第四話 回想と噛み痕③

 日が落ちて兵舎に戻りハイネルの元を訪れようと廊下を急いでいたローレンスの目に止まったのは、奇妙な異国風の男だった。ゆったりとしたローブの様な衣装にジャラジャラと輝く宝石を付けている。長い髪は緩くウェーブがかかり濡れたように艶のある黒色で、日に焼けて浅黒くなった顔はこの国の人間とさほど変わらないのだが、その佇まいはどこか異国情緒を感じさせた。

 その怪しげな男はハイネルの執務室の前の地べたに座り込んで何やらぶつぶつと呟いていた。怪しい、見るからに怪しい男だ。


「おい、お前。軍の関係者ではないな? 一体何をしている?」


 無視する事も出来ず、ローレンスは警戒心をむき出しにして、その男を見下ろした。すると、男はあろうことかきょとんとした顔で、自分が何故呼びかけられたのかもわからないといった様子で首を傾げる。


「なんだ? 俺の事か?」

「お前と俺以外にこの廊下には誰もいないだろうが。お前一体どこから入った?ここは兵以外立ち入り禁止だぞ」

「……ああ、知ってるよ。いやなぁ、ここの団長さんを訪ねてきたんだが、あいにくと席をはずしているようで、ここで待たせてもらってたんだ」


 男は飄々と語ると立ち上がって服を払った。男の服から尋常じゃない量の埃が舞う。無礼も承知でローレンスは眉を歪めて口を覆った。


「あんたは団長さんの部下か?」

「……ああ、そうだ。席をはずしているというなら当分は戻らない。さっさと出なおすんだな」

「そうだな……、それもそうか。ああ、でもその前に」


 諦めて踵を返してくれるものと思い込んでいたローレンスは、突然男が近寄ってきたので思わず腰に帯刀している剣の柄に手をかけた。その姿をみて男は面白そうに笑う。


「やだなぁ、なんもしないって」

「どうだか、お前の様な輩がここにいる事自体怪しい」

「まあそうなんだけどな。……君、彼に何か聞きにきたんじゃないのか?」

「なに?」


 ズバリ言い当てられてローレンスは更に後ずさった。


(落ち着け、こいつはただ適当な事を言って俺をからかっているだけだ)


 だが、更なる男の一言でローレンスの牙城が崩れる。


「その手に持っている手配書、そいつのことを聞きにきたのか?」

「!?」


 ローレンスは思わず手に握りしめていた紙束を背に隠した。


 ―――なぜ、これの事をこいつがいい当てられる?


 この資料は先ほどまでローレンスが資料庫でかき集めていた物だ。まだ誰にも見せていない。それなのになぜ?


「見せてみろ」

「……断る」

「いいから見せてみろって、俺が力になれるかもしれない」


 当然こんな怪しげな男に軍の重要な機密書類を渡すつもりなどなかった。だが、男の差し出される浅黒い手を目にした瞬間、何故かこの男にこの書類を見せなくてはいけないのだと直感が告げた。

 まるで別の意識がローレンスの中にあるかのように右手が勝手に動く。その手に握られていた資料を難なく受け取った男は、その紙束の一枚を見てほくそ笑んだ。


「……この男を探しているんだな」

「あ、ああ……」


 そこには先ほど調べていた過去の猟奇殺人の指名手配犯の人相書きが描かれている。


「知っているぞ、この男なら」

「なに? 本当か!?」

「ああ、よく知っているとも。教えてやってもいい、こいつの正体について」


 それは思わぬ助け舟だった。得体のしれない男だが、彼の言う事が正しければローレンスにとって相当な朗報だ。

 教えてもらいたいがそう素直に信用して良いものかと迷っていた時、ローレンスが本来尋ねる予定だった人物がその場に姿を現した。


「ローレンス、どうしたこんな夜更けに―――おお、あなた様は!!」


 ハイネルはローレンスの隣で涼しい顔をしている男の姿を確認すると、一目散に駆けより頭を垂れた。突然の上官の行動にローレンスは理解が追いつけず目が点になる。少し頭をあげたハイネルがその様子を見て、ローレンスを叱咤した。


「馬鹿者! お前も頭を下げんか、無礼だろうが!」

「は、はっ!」


 ローレンスは慌てて上官と同じように頭を垂れた。だが、己が平伏している人間が誰なのかまだわかっていない。すると、男は腹を抱えて笑い出した。自分に頭を下げる大の男の姿がよっぽどお気に召したらしい。


「いいよ、いいよ。俺そういうの苦手だから。団長さん、頭上げて下さいよ、若い方の君も」


 気さくな態度で手を差し伸べてくる男。立ち上がったハイネルはまたしても深々と礼をした。


「非礼をお許し下さい。砂漠の賢人リマンジャ=アハル=サーム閣下」

「砂漠の賢人……って、ガラドリム国の宰相……!?」

「いやぁ失礼、団長さん。勝手に入ってきてしまって」


 男、砂漠の賢人は陽気に笑っているが、ローレンスは蜃気楼でも見ているかのように眩暈がしていた。

 ガラドリムはシルキニス王国の東に位置する砂漠に囲まれた国。古来より東方への陸路交易で財をなした貿易大国。その財も計りしれない。その大国の政界のトップが何故こんな所に? しかしながらこんな怪しげでひょうきんでオーラの欠片も見当たらない男が本当に一国の宰相だというのか?


「あの……、閣下。ここに来られるのは明日の正午だと伺っていたのですが……?」


 時刻はもう夜の九時を回ろうとしている。兵たちも一日の兵役を終えて床についている頃だ。


「ああ、そのつもりだったんだがな。する事も無かったんで早めに来させてもらった。幸い門番たちが疲れ切っていたおかげかすんなり通れたよ」


 それはそれで門番の勤務態度を追及せねばならない事態なのだが、そもそも約束を無視して宵の口に尋ねてくるこの男の方が、常識を問わなければならないのかもしれない。


「は、はぁ……、それで御用件とは。私はまだ何も聞かされておりませんで―――、ああ!申し訳ございません。こんな所で立ち話など。どうぞ中へ―――」

「いや、もういい。もう用は済んだ」


 男は満足げに笑った。その意味を理解できていないハイネルを尻目に、男はローレンスに向き直る。


「若者、今この国を騒がせている者とこの男について知りたいか?」


 賢人は先ほどローレンスから渡された資料を掲げる。素性が知れた今度こそ、ローレンスははっきりと頷いた。


「よかろう! 団長殿、私もこの国を脅かす凶悪の闇を打ち滅ぼすために手を貸そうじゃないか!」


 それはまるで演劇の口上だ。ハイネルとローレンスはただ茫然と猛々しい男の姿を目に映す事しか出来なかった。

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