パス
レトは時々含み笑いを浮かべて、消えかけた鼻息はたまに歌のようになった。ヨナはしっかりと彼女の体を捕まえて、大きな水差しのように重い体を一歩ずつ前へ前へと推し進めていた。背後からは死という概念が具現化してこちらに迫り、一瞬でも気を抜けば彼女をさらってしまうようなそんな不思議な感覚にヨナは見舞われていた。
辺りの視界は段々と良好になり始めていた。
クルードのそこかしこで轟く爆発音は、恐らくベースメンターの装甲とエクスプロイターがぶつかり相殺しあう音だろう。姿かたちは見えずともそれは凄まじい物で、たまたま近くで発生した衝撃によってヨナが足を踏み外して
一度バランスを崩した体を、レトはもう自力で支えることが出来なかった。
ヨナは身を挺して、彼女の下に回り込んで体が半分ほど下敷きになったところで二人は地面に激突した。割れたタイルが突き刺さり、衝撃から一呼吸遅れて鈍い痛みが体に走る。
レトの首がだらりとヨナのグローブにぶつかり、目はうんざりと閉じたままだった。顔面は蒼白で、彼女はうめき声一つ上げなかった。
「レト、レト」
ヨナの呼びかけにレトは答えなかった。しかし、確かにまだ、息はあったのだ。ヨナは、ぐったりと動かないままの身体を静かに抱き起した。手や足はあざや生傷がない場所を探す方が大変な程だ。ヨナは、もう逃げ回るのは難しいと思い始めていた。それは、レトの状態もさることながら、薄くなり始める
立ち上がり数歩歩けば肩に触れられるほど近くである。
地面から斜めに突き出す瓦礫のすぐ向こうに、平和贈呈局員たちが見えていたのだ。
「レト・・・レト」
「しー・・・・」
「・・・」
幸運にも、平和贈呈局員たちの関心がヨナ達に向けられる事は無かった。
彼等は新たな達成感を得られそうな気配を鋭敏に感じ取ると薄ら笑いを浮かべて、口を開いた。
「あれはなかなかすごいものだね?」
エクスプロイターの出力をあげながらもう一人が言う。
「上手に当てる必要がありそうだ」
銃声が一度響いて、少し遅れて、強烈な光が見えた。
「来たよ」
「来たね」
ドグァッ!!!!!!!
弾き飛ばされた3人の内一人はヨナのそばにどさりと落ちて、二人に気が付くと銃口を向けた、それから、自分の指が当の昔に全てへし折れている事実にも気が付いて、酷く具合悪そうにした後、絶命した。
「レト。立つんだ!」
「ええ・・・!」
千切れた手足や頭、目玉、内臓、指、血に、
「君たちは、そうやって、死んだように見せかける。いつもだ」
「・・・・ぅフフ・・・フフ」
「レト、もう少しだ」
レトの横顔に汗が伝うのが見えた。ヨナのその言葉を聞くと、レトは苦しそうに唸った。そして、頭をぐらぐらと揺らして、あー。あー。と言った。
「レト?」
彼女の中に存在していたある種の『仕組み』がその時壊れてしまったような気がした。指や髪のような見た目が壊れてしまうのとはまるで違う。物が持つ
呆気に取られているヨナを置き去りに、レトは小走りで駆けた。彼女の姿はすぐに帳に隠れて見えなくなる。ヨナも急いで彼女を追う。
「・・・フフ・・・・ぅフフ」
「レト!」
奇妙な事に、なかなか追いつけない。
「レト!危険だ!」
吹き飛ばされた欠片が壁にぶつかり水音を立てていた。水路が壊れてそこから噴き出ているものもあった。レトはそれらをまるで、幽霊のようにすり抜けて駆けて、挙句の果てに、上から水音が落ちて来る壁に激突してようやく止まった。壁の表面にはびっしりと彫刻が施されていた。近くで見れば、緩やかな弧を描くそれは壁ではなく、クルードを支える巨大な柱の内の一つだった。
「レト・・!」
ぐったりとうなだれるレトの衣服はひどく濡れそぼっていた。レトは柱にすがりつくようにがっくりと肩を落として、苦しそうに、大きく肩を上下させて呼吸し体を支えた。
「レ・・・」
「・・・ヨナっ!受け止めて!!」
レトの絶叫は、偶然近くで弾けたエクスプロイターの炸裂音で殆どかき消されていた。弾けた火花の一つが二人の近くに降り注いでヨナの頬に張り付き、音を立てて消えた。在り得ない高さまで轢き飛ばされた平和贈呈局員の男の上半身が両手を広げたままくるくると空中で回転していた。必死に逃げ回る者、立ち向かおうとする者、隠れる者、それぞれが同じ場所へと向かっている。
絶叫が聞こえた。
ああああああああああ!!!!
人は落ちる事しかできない。
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