4. 創、頭をよくしてあげよう
「うーん、まあ……いいじゃない、沿島くん。あれだったらぼく、出すよ、お金とか」
魂胆が同じとはいえ、白澤よりは幾分かマシな常識を持っているひかるはそう申し出る。沿島は恐縮したように両手をぶんぶん振った。
「あっ、いえいえ! 久保さんにそこまでしてもらうのはその、申し訳ないというか」
すると白澤がふたりの間に割り込み、厳しい視線を沿島に浴びせてくる。
「わたしには申し訳なくないとでもいうのか? 単位をくれてやった恩をもう忘れたか? おまえが落第しようがどうしようが、わたしにはなにひとつ関係なかったのだぞ。その恩をコーヒーメーカーひとつで返せるのなら安いとは思わんのか?」
「う、い、いやっ……わ、わかりましたよ! 持ってきますよ……」
絞り出すような沿島の承諾を聞き、白澤はようやく満足したようだ。
「よし、これで沿島も晴れて我が研究室の一員だな。仲良くやっていこうじゃないか」
ひどく疲れた顔で肩を落とす沿島に、ひかるは優しく声をかける。
「ごめんね沿島くん。豆とかは共同で出資するからさ。ねえ先生?」
「ふん、まあその程度ならいいだろう」
「本当、ごめんね、沿島くん……。去年までは複数人いたから、先生の横暴もまだ分散されてたんだけどね。ほら、あそこのテレビあるでしょ?」
そう言って、ひかるは室内中央のテーブルに置かれた小型テレビを指差す。
「あれもねえ、誰だったかな、確か去年卒業した院生の子が入ったばっかりのころ、先生に巻き上げられてね。結局新しいのを買い直したとかでここに置いてったんだよね。……それで、本当に申し訳ないんだけども、今年は沿島くんひとりしかいないから……」
「そんな……あ、あの、もしかしてこれから先もずっとこんな調子なんでしょうか……? あんまり家電を持っていかれるのはちょっと……」
「まあまあ、それは大丈夫だと思うよ。先生がものを欲しがるのはかなり珍しいことだから、今後はないんじゃないかな……たぶん。それより……」
「そ、それより……? それより、なんなんです……?」
沿島はごくりと唾を呑む。ひかるは神妙な口調でこう語った。
「ハクタク先生は他のどの教員より厳しく学生をこき使うんだ。それも大概、研究とはまったく関係ないところで……。ひとつ忠告しておくけど、沿島くん、自分の論文を書く時間はちゃんと自分で確保しなきゃいけないよ。ここではまずまともに書けないと思ったほうがいい。先生が邪魔をしてくるからね。先生は性格が悪いんだ」
それから、となおも続けようとするひかるを、白澤は強引に口を塞いで黙らせる。
「黙って聞いていれば、おまえも言うようになったじゃないか、ひかる。そして私はハクタクではない、シラサワだ。誰が中国の神獣だ。沿島、そんなに怯える必要はないぞ。確かに論文を書く時間を与えるようなことはしないかもしれんが、代わりにここの本はどれでも自由に読んでかまわん。これはこの研究室の学生だけの特権だ。図書館なんぞには置いていない専門書が山ほどある。もちろんこの学科の他の研究室にもない貴重なものだ。……おい、おまえももっとそういうことをしっかり伝えないか、ひかる。人の悪口ばかり言うんじゃない。性根が捻じ曲がっているな、おまえは」
「すみません。先生の教育をずっと受けてきたものですから」
「人の教育のせいにするんじゃない。まったく困った助手だ。まあとにかく沿島、これからよろしく頼むぞ」
「は、はい……」
妙に威圧感のある微笑を浮かべる白澤。沿島の頰を冷や汗が伝う。
「あの、ちなみに先生はご自分の家電を持ち込んだりなどはされないんでしょうか……?」
その疑問はひかるに向けて発されたものだったが、耳ざとい白澤はじろりと沿島を見た。
「なにが悲しくてこんな埃まみれのところに自前のものを持ち込まにゃならんのだ。壊れるだろうが。もっとものをよく考えろ」
「ええっ……は、はあ……」
腑に落ちない顔の沿島を尻目に、白澤とひかるはコーヒーメーカーの導入に喜びを隠せない様子だ。
かくして、白澤の研究室にも新たな風が吹き込み、すがすがしい新学期の到来を告げるのであった。
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