42. 二人の一番長い夜

 火事です、火事です、という緊迫した音声が繰り返される中、白澤とひかるは顔を見合わせ、卓上に散乱した書類をかき集めて即座に立ち上がった。そして玄関へと向かったが、扉を開けた先にはすでに煙が充満しており、どうしようもなく元いた室内に戻った。

 冷静なつもりでいたひかるだったが、しっかりと抱えていたはずの答案用紙の束から一、二枚が床に落ちているのに気がつき、にわかに焦りが生じるのを自覚した。床にしゃがみ込んで用紙を拾う彼の様子を見て、白澤は「あわてるんじゃない」と言い、それから部屋の窓を開け放った。

「布団があっただろう。持ってきてここから落とせ。飛び降りるぞ」

 ひかるは命じられたとおりに押し入れから布団を引っぱり出してきたが、窓から地面を見下ろして思わず「うわあ」と声をあげた。

「結構高いじゃないですか。これ、絶対怪我しますよ」

「焼け死ぬのとどっちがましだかよく考えろ」

「それはそうですけど……」

 渋っているひかるを、白澤は「つべこべ言うな」と叱りつけ、その手から布団を奪って外へ投げ落とした。それとほとんど同時にいよいよ室内へまで煙がなだれ込み、ひかるは息をのんだ。

「脚の一本や二本諦めろ」小さくため息をつき、白澤は煙と地面とを見比べた。「聞いているのか。ひかる!」

 硬直した彼を小突いてはみたものの、芳しい反応は返ってこなかった。白澤は思いきり舌打ちをしてひかるを無理やり抱え上げ、布団を落とした位置めがけて飛び降りた。

 数メートルの高さとはいえ着地の衝撃はかなり強く、ふたりの体は布団の上を転がり、周囲の砂利敷に放り出された。その弾みでようやく我に返ったひかるは目をしばたたかせて辺りを見渡した。同じく避難してきたと思しき数人が呆然として寮を眺めていた。見上げると、今しがた飛び出してきたばかりの窓から大量の煙がもうもうと湧き出してきていたのだった。

「おい」

 自らの耳のすぐそばで白澤の声がして、ひかるはひどく驚いた。

「さっさとどけ。邪魔だ」

 その言葉で白澤が自分の下敷きになっていることに気がつき、ひかるはあわててそこから離れたのだった。

 結果として当時寮内にいたのは白澤とひかるを含めて七名で、幸いなことに全員が無事だった。ただ、白澤の右脚とひかるの左腕の骨にはひびが入り、それぞれ治るまでにしばらくの時間を要したのだが。


 話し終えたひかるは妙に得意げな雰囲気を漂わせていたが、沿島は「怖いですね」と青ざめる。そんなふたりの様子を眺め、白澤は呆れた顔で自席へ戻っていった。

 風雨は窓の外で勢いを増している。雑談の種がなくなって黙り込んだ三人を尻目に、蛍光灯がひとつちらちらと瞬きをした。

 ふと、廊下の方角からかすかに足音が聞こえ出した。それはだんだんとこの部屋に近づいてきて、扉をノックする音に変わった。

「どうぞ」

 ひかるがそう声をかけると、「失礼します」の声とともに扉が開く。そこには、見知らぬ男子学生がふたり立っていた。

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ハクタク先生の研究室 -哲学者の飼育と管理の実際- クニシマ @yt66

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