の名前を言いそうになって内心慌てたが、言い切る前に先程撫子が指差した輩――クソい……徳大寺が声を発した。

 お面の奥でスッと目を眇め、撫子を後ろへ庇う態勢を取る。そんな私の対応を見て庇った相手の正体を悟ったらしく、何故か焦っているような表情を浮かべている。


「そのネズミ……もしかして、撫子なのか!?」

「ちが…」

「ろ、ロッサちゃん……」


 咄嗟に否定の言葉を口走りそうになって、けれど制服の袖を引いて撫子が止めてくる。どうしたのかと思って彼女を見ると、私の手を震える手で握ってきた。


「ピーチ?」

「……ロッサちゃんがいるから、大丈夫。桃――――頑張る!!」


 そう言った撫子はもう片方の手でネズミのお面に触れ、ゆっくりと顔から外していく。

 現れた彼女の顔はすっかりと青褪めていて、涙に濡れていた……。

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