第15話 次女は勉強ができない
この屋敷の廊下はカーペットが床に敷かれている、ホテルのような内装である。なので、少し早足に歩いてもコツコツという足音が鳴らないですむ。俺は安心して、速足でかけていた。
今日は神楽坂家次女、
それにしても、改めてこの屋敷はすごい、と思う。
使用人さんは多いはずなのだけど、どこにもその顔が見えない。どうやら家族以外の人間は、あまり顔を出しすぎないようにする配慮がなされているらしい。
気を使っているのがしみじみと分かる。お金持ち故の配慮なのだろう。俺も視線を感じることなくマイペースにストレスなく過ごせていた。おかげで住み込みの家庭教師として、必要なものは過不足なくそろえてもらえるにも関わらず、充実した生活を送れていた。
まだ数日しか過ぎていないが、俺は満足していた。
麗衣とも、きっちりとした信頼関係を築けたことだし……ちょっと絆が強くなりすぎたけど、それは、まぁ……うん。
ま、まぁ、今日は涼音の面倒を見る日だ。きっちりと指導しなきゃ。
そう思って歩いていたら、目的地に到着した。
「やほやほ。ゆっきー、今日はよろしくね」
広い屋敷の幅広い通路の角、そこの扉の前に涼音が立っている。そして、その恰好はいつもと雰囲気が違っていた。
室内用の肌着なのだろうか。その布地は小さく薄い。うっすらと桃色がのったトップスはフェミニンな感じがする。
そして下半身は、太ももの中央部くらいから下が露出したミニスカートである。
若干肌の露出が激しい。が、これがこの子にとっては標準的な着こなし方なのだろう。
大胆ではあるが、服のセンスがとてもいいのでエロスよりも本人自身の魅力を強く押し出している感じが強かった。。
「よろしくな。今日はモデル活動はいいのか?」
「だいじょーぶだよー。ちゃんと時間管理はしてるからねッ」
涼音は、ぱちっとウインクしつつピースサインを見せる。今時のギャルってこんな感じなんだろうか。俺にはよくわからなかった。
それにしても可愛らしい。ギャル美少女って感じだ。俺はこういうタイプの子とはなじみがない。少し苦手意識があるのだが、涼音の場合は自分からぐいぐい来てくれるから、正直助かっていた。
「お部屋に入って、どーぞー」
がちゃ、とドアが開いて部屋に招かれる。
俺がそこで見たのは、想像していたものとは全くの別物だった。
「真ん中のテーブルで勉強してるんだー。この座布団つかっていいよ」
涼音は丸っこい座布団を俺に手渡す。動物か、これ? なんとも言えない個性的なデザインの座布団を、お尻の下に敷く。うわ、ぐにゅってした。低反発クッションってやつか、これ。
腰掛けながら、俺はぐるりと部屋中を見回した。部屋は、まさしく女の子の部屋、って感じだった。
色彩の豊かなカーテンに、壁際にある机、その上に置いてあるのは細長い瓶がいくつか。
テレビらしきものがなくて、その代わりにノートパソコンがあるのが時代を感じさせる。
部屋の奥からは、すっきりとした爽やかな匂いが漂ってきている。街中でよく嗅いだことがある匂いだ。これ、香水の匂いかもしれない。
俺がクンクンと鼻を鳴らすと、涼音は半眼になって俺をからかうように口元をほころばせた。
「にししー、ゆっきーのえっち」
「は? な、なんで?」
「女の子の部屋に入って匂いを嗅ぐのって、変態っぽいじゃん。うちの体を、直嗅きされてるみたーい。やだー」
「そ……!」
「あっははー、ジョーダン! ゆっきーったら大人の男の人なのに、うぶなんだからぁ」
涼音がケラケラと笑う。いたずらっぽい微笑みが、そのうっすらと化粧の乗ったあどけない顔に広がる。それを見て、俺もつられて顔がほころんでしまった。
自分の微笑みを、相手にまで与えるほどの美少女、それが涼音という子らしい。
麗衣とはまた違ったベクトルのかわいらしさに、俺は見とれかけていた。
「か、からかうなよ」
年上を手玉に取って楽しむという女子は時折いるけど、こんなに可愛い子になら、手玉に取られるのもいいかもしれない。
涼音はひとしきり笑うと、俺の隣に座りながら頬杖をついた。
「んじゃ、何からやるの?」
「まずは得意教科と苦手教科を教えてほしいな」
「んー、それって全教科?」
「ん? あぁ、そうだな。全教科で頼む」
「じゃあねー、得意なのは体育! 体を動かすの大好き!」
と、涼音はテーブルから体を弾ませ、飛び跳ねる。
ぷるるん、と揺れた。涼音の胸のふくらみが。
俺はゴクリと喉を鳴らす。たゆんたゆんの涼音の胸は、こうしてみると大きい。
それだけじゃない。お尻も、女っぽい丸みを誇っていて、柔らかそうだった。
この子は麗衣の妹のはずなのに、成長度は段違いである。こんなことを言ったら怒られるだろうが、女っぽさは次女の方が上だった。
「どしたの?」
「え。あ……ご、ごめん。ちょっと考え事」
俺がごまかすと、「ふーん?」と不思議そうな顔をする。無自覚か、質が悪いな。
「えと、得意なのは体育だけ? ほかの教科は?」
「んーとね、音楽も得意かな。学校終わった後、カラオケによく行くのー」
と、カラオケのマイクを掴むようなしぐさで口元に当てる。
エアカラオケか? 女子高生ってカラオケが好きそうだけど、涼音もその例にもれず、カラオケ好きらしい。
涼音の声は甘えるような高い声で、男受けしような印象を受ける。
それはいいんだが、それは進学には全く関係ないと思うんだが……
「主要五教科では?」
「えー……それ聞いちゃう?」
「な、なんだよ。教えるのは五教科なんだから、当然じゃないか」
「むー……」
急に不服そうな顔になった。鮮やかな桜色の唇を「へ」の字にゆがめ、チークが塗ってある頬を、自らの人差し指でつく。そして、涼音はにぱっと笑った。
「得意な教科は、ありませーん☆」
「え」
俺は目を丸くした。得意教科なし? こんなお嬢様なのに?
「全部おんなじくらいに苦手なんだよ。じっと座ったまま何かに集中するのが、なかなかできなくってー」
「できなくってー、って言われても……」
それ、成績を上げるとかどうとかいう以前の問題じゃないだろうか?
「うちってさぁ、モデルやってるっしょ? だからね、センセーに言って、お仕事優先にしてもらってるの」
「そんなことできんの!? え、今の学校ってそんななの!?」
「うちらの学校だけかもしんないけどね。社会貢献ポイントみたいなのあんの。雑誌記事になったり、新聞の取材に応えたりしたら、成績があがるんよー」
涼音は伸びをしながら、そんなことを言う。
こうして聞いてみると、こいつ、マジで勉強は全くしてないみたいだな。
「どうやって入学したんだよ」
「入試の前にめっちゃ頑張ったんだよ。いま通ってる学校、そこそこ入りやすいとこだったから、セーフだったんだー」
いぇーい、と言いながらピースサインをする。こいつ、このポーズ好きだな。
「進級試験はないのか?」
「あるよ。でも、一年と二年の場合は、赤点の人はレポート課題を提出したら何とかなるんだって」
レポート課題なんてあるのか。俺の時代は、赤点を取った奴が次の試験で合格点を取らなければ容赦なく留年だったんだが、時代というやつなんだろうか。
「最近のテストを見せてくれないか?」
「いいよー」
と、涼音はテストの用紙を持ってくる。
くしゃくしゃになったそれを広げた。そこに着けられている点数は、どれもほめられた点数ではなかった。最高で四十点、ひどいものでは二十五点だ。赤点なんじゃないか、この点数。
「ベンキョーしてない割にはいい点っしょ♪」
「こ、これが、いい点か……」
俺は気を取り直して答案を見直した。
傾向としては、文系が比較的、得意にしているようだ。現代国語、英語、古典あたりはマシな点数だ。が、理系はどれも赤点レベルである。
「念のために聞くけど、涼音は高校を卒業したら、何かしたいっていう目標はあるのか?」
涼音は、きょとんとした。
「あはー、それ聞いちゃうぅー?」
あっけあかんとした様子である。聞くまでもないでしょ? とでも言いたげだった。
「モデルの仕事してるっていったじゃん? もちろん、ずっとその仕事を続けられるかどうかは本人の努力次第なんだけど、うちはずっとモデルし続けたいなって思ってるんだー」
「そうか、やっぱりそうなるよな」
俺はうんうんとうなずく。涼音という女の子がどういう子なのか、短期間だけどよくわかった気がする。明るくて人とすぐに仲良くなれるこの子は、きっとうまく世間の荒波を超えていけるのだろう。
「うちね、好きなことにはとことん努力できるタイプなんだよ? だから、きっと成功できるって思ってるんだー、にしし」
分かる。そんな感じはしていた。
女子の可愛くなりたいという欲求は、今も昔も変わらない。そこに賭ける努力も、並大抵のものではない。そこには俺が入り込む隙間はない。俺にできることなんて、たかが知れていた。
「よし。じゃあ、俺は俺にできることをしよう」
「?? 何するの?」
「きまってるだろ? 俺は家庭教師だぞ?」
俺は、取り出した参考書を涼音に見せつける。
「うげ。勉強するの?」
「当然。涼音の成績を人並みにするのが、俺の仕事だからな」
「ちぇー」
涼音は唇を尖らせ、むくれたようにブーブーいう。
が、俺は涼音を収め、参考書を広げた。すっかり勉強の支度が整ったことで、涼音も観念したのだろう。
「優しくしてよね、セ・ン・セ♪」
俺の隣に腰掛けながらウインクする涼音は、苦笑いしながら参考書に取り掛かるのであった。
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