第99話ファイティングキャッツ


 

 製造の速さのおかげで前の客は少しずつ減っていき、いよいよ知努の順番が回ってくるといきなり後ろの染子は前へ出てくる。



 持って来たキャリーケースすら彼に持たせている状況を当然理解しており、彼女の意図はすぐ察した。



 向き直った鉄面皮の染子は滅多に見せない無邪気な笑みを一瞬浮かべ、彼の腰へ両手を回す。



 身長差があるため、160センチ後半に分類される染子は知努から頭頂部しか見られていない。



 「知努兄さんがデラバン買うまで雲隠れしますわぁ」



 すぐそばのガラスに貼られているメニュー表を見たようだ。イカ焼きと玉子を一緒に焼き上げるデラバンはイカ焼きより食べ応えがある。



 彼の祖父から小遣いをせびっているだけあり、奢らせる事に全く良心の呵責はない。関西弁らしき発音と台詞がお笑い芸人を連想させた。



 業界では偉大な人を師弟関係拘らず師匠と呼び、先輩を兄さん、姉さんと呼ぶ習慣がある。



 生まれた順番が彼より早い彼女を本当の妹だと思っているのか、店員の女性が微笑んでいた。



 「もう、ソメちゃん、この前16歳になったばかりでしょ。お兄ちゃんはまだ15歳だけど。それよりお尻を触るのはやめようね」



 コートの内側から見えないように彼の尻を触っていた染子の両手は何度も忠清とユーディットに殴られる。



 約200円のデラバンを買わなければ薄情な人間と思われてしまうため、知努は仕方なく彼女の要望を叶えてしまう。



 見事、妹の演技で奢らせる事に成功した染子は彼の左腕から顔を出し、絹穂の表情を眺める。



 守銭奴の思惑へ乗ってしまった知努の背中を睨み付けている彼女は意趣返しに秘密を明かす。



 「ところで去年、夏織さんにお弁当を作ったらしいけど、今年も作るのかしら?」



 夏織に弁当を作った出来事は周りの人間にまだ教えていないため、彼女と絹穂は面識があるようだ。



 広く浅い人間関係を築いている周りから持て囃されていた夏織と関わる事はそれ程難しくない。



 人見知りが激しい絹穂の容姿を気に入り、あちらから話し掛けて来たと考えられる。



 「多分、頼まれるから作る。5月はたくさんお弁当を作る忙しい月だ」



 異性から人気がある知努の後輩の話を聞かされた染子は不快な気持ちを抱いてしまう。



 すぐさま彼からプラスチック容器に載せられているデラバンと割りばしを強奪し、小走りでイートインスペースへ行く。



 暴力を振るわず逃走してしまう彼女はなかなか見られない。だが、しばらくの間、顔色を窺わなければならないだろう。



 数分後、立ち食い形式のイートインスペースにイカ焼きを買った知努達が集まっている。



 量の少なさに文句を言いながらも絹穂はテーブルの上に置いている3つのイカ焼きをすぐ完食した。



 急に知努から受けた容赦ない暴力や罵倒を思い出して恐ろしくなり、箸を使えないと言い出したユーディットに食べさせている隣で彼のイカ焼きは盗られてしまう。



 しかし、盗み食い被害に遭った直後に元交際相手から説教を受けており、知努はその悪事を咎める暇がない。



 「大切な人を傷付けたりなんてしたらダメだよ。ハッセさんに優しく接してあげないとヨリコが愛想尽かしちゃうよ」



 ヨリコを白猫でなく、彼が気に入っている女子と勘違いしていたユーディットは強く彼の太腿を抓る。



 彼女の母親と同じく執念深い性格のため、好意を寄せている相手が見知らぬ女へ好意を向けていれば嫉妬してしまう。



 夫の浮気を問い詰める妻のような冷めた表情も無言で向けられ、慌てて彼は弁解した。



 「いたたたた! ヨリコは猫だから太腿に爪を立てるの止めてよ!」



 「それなら安心ね。私、チー坊に興味を示されなくなったら自分でも何するか分からないわ」



 ユーディットの脅迫を聞き流し、染子は片手を彼の尻へ忍ばせる。幸い、脅威対象の忠清がまだ食事している最中だった。



 「昔、キタの新地で、口説き倒した仲やないか」



 「半端な事せんと、しっかり触んなはれ」



 56歳の暴力団組長と夫の組長が高松刑務所に収監されている元ホステスの演技をしながら尻に指先を這わせた。



 昨夜、高利貸しが登場する映画を観終えた後、鑑賞した有名な任侠映画から影響を受けている。



 「極妻かよ。というよりどうして俺が触られる役なんだよ! オノレが太腿触らせんかい! この三文安のオナゴ



 知努の片手が染子のスカートの中へ侵入しようとした途端、横から絹穂に横腹を殴られ、野太い悲鳴が響く。



 「何だか最近、サクラと同じような人間になりつつあって嫌だわ」



 「同性愛を隠すために売れ残りそうなマーガリンで妥協したりしないから知努はまだマシよ」



 染子が白木夏鈴を正式名称で呼んでいる姿は恐らく誰も見た事ない。頑なに呼びたがらない理由が過去にあるようだ。



 夏鈴の話題が出たついでに慧沙は彼女へ知努が好意を持っていると伝えた時の話をする。



 「そういえばケーキ屋のお姉さんに知努ちゃんが好きらしいって伝えたらボクも愛しているって言われたよ」


 

 照れ臭さのあまり、口元を手で覆いながら知努が笑いを堪えていた。夏鈴に対する気持ちはあながち嘘でもないようだ。



 しかし、その仕草が気に入らない染子から足を踏まれ、思わず顔をしかめてしまう。



 「大事な夏鈴ねぇをそんなに拒否られたら地味にうち、傷付くんですけど」



 「文月のやっすい心が傷付いても私は知らないわ」



 周りの人間に強く見られようと振る舞う性格が染子と夏鈴は似ている。それ故、周りから本心を理解され難い。



 「夏鈴ねぇより染子の方が大好きだぞ。それにいつか姉離れしないといけない。2人を除いて」



 目の敵にしていた夏鈴より彼から好かれていると聞けた染子は笑みを浮かべながら抱き付く。

 

 

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