第76話
エリスが地面を蹴って駆けてくる。
締め付けられたヴィンセントの首元から徐々に力が失せた。
ヨナは、真っ直ぐこちらに駆けつけるエリスへ一歩踏み出して止まった。
無意識のうちに推し量った声の届く距離まで彼女が近づくと、ヨナの口から自動的に言葉が出た。
「エリス。すまない、君の妹は・・・」
パチン!!!!
駆けてくる勢いそのままに、エリスはヨナの頬を打った。
視界がぐらりとぶれて、半ば強制的に元に戻り、もう一度彼女を中央にとらえる。小さな口元が引き締まり、その行動が何かを告げようとしている事を物語っていた。
「・・・・・・・ょ!」
ほとんど聞き取れなかった。
ヨナは辛抱強く、同じ言葉が発せられるのを待った。
絞り出されるように、それはもう一度姿を現す。
「なよなよしないでよ・・・!ヨナのくせに・・・!」
間違いなく、エリスであった。
「君をずっと探していた」
ヨナは何を告げられたとしても、彼女にそう告げるつもりだった。
「・・・!ごめんね。一人にしてごめんねヨナ」
「いいんだ。君が無事ならそれで」
「どこか。痛むところは無いか?」
「ええ、私なら平気よ。あなたは?ヴィンセント?ふふふ・・・ひどい顔、それに、その傷、どうせヨナに手酷くやられたんでしょ?とっても強いのよ彼?あなたの教え子の技を使うんだから」
「・・・。レト。その。お前の子だが・・・気の毒だった」
「いいの」
「なに?レト!まだ諦めるのには・・・!」
「違うわよ。とても悲しいわ。けど」
「・・・」
「あの子がね、祝福してくれたもの」
「しゅくふく?・・・そうか。まるで、奴らしい。何かが違えば、俺たちには、それこそ全く別の未来もあったのかもしれんな」
「そうかもね、でも、わたしは今が好き。だって、とっても素敵だもの。この時の為に生きたんだって思うもの。きっと素晴らしい結末を迎えるわ」
「俺にはお前やソロモンのようなロマンチシズムはわからない」
「それはあなたが骨の髄まで生粋のロマンチストだからよ。ヴィンセント」
「俺がか?」
「そうよ。あなたは一日中頭の中で誰かと戦ってる。それがロマンチストじゃなくてなんなのよ?」
「良かれと思い続けてきたが、結局、選んだ手段がこれだ。耳が痛いな」
「その耳、手当てをしましょ?血が出てる」
「ああ、頼む。これからはお前も手順通りに行動するんだ。いいな?」
「わかっているわ。ヴィンセントさぁ少し休んで」
(唸り声)
「ままっ!!」
レトは、こちらへ向かって駆けてくるエリスの肩越しにヨナを見た。きっと仲間の誰一人として気が付かないだろう。あんな顔は仲間たちの誰も出来はしないのだ。
「そう呼んではダメと言ったでしょ?エリー・・・」
「ごめんなさい。レトさん」
「まぁ少し大きくなったのかしら?」
レトはエリスの頭を撫でようとして、汚れた指先を見つめ僅かに躊躇し、湧き上がる愛おしさに逆らいきれずに、やはり、撫でた。
遠く、海の向こうの誰かに向かって波に乗せたレターボトルがしばらくして、また自分の元へと帰ってきてしまった時のような、恥ずかしさと、安心と、喜びがあった。
いけないいけない。
「だめよエリー離れなさい」
「・・・はい」
レトは、しょんぼりと下を向くエリスの肩から、輪郭を指先でなぞって姿勢を直させた。頭がふらふらして、すぐにでも横になりたい衝動に駆られたが彼女は自分と共に歳を重ねた内に秘めた意地でそれをねじ伏せた。
「いい?わたしの一族は骨になるまで歯を見せちゃいけないのよ。もちろん、あなたもよエリー」
「うん。わかってる。けど・・・」
エリスは耐えきれずレトの懐へ飛び込んだ。
痛めつけられた傷が一斉に悲鳴を上げて、その痛みは自分のものではなくレトのもののような気がした。死体のようにひんやりとして、力なく、痩せた体を、誰かが支えるべきだと思った。それが、自分たちだとも。エリスは仲間達全員が永遠に生き続けるための絵空事や言い訳を思い浮かべては、それら一つ一つに丁寧に土をかけ、花を手向け、埋葬した。
「行かないと」
言葉でそう言って、エリスの腕はレトの体をさらに強く締め付ける。レトはこの時もエリスを甘やかして、何もせず、ただただ時間だけを浪費した。
僅かな嫉妬や、共感、不安、経験不足の仲間へ対する心配と、若い女が失敗して適度に痛めつけられればいいなどと思う意地の悪さ、永遠にこのままでいられる事への切望や、愛おしさがあった。内側で混然一体となる意識は決して外側に影響を及ぼすことは無い、そこから絞り出されて表現される言葉と行動のみが現実に作用する。レトは、エリスの体を自分から引き離して、顔を見つめた。
今にも泣きそうで、情けない表情をにわかに期待していたが、その期待はすぐに裏切られた。
「そうね。ねえ聞かせて?ヨナの事」
「え?ヨナの事?うん。静かで、いつも動き回ってて、ソロモンに、似てるなって・・・思ったの」
「そう、ソロモンに。あなたはあの人の好きな物を知っている?」
「いいえ」
「そう、わたしは知ってるわ」
「ふふ、聞かないよ?レトさん」
「そう?残念」
「ふふふ。まま」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます