第51話

絵の具の匂いが鼻腔をくすぐり、梓はついさっき訪れた美術室を思い出した。



でもここは違う。



窓の大きなコンクリート壁の教室だ。



間違いなく、今は倉庫になっているあの部屋だった。



梓は窓辺の机に、窓へ向かって座っていた。



目の前には大きなカンバスが置かれていて、サッカーをしている部員たちの絵が描かれている途中だった。



(わぁ、上手!)



絵にはあまり興味のない梓だが、素直な感想でそう思った。



(これってリュウヤさんの絵なんだよね? 才能がある人だったんだなぁ)



カンバスの中の選手はみんな生きているかのように躍動感溢れていた。



太陽の光がグラウンドを照りつけていて、その熱まで伝わってきそうだ。



この才能が途中で奪われてしまったのだと思うと、悔しいと感じるほどだ。



そんなことを考えていると、手が動いた。



指先には絵の具がついているが、それも気にせず熱心に筆をふるう。



未完成の絵はまるで魔法にかかったように出来上がっていく。



それを間近で見ている梓は本当に魔法を見ているような気分になった。



ずっとこのまま、完成するまで見ていたい。



そんな気持ちになった時だった。



一瞬、外が騒がしくなった。



その音に反応して視線がカンバスから窓へと移動する。



その時にはすでにサッカーボールがガラスにぶち当たる瞬間だった。



窓の向こうでサッカー部の生徒たちが目を丸くし、ボールを止めるために必死に手を伸ばしている。



しかし、届かない。



ボールは無情にもガラスを突き破っていた。



バリンッ!!



大きな窓が音を響かせて割れ、部室内に悲鳴が響く。



リュウヤさんは逃げる暇もなかった。



体のバランスを崩して椅子から転げ落ち、どうにか両手で顔を庇おうとする。



その体にバラバラとガラス片が降り注いだ。



ガラス片は制服を切り裂き、手足に突き刺さる。



しかし、痛みを感じている暇もなかった。



気がつけばその場にうずくまり、微動だにしなくなっていたのだ。



(なに? どうなったの?)



梓は自分の……リュウヤさんの身に起きたことを理解できずにいた。



ただ、ゆっくりゆっくり、時間が経過するにつれて全身に痛みを感じるようになっていた。



その頃には騒然としていた美術室の中は慌ただしくなっていた。



「誰か救急車を呼んで!」



「手当しなきゃ!」



あちこちからそんな声が聞こえてくる。



(救急車? そんな大けがをした人がいるの?)



そんなことを考える余裕だってあった。



でも、だんだんと体の力が抜けて行くのを感じた。



うずくまっているとも困難になり、横倒しに倒れた。



その時、自分の首に何かが突き刺さっているのがわかった。



そっと手で触れてみる。



チクリとした痛みを感じて手を確認してみると、血が滲んでいた。



(あぁ……首に刺さったんだ)



その時初めて、救急車が必要ななのは自分だったのだと気がついた。



意識が朦朧としてくるなか、リュウヤさんはじっと窓の外を見つめていたのだった。


☆☆☆


ハッ! と、大きく息を飲み込んで現実に戻ってきた。



息を吸い込んだ瞬間倉庫のほこりの吸い込んでしまい、激しくせき込む。



「梓、大丈夫?」



「なんとか……」



どうにか咳を収めて玲子へ言った。



「なにか見えたの?」



「見えた。でも、リュウヤさんに心残りがあるとすれば、やっぱり描きかけの絵だと思う」



「そうなんだ……」



梓の言葉に玲子は落胆した声を出す。



追体験の中でリュウヤさんは絵を描いていた。



意識が消えるその寸前まで、視線は窓にあったのだ。



その向こうの景色は、いわずもがな、リュウヤさんが描いていた景色が広がっている。



「やっぱり、リュウヤさんの絵を探すしかないのかな」



「わからない……」



梓は力なく左右に首を振った。



もしかすれば、リュウヤさんの家に行けば絵を見つけることができるかもしれない。

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