第20話 末っ子は気難しい

「わたしはだいじょぶ。センセ、部屋にかえって」


 屋敷の廊下、イリアの部屋の前で俺はイリアにそう言われた。

 俺はイリアに家庭教師としての仕事するため、彼女を待っていた。その結果が、これだ。


 それは、麗衣の時にも感じた、明確な拒絶だった。


「いやしかし、それでも、俺は」


「でてかないと、おおきいこえ、だします」


 イリアは、涙目でそんなことを言う。


「い、いや、しかし」


「あたし、センセーのこと、よく知らないし、しりたくないもん! おとこのひと、こわい、いやなの!」


 イリアは聞く耳を持たず、ヒステリックに騒ぎだす。


 参った。打つ手がない。


 俺は両手を挙げて、降参のポーズをとる。すごすごと扉に向かい、くぐった俺を確認したイリアは、そそくさと部屋の扉を締める。


 ぱたん、と音がして、俺は締め出されてしまった。


「……取りつくしまもない」


 俺は天を仰いだ。これは、俺だけの力じゃ無理だ。

 これが、イリアの現状だ。

 俺を毛嫌いし、遠ざけ、逃げる。


 正直、突破口がない。交流することができなければ、何もできない。

 だがしかし、一度は引き受けた仕事だ。人生がかかってもいる。俺はあきらめるわけにもいかない。肩を落としつつ、次の機会を待つことにした。



 そして翌日。

 俺は屋敷の中をさまよっていた。この屋敷はやたらと広い。住み込みし始めてからずいぶん経ったのだが、まだ慣れ切っておらず、俺はしばしば迷うことがあった。


 それでも、俺は歩き続けた。

 軽く迷いつつも、そこはそれ、俺は家庭教師だ。生徒の部屋は熟知している。


 長く広い廊下を歩き、建物の最深部に近いところ、そこに、四つの部屋がある。

 社長夫婦の部屋、そして麗衣、涼音、イリアの部屋だ。

 防音やプライバシーの関係か、部屋同士はかなり離れている。


 俺は、入り慣れた麗衣と涼音の部屋の前を通り過ぎて、その向こうにある末妹……イリアの部屋の前に向かう。


 時間は、午後の四時。そろそろイリアが帰ってくる頃だ。俺はその時間に合わせて、この場所で待つことにした。


「ったく……どうしてここまで俺、避けられちゃうんだ」


 俺はつい、愚痴ってしまう。


 三女のイリアは、正直言って一番の問題児だった。

 長女の麗衣と次女の涼音は、紆余曲折があったものの、今ではすっかり素直に俺の授業を聞いてくれている……たまに、人には言いづらいようなことを要望されるが。


 とにもかくにも、おおむね順調に二人の生徒の家庭教師の仕事は、進めることができていた。


 問題は、イリアだった。

 あの子は、学校から帰ってきたらすぐさま自室に行ってしまう。声をかけても、ちらっとこっちを見るだけで無視し、とことこと去って行ってしまう。

 完全に拒絶されていた。


 俺は彼女との接点をつかむのに難儀していた。

 しかし、麗衣と涼音の勉強をちゃんと見ておいて、イリアだけ放置するわけにはいかない。任された以上はやり遂げるという責任感はある。


 俺は何とかしてイリアの家庭教師としての仕事を完遂させようと頭をひねり、思いついたのが待ち伏せ作戦だった。


 三十のおっさんが、十代前半の幼女を待ち伏せする……一歩間違えれば犯罪である。


 俺はナーバスになりながら、イリアの帰りを待った。

 どれくらいそこで待ちぼうけをしただろうか。


「やっほ、ゆっきー」


 遠くから涼音の声が聞こえ、俺はそちらを向いた。


「涼音? どうしたんだ? 今日はずいぶんと早い帰りじゃないか」


「撮影の仕事が、かなり早く終わっちゃったんだー♪ だから、かえらせてもらっちゃった♪」


 鈴のような声を弾ませながら、涼音はスマホの画面を顔の真ん前につきだしてきた。


 どアップになる画面に、涼音のセパレート水着が映っている。胸の谷間を強調するようなポージングのせいで、涼音の大きい乳房がむにゅっと寄せ挙げられていた。


「可愛いカノジョの水着姿だよー♪ どうだ、うりうり♪」


 涼音は俺の横に立ち、腕に肘を当ててくる。いたずらっぽいそのしぐさに、俺はときめきを感じていた。


「最近、どうだ? 順調なのか?」


「とーぜん♪ うち、あれから演技のレッスンし始めたの。たのしーんだぁ♪」


「そうか、楽しそうでよかった」


「うちだけじゃないよ。よりちーね、すっごく自然に笑うようになって、めちゃくちゃ大親友、うちら」


 涼音はあれから明るさに加え、少しおしとやかになった。

 無邪気で跳ねまわるようなギャルっぽい物腰に、女らしい仕草が見え隠れするようになったのだ。


 間違いなく、あの時のことが影響しているだろう。ただ好きなことをやりまくるだけではなく、奥ゆかしさが加わった気がする。

 俺と結ばれたことも、影響しているのかもしれない。


 涼音は、軽くステップを踏んで、俺の前に立ち位置を変える。

 その顔は、薄く化粧の乗ったいつものギャルっぽい涼音だった。


「ありがとね、ゆっきー。うち、ゆっきーのこと、大好き」


 涼音は、俺の前でつま先立ちになる。目を閉じて、何かを求めるように唇をすぼめる。


 キス待ち顔、というやつだ。涼音の愛くるしい顔が、ほんのりと染まっているのを見ると、俺まで恥ずかしくなってきてしまう。


 俺は涼音の肩に手をかけ、そして顎をそっと持ち上げ……

 そこで、気配に気づく。


「そこにいるの、だれ?」


 透き通った高い声が、遠くから鋭く届いた。

 イリアだ。俺はあわてて涼音から離れ、イリアに向き直る。


「やあ、イリア。俺だよ、先生だ」


「あ……」


 イリアと俺は、屋敷の廊下でよくすれ違う。イリアは俺に気づくと、視線をそらして、すすーっと部屋に戻っていくのだ。


 イリアは不機嫌そうに顔を背け、そのまま俺の前を通り過ぎようとする。

 俺は、とっさに涼音に声をかけた。


「な、なぁ涼音。イリアと一緒に遊びたいって言ってたよな?」


「??」


 涼音は、なに言ってるの? という顔をして俺を見る。涼音は、さっきのキス未遂が不服なのか、少しむくれているようだったが、俺はひたすら目をぱちくりさせて合図する。


「な、な? 涼音、たまにはイリアと一緒に遊びたくて、早く帰ってきたんだよな」


 俺は涼音に目配せし、

 気づいてくれるか? 俺はハラハラしていたが、涼音は何かを察したように、ふぅっと息を吐いた。


「イリアちゃん。うち、漫画かりてたじゃん。あれ、返すよ」


「あ、うん」


「ちょっとしたら持っていくから、ゆっきーと一緒に勉強しながら待ってて」


「えっ」


 イリアはうろたえた。俺と涼音を見比べ、考え込むように表情を固まらせる。


 イリアは、俺に対しては態度が硬いが、姉二人とは仲良しだ。たぶん、ここでの日常でだいぶ頼りにしていたんだろう。信頼感が目に見えるようだ。


 そんな俺の思惑があたったらしい。

 イリアは、こくりとうなずいた。


「すぐにきてね、おねえちゃん」


「うん、わかってるよ」


 涼音は人当たりのいい笑顔でイリアの頭を軽く撫でて、ぱっと顔を上げる。

 俺は涼音に感謝し、こっそりと手を合わせた。


 その口はパクパクと開け閉じし、何かを訴えている。

 あとでお返しちょーだい♪

 多分、そう言っている、と思う。


「じゃあ、きて」


 イリアは不承不承と言った感じで、俺を部屋の中に招き入れる。

 俺は冷や汗をかきながら、イリアの部屋の中に入っていった。

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