第22話 お歯黒
昭和初期
これは私の祖母が幼少の頃に体験した、葬儀の夜の出来事。
祖母の姉は病に倒れ、しばらく闘病されていたのだが、床に伏せたまま亡くなられた。
まだ成人前だったという。
なので、せめて嫁入りのお化粧を施してあげたいと家族親族の間で話し合われた。
お通夜と葬儀の準備が進むなか、家族と近親者により湯灌が行われ、床に横たわるご遺体が清めらる。
白装束を着せられると死後硬直で固まる前に膝が折られた。
座る姿勢に固定されたご遺体の前へ、化粧の用意が運ばれる。
髪を櫛ですいてもらい、歯に黒い塗料を塗られ、顔を拭いて眉を整える。
祖母の姉の顔におしろいが塗られ、紅が引かれ、化粧が施されていく。
その顔はとても綺麗で、まるで息を吹き返したかのような表情だったという。
お通夜が終わり、葬儀の日。
家の庭先に樽の型をした座棺が置かれ、祖母の姉は入棺された。
周りに家族親族、近隣の住人と僧侶が集まると、なにやら話し合いが始まった。
風が出てきて雲行きがどうも怪しい
山の向こうの空には黒雲が見える
遠雷も響いているので天気が荒れるだろう
今日はこれから棺を納めねばならない
お経を短めに唱えてもらうなどして早めに葬儀を済ませられないか
空を見上げるとこちらはまだ青空で陽光に照らされているが、山のほうから大きな黒雲が迫ってきていたという。
手厚く弔いたかったのだが、仕方なくお経も手短に唱え、簡素なかたちで葬儀の儀式を済ませた。
儀式を終えると男衆が座棺を担ぎ上げ、参列者は葬列を組んで埋葬地を目指し、野辺の送りに出る。
その時代は土葬であり、棺が埋め終わる頃には風も強くなり雨も降りはじめた。
埋葬を終えた帰りにはだんだんと本降りに変わった。
本来ならば家にて精進落としのお膳がふるまわれるのだが、近隣の親族や住人は自宅の戸締まりもあってそのまま解散となり、雨の中をほうほうに走って自宅へ戻っていった。
家族と一晩泊まる親族達も家に帰り着くと、皆で雨戸の戸締まりをしてまわった。
皆で姉を偲びつつ、精進落としの膳を召し上がる頃には、外はもう嵐のような強風が吹き荒んでいた。
祖母を含む小さな子供達は腹がいっぱいになった者からまとめて一緒にお風呂へ入れられ、早々に寝床に寝かされた。
お客も泊まるため、茶の間に布団を敷いて寝かされたという。
戸板の外から暴風雨の凄まじい音が聞こえる。だが雨天の埋葬の疲れもあって、祖母は眠りに落ちた。
深夜。親戚の子が泣き叫ぶ声で目を覚ました。
外に何かいるという。
相変わらず暴風雨はやまず、戸板を激しく軋ませている。兄妹や他の子供も起き、泣き叫ぶ子をあやしはじめた。一人は裸電球を灯し、大人を呼びにいった。
茶の間から土間を挟んで玄関のガラス戸を見るが、暗くてよく見えない。だが、目を凝らすと外で微かに闇に紛れて何かが動いた感じがした。
香典泥棒でも来たか、と大人達が起きてきた。
その中の一人が雨合羽を着て外を見廻ってくるという。外は酷い嵐だから、と皆で止めた。が、別の親戚の一人が何かに気づいたのか玄関へつかつか歩いていき、急に戸を開いた。
屋敷に物凄い暴風と雨が入り込む。家の中は騒然となった。
誰だ、戸を開いた親戚が外に叫んだ。
ーばちゃばちゃばちゃばちゃ
暴風雨の音にまぎれ、玄関に駆けてくる足音が聞こえる。
何かを見て急いで戸を閉めた親戚はうめきながら土間を転げた。
玄関の外に何かがいた。ガラス戸から中を覗き込む者の姿。皆それを見て呻いたり叫び声をあげた。
玄関の外。暴風雨の中に人がいる。
姉がいた。埋葬したはずの姉が立っていた。
真っ白い顔。お歯黒の黒い歯を剥き出して笑っていた。
ーあぁ あぁ
嬉しげに笑いながら玄関の戸をバンバン叩いていた。姉は遊びたがっているようにみえた。
ーあぁ あぁ
子供達は泣き叫び、大人達は戦慄し、血の気のひいた顔でお経を唱えはじめた。
ーアー アー
姉が嬉しそうに叫んでいる。白い顔に黒い歯の姉が笑っていた。
子供達は奥の間へと連れていかれ布団をかけられ、隠された。大人達は線香を絶やさず焚き、朝まで経文を唱えて姉を拝んでいた。
暴風雨がやみ、空が白んでだんだん明るくなると共に姉は消えていったという。
その日。再び僧侶が家へと招かれ、祖母の姉は手厚く弔われた。
「あの姉の姿をずっと忘れられない」
祖母は険しい顔で、そう語っていた。
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