第23話

カナさんはその後、机に向かった。



白い紙とペンを取り出して書き始めたのは……遺書だ。



その文字に梓はハッと息を飲んだ。



カナさんは遺書を準備していた?



でもそれは見つかっていないはずだ。



どうして?



心臓が早鐘を打ち始める。



《お父さんお母さん先立つ不孝をお許しください》



よくある文面で始まった遺書には、学校内でのイジメが詳細に書かれていった。



相手の名前はもちろん、壊されたもの、言われた言葉などが並んでいく。



それは目をそむけたくなるようなものばかりだった。



よく、同じクラスメートにこんなことができるのだと、吐き気まで感じた。



遺書を書いている間、カナさんは時々嗚咽をもらした。



ポタポタと涙が便箋を濡らす。



(そんなに怖いなら自殺なんてやめればいい。カナさんが死んでも、なにも変わらない!)



梓は必死になって呼び掛けるけれど、その声は届くはずもなかった。



やがて遺書を書き終えたカナさんはそれを丁寧に白い封筒に入れて封を閉じた。



部屋の中でしばらく思案した後、クローゼットを開ける。



そして、夏服がしまわれていると透明ケースの中に押し込んだのだ。



(どうして!? こんな場所に入れたら、誰にも気がつかれないのに!)



その時、カナさんの考えていることが梓の脳内に流れ込んできた。



(もし自殺に失敗して遺書だけ発見されたら、あたしはもっとイジメられることになるかもしれない。ここに入れておけば、あたしがちゃんと死んだ後、両親が見つけてくれるはず)



カナさんの考えに梓は唖然とした。



そんな意図があってこんな場所に隠したのだ。



けれど、カナさんの両親は遺書に気がつかなった。



この場所を、いまだに確認していないということなんだ!



カナさんは涙をぬぐうと、部屋から出た。



シチューができたと言う母親に「学校に忘れ物をしたから取りに行ってくるね」と、声をかけて家を出る。



その後のことは、あっという間だった。



当時、まだ学校の屋上には随時鍵がかけられるということがなかったらしい。



暗い校内に忍び込んだカナさんは迷うことなく屋上へと向かった。



錆ついた金網を上り、グラウンドを見下ろす。



その高さに梓はめまいを感じた。



こんな場所から飛び降りるなんて、よほど勇気がなければ無理だ。



でも、カナさんにはその勇気があったのだ。



ううん。



死にたいという強い欲求があったのだ。



次の瞬間には、梓の体は地面に向かっていた。



夜風が冷たくて顔が痛い。



地面にぶつかるその瞬間、梓は大きく息を飲み込んで現在に戻ってきていた。



そこには心配そうに自分の顔を覗き込んでいる厚彦と、さっきまでと変わらぬグラウンドの様子があったのだった。


☆☆☆


どうやら、カナさんの体に触れたことで、当時の出来事を自分のことのように追体験したらしい。



ようやく落ち着いたころ、梓はそう理解した。



「そんなことができるなんてな」



梓は食堂の隅に座り、自販機で買った紅茶を飲んでいた。



その隣りに座る厚彦は真剣な表情で梓の説明を聞いていた。



「これも能力なのかな」



梓は紅茶をひとくち飲んで呟いた。



厚彦に会うまでこんなこと1度も経験したことはなかった。



もしかしたら、幽霊の厚彦と一緒にいることで、梓自身に変化が生じているのかもしれない。



「それで、カナさんはどうしてた?」



「うん、それがね……」



梓はさっき自分が体験したことをできるだけ詳しく厚彦に説明した。



梓が説明をしている間、厚彦は険しい表情を崩さなかった。



「やっぱり、イジメがあったんだな」



厚彦の呟きに梓は頷く。



「しかも、遺書までちゃんと準備されてた。それがうまく発見されなかったから、カナさんはまだ成仏できてないのかもしれない」



梓は答える。



ここまでわかったら、やることはひとつだけだ。



まだ紅茶を飲んでいる梓を横目に厚彦が勢いよく立ちあがった。



「よし、もう一度カナさんの実家に行くぞ!」



もうすぐカナさんを救うことができる。



その思いから、厚彦の目は燃えているように見えたのだった。


☆☆☆


「あら、また来たの?」



玄関を開けた女性は驚いた表情で梓を見つめた。



「ごめんなさい。実は一旦学校へ戻って調べ物をしていたら、すごく重要なことがわかったんです」



怪訝そうな表情を浮かべていた女性だが、梓の言葉に真剣な表情になり、頷いた。



「わかったわ。話を聞くからあがってちょうだい」



部屋にあがらせてもらうと、キッチンからいい香りが漂ってきた。



視線を向けると鍋で何かが煮込まれている最中だった。



「シチューですか?」



梓が聞くと女性は頷いて火を止めた。



「そうよ。あの子の好物なの」



そう言う女性はどこか寂しげな表情になっている。



カナさんにとって最期となったあの日もシチューだった。



だけどカナさんはそれを食べていないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る