21. 帰しはしません今夜だけ

 八条目大学最寄りの宮ヶ沼駅から下り方面へ急行で五分。午後十一時半を過ぎた中泉如駅に、麗美と沿島は降り立った。大通りから細い路地に分け入って歩くこと数分、ふたりは前島から教わったビルの前に辿り着いた。窓の数から推察するにおそらくは四階建てであると思われる。

「ここだよね……」

 沿島が息を呑む。麗美は黙ったまま、ためらうことなく入口のドアを開けて中へ進んでいった。沿島もあわててそれを追う。

 ビルの中はひどく静まり返っていた。薄暗がりの室内で、窓から差し込む街の光だけが明るい。麗美は怒りを示すように強く足を踏み鳴らしながら奥へと歩いていく。ふとその足が止まった。エレベーターがある。階数表示の明かりがぼんやりと灯っている。

「……あたし、二階行ってみるから、一階見てきて」

 押し殺すような低い声で麗美は言った。

「えっ、でも……」

「いいから」

 そう言い捨てると、彼女は沿島を置き去りにしてエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターは小さくうなるような音を立てて二階に到着した。一階と同じように薄暗い廊下が伸びている。その右手には綺麗に磨き上げられたガラス窓、左手にはいくつかの扉。一歩を踏み出すと、やけに大きく靴音が響く。麗美は廊下を進み、最奥の大きな扉を開けた。

 そこはさしずめ礼拝堂とでも呼ぶのがふさわしいような部屋だった。一階と繋がった吹き抜けの構造になっていて、見下ろすといくつもの長椅子が並んでいる。そして正面の壁には巨大な月の絵。麗美は小声で「きも」とつぶやき、部屋を出た。そのときエレベーターの動く音が聞こえた。沿島が一階から上がってきたのかと思い、そちらへ歩いていく。しかしエレベーターから降りてきたのは見知らぬ男女ふたりだった。彼らは麗美の顔を見つめて、それからにっこり笑う。

「なるほど、ジークはうまくやってくれたようだね」

「ええ、そうね」

 そうやって言葉を交わしたあと、ふたりは麗美のほうに向きなおった。

「はじめまして、岡宮麗美さん。私はミイア・リサック。こちらはウィロック・チャグルよ。私たち、あなたに会えてとっても嬉しいわ」

 握手を求めるように差し出された手を無視し、麗美はミイアをじろりと睨みつける。

「……お姉はどこ」

「あら……」

 ミイアは眉を下げ、困ったような顔をしてみせた。ウィロックが一歩前へ歩み出る。

「まあ、そう邪険にしないでやってくれ。エイミーなら、この上にいる」

 そう聞いた瞬間、麗美の中で何かが明確に燃え上がった。エイミー、と口の中で反芻するやいなや、彼女はウィロックに掴みかかり「ふざけんな」と怒鳴る。しかしウィロックが動じることはなかった。うっすらと微笑をたたえたまま、そっと麗美の手をほどき、優雅な所作でネクタイを直す。

「ずいぶんとおてんばだね、君は。けれど子供はそうでなくっちゃ。ミイア、君もそう思うだろう?」

「ええ。とても素晴らしいわね」

 ふたりは両の口角を同じ高さにつり上げた顔でじっと麗美のほうを見ている。ふと、一抹の恐怖が麗美の背すじをかすめた。窓の外に浮かんだ満月が、彼女の瞳に映っていた。

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