第18話 勝利の実感

 まどろむ意識の中、真希は遠くでざわつく音を感じた。それに気づくと、段々と意識が輪郭を帯びてきて……やがて彼女は、うっすら目を開けた。


「真希さん」

「……おはよ」


 不安がちょうど安心に切り替わるところだったのだろう。感極まる顔でのぞき込む香織に、真希は弱弱しくも笑顔を作って声を返した。

 それから、真希はゆっくりと体を起こした。どうやら、気を失っている間に現場から運び出されたらしい。草地に設営されたテントの中、担架の上で寝かされていた。

 そして、真希の視界の下端に、白いアクセサリーとなったステラが映った。誰かがネックストラップをつけてくれたようで、肌身離さず共にいられたようだ。

 テントの中には他に誰もいない。おそらくは気を遣ったのだろう。テントの外から響く声は、大声こそ聞こえないものの、それでも何やら騒がしい。それは、大勢がまだまだ渦中にあることを思わせた。後先のことを考えて少し表情を曇らせ、真希は胸元のステラを軽く握った。

 すると、彼女の視界に、手が入り込んできて重なり合う。視線を動かすと、腰を落とした香織がすぐそばにいた。


「大丈夫。私もいますから……ちょっと、頼りないかもだけど」

「まっさか~」


 優しく語りかけてくる香織の声に、真希は顔がほぐれていく。それから、香織は「ちょっと呼んできますね」と、話しかけた。


 小走りになって外に出ていき、ほどなくして戻ってきた真希は、大勢の人間をぞろぞろと連れて来た。

 彼らの服装は様々だ。警官や消防士もいれば、服装だけでは仕事がわからないスーツ姿の者もいるし、自衛官らしき制服の者も。年齢層はだいたい30代半ばから50代といったところ。平均して背は高めでがっちりした体格の者が多い。

 いずれもしっかりして立派な人たちという印象を受け、真希は思わず立ち上がろうとした。しかし、香織と傍らのやや年配の男性が一緒になって、真希の動きを慌てて制した。

 そんな様を苦笑いして見守る者も少なくない。少なくとも、悪いようにはされない雰囲気を感じ取り、真希は安堵して再び腰を落ち着けた。もっとも、崩した姿勢はみっともないと考えた彼女は、正座もどうかと思って体育座りをした。そうした所作もまた、場の面々には何か染みるものがあったようで、いかつい顔のいくつかが少し柔らかになっていく。

 それから、真希に声をかけたのは、香織の傍らに立つスーツ姿の男性だ。初老と思われる彼は、横須賀市長だと名乗った。


「この度は、市民及び市街を守っていただき、誠にありがとうございました」


 神妙な顔つきで静かに言った彼は、腰から曲げて頭を下げた。それにならって、他の面々も真希に頭を下げていく。市のみならず、関係各所を代表し、市長がまずは非公式に謝辞を述べたといった格好だ。

 見るからにお堅い集団が揃って頭を垂れてきたことに対し、真希は得意になるでもなく、かえって恐縮した。頑張ったという自負はあるが、負い目や懸念がないこともない。彼女はあたふたと両手を胸の前で振り、「畏れ多い」というジェスチャーをした。ただ、思考は中々追い付かず、口をパクパクさせるばかり。

 そんな彼女に、大人たちは表情を崩し、温かな目を向けるが……ややあって、真希は周囲に視線を巡らし、特に警官等の治安維持関係者に目を向けた後、どこか遠慮がちに口を開いた。


「あの……」

「何か?」

「私って、その……あんな武力というか、兵器というか、ともかくそういうのを隠し持ってたわけなんですけど、それってやっぱりその、罪に問われたりとか……」


 言葉を連ねるほどに声が小さくなっていったが、どうにか彼女は言い切った。そして、上目遣いになって、場の反応をうかがう。

 すると、海の男らしき制服に身を包み、帽子は胸に当てた壮年の男性が口を開いた。


「法律家がどのように解釈するか、定かではありませんが……あなたの行動と取り巻く状況は、既存の法の埒外らちがいにあると思われます。安全保障上の一大事ではありますが、事後的に法を定めて遡及することもないでしょう。未曽有の事態を対処してもらいながら、それでは、あまりに道義にもとるかと」


その言葉に、真希は目をパチクリさせた。それぞれの言葉が持つ響きをつなぎあわせれば、言わんとするところはわからなくもないが……あまりに淀みなく話されたために、彼女の中では理解が追い付けないでいる。

口にした本人はと言うと、難しい言葉でまくしたてようという意図はなかったのだろう。おそらくは職業柄、表現が硬い方に寄ってしまったというところか。ハッとした表情になった彼は、ちょっとした失敗を恥じ入り後悔するように、顔をしかめた。

 そこで助け舟を出したのは、スーツに身を包んだ青年だ。彼は苦笑いを先の発言者に向け、「不勉強で申し訳ありませんが……」と切り出した。


「先のご指摘はつまり……今晩目にしたものについて、我々はまったく理解できていない。だから、アレの扱いをどうこうする法律なんて、そもそもないだろう。安全のために見過ごせない存在だとしても、今日のことを後出しのルールで難癖付けようってのは、あまりにみっともないから、まずやらないだろう……」


 周囲の反応をうかがいながら通訳して言った彼は、最後に「こんな意味合いでしょうか?」と結んだ。

 一方、通訳してもらった男性は、今度は合点がいったようにうなずく真希に目を向け、力なく笑った後、ニ回りほど若い通訳者に「ありがとう」と言った。

 真希が戦闘力を隠匿していたのは事実だ。そして一同は、彼女たちの事情を知る由もない。それでも、彼女らに責を負わせまいという見解は現場の総意であるらしく、市長が言葉をつなげていく。


「いかなる事情があろうと、あなたの決断と働きにより、多大な人命と財産が救われたのは事実です。現に、直接救われた方も、こちらにいます」


 そう言われて、一歩歩み出たのは、しっとりしたパイロットスーツに身を包む空自の隊員だった。彼は真希を見るなり、申し訳なさそうに口を開いた。


「結果として敵を1体撃墜することには成功しましたが、それでむしろ、あなたの仕事を増やしてしまったようにも……申し訳ありませんでした」

「そ、そんな」


 顔に忸怩じくじたるものをにじませ頭を下げる彼に、真希は慌てて声をかけた。


「あの時倒してもらえなかったら、押し込まれていたかもしれませんし……流れが変わったのは間違いないと思います。それに、あなたをその、助けるのには、ちょっと苦労しましたけど……私の方が先に助けてもらえたって思いもあります。本当ですよ!?」


 ときには少し言葉に詰まりつつも、まくし立てるように思いの丈を口にする彼女に、相手の青年の目には熱い物がこみ上げてくる。

 ただ、この場には彼と同じ装いで、もう少し年上の人物もいた。おそらくは上官であろう。あの勇敢な行為に助けられたというのは真希の本心だが、彼女は子供ながらに、あの行為が決して手放しで褒められるものではないとも考えていた。

 それでも、彼に向く追及に対し、少しでも意思表示できればと、真希は上官らしき人物にチラチラと視線を向けてアピールした。

 その想いがどうにか通じたのか、陳情や嘆願まがいの視線を受けた彼は、真顔で部下に目を向けた後、咳払いして言った。


「今後もF—15を弾にする……というわけにはいかないでしょう。ただ、今晩ばかりは、手持ちにそれしかなかった。もちろん、特攻を肯定することはできません。一方で、状況に対する装備と方策の不備は、認めねばならないところかと」


 その後、黙りこくってまばたきする真希を見て、彼は何かに気づいて尋ねた。


「今ので、わかりましたか?」


「だ、大丈夫です……なんとなくですけど。今日は仕方なかったけど、特攻が当たり前になっても困るから、上で準備を整えないと……ってことですよね?」

「はい」


 大きく逸れることなく意図が伝わったと見たのか、彼はホッと表情を柔らかくした。


 こうして真希への挨拶に馳せた彼らだが、彼らにはまだまだやることが山ほどある。とりあえず、現場に携わるそれぞれの立場を代表し、彼らは感謝と見解を表明した。

 そして、当座の挨拶はここまでといったところ。市長が音頭を取り、「では、これで」と言って、一同は再び頭を下げて退出していった。

 やや足早に去っていき、すぐに周囲の喧騒に混ざっていく彼らを遠目に見て、真希はつぶやいた。


「わざわざ時間を作って、来てくださったんだ……」

「というよりも、むしろ……」


 テントに残った香織がポツリとこぼした。その言葉に、真希は少し怪訝けげんな表情を浮かべ、先を促す。


「むしろ、みなさんぜひとも礼をって……希望者多数のところ、代表をだいぶ絞り込んだみたいですし」

「そ、そうなの?」

「あなたが目覚めるまで、私も随分感謝されましたし……みなさん、よくわからないなりに、あなたには本当に感謝してるし、感銘を受けてるとも思いますよ?」


 真希には、それだけのことをやったという実感が、ないわけではない。

 ただ、ステラのことを隠してきたということが負い目になり、堂々と胸を張れない部分も確かにあった。もっと早く政府に掛け合っていれば、同乗者を確実に確保できていたら――戦闘中は思考の外に押し込んでいた、自身の不手際が、目覚めてから胸中に湧き出してきてもいた。

 しかし、実際に感謝の声を浴び、時間とともにそれが内へ内へと浸透していったことで、彼女はようやく自身が成したことを素直に受け止められるようになった。

 そして、ともに傷つきながらも耐えてくれた、戦友への思いが沸き起こる。両手ですくうようにステラを取り、彼女は優しく手で包んだ。


「……そういえば」

「どうしました?」

「なんていうのかな、子ども扱いされなかった気がする……」

「それだけ、立派な行いをしたって認められたということでしょう?」


 すると、真希は香織を真顔でじっと見据えてから、急に表情を崩して言った。


「先生は、私と対等じゃない? タメで話してくれていいのに……っていうか、タメの方がいいかな」

「えっ? いえ、私は先に命救われてますし……」

「でも、今日は私のこと助けてくれたじゃない。逃げて~って言ったのに、わざわざここまで来てさ」

「それは……」


 ややわざとらしく口を尖らせる真希に、香織は何事か言いかけて口を閉ざし、瞑目した。ややあって、彼女の顔に困ったような笑みが浮かび上がる。


「どうかしたの?」

「……いえ、自分があなたと対等にならないようにこだわってるみたいで、それが急に臆病で薄情に思えてきちゃった」

「ふーん?」


 香織が抱いている感情や思考がいかなるものか口に出されても、真希はすぐに把握できないでいる。そんな彼女に、香織は親しげな微笑みを向けた。


「真希ちゃんでいい?」

「一気に詰めて来たね」


 やや真顔気味の顔で返した真希だが、すぐに彼女は満面の笑みを向けた。


「ありがと」


 そうして二人、笑顔を向け合って静かな時間が流れたが、それはあまり長くは続かなかった。外から遠慮がちな声で「すみません」と呼びかけられ、香織は立ち上がろうとする真希を手で制して外へ。

 ややあってテントの中に入ってきたのは、香織ではなかった。彼女と入れ替わるように入ってきた祖父、圭一郎が神妙な表情で真希の近くに腰を落とす。

 突然ではあるが、当然とも言える祖父の来訪に、真希は最初戸惑った。来てくれたことへの正の感情より、後ろめたさや引け目が圧倒的に勝る。胸中に渦巻く表に出しづらい感情の波にさいなまれ、真希は目を合わせられなくなって視線を逸らし、顔を伏せた。


 それから少し、沈黙が続いた。

 真希には、良いことをやったという自覚が確かにある。それを今しがた認められたところでもある。しかし、それでも……彼女と祖父が歩んだ過去は、身を挺した善行を無批判に受け入れはしない。

 彼女には、沈黙がいつまでも続くように思われた。立ち向かうことよりも、今ここで口を開くことの方がよほど難しい。

 そんな孫の感情を知ってか知らずか、先に口を開いたのは圭一郎の方だった。彼の口から、静かに言葉がこぼれ出る。


「素直に褒められないというのは、辛いな」

「……ごめん」

「別に責めるつもりは……いや、心配はさせられたか」


 圭一郎の口調には、実際、責める鋭さがない。むしろ物寂しい感じがある。真希は恐る恐る泉を向け、優しい顔の祖父と顔が合った。


「具合は。大事ないか?」

「うん……ちょっと、ダルいかな。あと、服がびっしょりしてキモチ悪くて……それと、左腕が……ちょっと痺れてる」

「腕?」

「機体の感覚が、それなりに伝わってくるから……ちょっと、痛めつけられて」

「そうか」


 言葉とともに沈痛な表情になった祖父に、真希は話を続けられなくなった。しかし、今度の沈黙は長続きせず、さほど間を置かずに圭一郎が声をかけた


「また、こういうことがあれば、お前は戦うのか?」


 真希に即答はできなかった。ただ、祖父にとっては、それが答えであったのだろう。顔を合わせられない孫の頭に、彼は少し筋張った手を優しく乗せた。


「真希」


 呼びかけても、声は返って来ない。代わりに一層うなだれ、体をかすかに震わせる孫に、圭一郎は寂しげな微笑を浮かべて言葉を続けた。


「お前も、自分が正しいと思ったことをして生きなさい。途中で逃げたり投げ出したくなったら、その時は言えばいい」


 それでも返事はない。そんな彼女に、圭一郎は困ったような笑みを浮かべて鼻で笑った。


「私は、お前に遠慮されなきゃならんような、情けないジジイじゃないんだぞ」


 すると、真希は圭一郎に抱き着き、全身を振るわせ始めた。抑え込めない嗚咽おえつが漏れ出す。せきを切って溢れる彼女の思いを、圭一郎はただ優しく抱き留めた。

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