2 昔は〈映画化〉したもんだ。①鏡花『婦系図』

 泉鏡花『婦系図』。

 若い人はもう知らないかもしれない。湯島天神の境内、別れの場面。その時のお蔦の台詞、「別れろ切れろは芸者のときにいう言葉」。


 私はこの有名な場面を、多分ドリフのコントで知りました(笑)いや、『ダメおやじ』だったかな。どっちにしても、昭和の終わりごろでは世の中の人は知ってて当然扱いでした。

 しかし子供だったので、長らく「なんで芸者のときに?」と、疑問でした。どんな流れで出た台詞なのかなこれ。ここだけ切り取られてもわからない。


 それで原作を読んでみたら、早瀬主税とお蔦が周囲から強いられて別れるところは同じなのですが、あろうことか、湯島の境内は出てこないのです!


 新潮文庫の巻末解説で四方田犬彦先生もそこに触れてました。原作にはお芝居などで知られる湯島の境内の場面、ない! と。(余談ですがこの解説、『婦系図』が大衆的な人気を博した反面、文学研究の対象からは遠ざかっていった経緯など興味深い内容なのでおすすめです。)


 そうだ、映画を観よう。映画なら、舞台版も踏襲した描写があるはずだ! 

 そのころ、地元の映画愛好家の上映会をお手伝いしていまして、ちょうどそこでマキノ雅弘監督の『婦系図』(1942年)を上映することとなりました。16ミリフィルムです。多分総集編。

 ところが始まってみると。

 死にかけているお蔦を囲み、いろんな人が謝っている場面が真ん中にありました。


 ???なんか、斬新な演出?


 いいえ。いつのことかわかりませんが、フィルムが切れ、誰かがつなぎ間違えたため順序が乱れたのでした! フィルムで上映してると、実はよくあるんだこれが! 湯島天神の場面もなにも、よくわからなくなりました!


 それからしばらくして、大映の『婦系図』(1962年)を観ました。監督は三隅研次、早瀬主税が市川雷蔵、お蔦が万里昌代です。


 万里昌代のお蔦が良くてですね。「芸者のときに」が、すとんと腑に落ちました。

 どうしてこうして一緒になって、暮らしが落ち着いた今になって別れろなんて言うの? そういうことでした。よかったやっとわかった。回り道したなー。


 万里昌代のお陰で、長年の疑問が解けました。ドリフとか『ダメおやじ』からの疑問だけど。


 あの、フィルムのつなぎ間違えがあったマキノ版は、後でビデオで見直しました。細やかでいい作品でした。モヤモヤがスッキリ。よかったよかった。

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