第73話父性



 出会ってまだ数時間しか経っていないにも拘らず、知努と久遠が打ち解けている様子を見た慧沙は苦笑しながらからかう。



 「知努ちゃんって色んな女の子に月が綺麗ですねと口説いていそうだね。1ヶ月前の奥手だった頃が嘘みたいだよ」



 日本人が口説く文句を連想してまず最初に出る言葉だった。太陽の光を反射して輝く衛星は美しさの象徴となっている。



 月齢によって見える形が変わってしまう月を彼は口説く文句としてあまり使いたくなかった。



 「そんな口説き文句、お世辞だと思われるぞ。俺なら君は人生最高のエトワールだって言うな多分」



 日頃の振る舞いから想像出来ない口説き文句が出て来た事に周りの人間は笑いを堪えている。



 10年以上、彼の幼馴染の慧沙も今の振る舞いに慣れてしまったせいか、すっかりどういう人間性か忘れていた。



 「こういう外来語を入れる様な口説き方は頭の悪い人にしか通用しません。常盤が引っ掛からない事を願います」



 冗談で言った口説き文句を実際に使うと思われている事が彼はとても屈辱的だ。これから一切、彼女を褒めない事を誓う。



 午後から宮嶋は所要があるため、4人は屋外駐車場に戻り、解散となる。知努も同じくこの後、予定を持っていた。



 帰宅してから2階にある彼の部屋で忠清、猿蔵、アパアパの2人と2匹が霊長類参加型麻雀をする。



 先程まで冴えない格好をしていた知努は、袖口と特徴的なチャイナボタンだけ白い黒の長袍チャンパオに着替えていた。



 服に合わせ、黒のサテンパンツを履き、黒い丸形サングラスも掛けている。ステレオ型中国人マフィアのような服装だ。



 アパアパや猿蔵を2人が操りながら試合成立に最低限必要な東家トンチャ南家ナンチャ西家シャーチャ北家ぺーチャの人数的問題を解決させる。



 ぬいぐるみの参加者はタオルが敷いてある段ボールの上へ座っていた。彼らが雀卓代わりに天板を裏返した布がないこたつを使っている。



 実質、知努と忠清の一騎打ちともいえる東1局は、親である東家の猿蔵から始まった。感情の起伏がない相手は心理戦において最大の脅威だ。



 東3局へ突入し、アパアパが和了あがり、とうとう忠清の点棒は無くなってしまう。東場結果がオランウータンと猿に2人は負けていた。



 知努は並べられていた牌の上にアパアパの右足を置く写真を撮影し、ソーシャル・ネットワーク・サービスサイトへ投稿した。



 『アパアパ、猿蔵、ダッキーと雀うちました。最近のオランウータンは雀力が強く、負けてしました。猿の惑星の実現も近いかもしれません』



 彼は白い着物を着た短髪の女性らしき人物のイラストをプロフィール画像に設定している。2分後、感想が送られた。



 『霊長類の恥さらし。恥ずかしくないのかよ? 何とか言えよ変態!』



 天変地異が起きようとも鶴飛染子は恐らく人を罵倒し続ける。癪に障った彼が返信で煽った。



 『うるせぇよ! カスが効かねぇんだよ。乳首、感じるんでしたよね?』



 スマートフォンをスリープモードへ切り替え、しばらくの間、2人はベッドの上に座ってから読書する。



 ここで読書すれば眠気が来た時に本をベッドの下へ置き、すぐ昼寝出来た。言葉を咀嚼する行為は疲労が溜まりやすい。



 年を重ねる毎に忠清の知識が広がっていき、段々と単語の意味や読み方などを訊いてくる回数は減っていた。



 読書の集中を遮られると苛立ってしまうが知努にとって、忠清は特別な人間だ。求められる事に喜びもある。



 今の彼と同じ年頃から2人で読書していた。年下の面倒を見て、父親に近づいていくと彼は学んでいる。



 父親の姿を見るだけでなく、実際に体験しなければ細かい配慮などが気づけない。妹、弟の存在は大事だった。教える事もまた学びへ繋がる。



 読書に疲れた忠清は本を隣に置いてから横たわった。読み終えた本を知努が片付けるとすぐ寝付いてしまう。



 布団を彼の体にかけて、読書へ戻ろうとした矢先、部屋の扉がゆっくり開いていく。彼の妹はどこか落ち着きない態度で入室する。



 白いブラウスを着て、ジーンズパンツも履いている彼女は、どこか大人びた印象があった。



 性別的価値を安く見られないように日頃、彼女は自宅ですら身なりが整っている。このような女子と交際出来る男子は幸運の持ち主だ。



 周りを頻りに見渡し、速足で彼へ近づき、そのまま膝の上に座った。彼はすぐ妹の意図を汲んだ。



 両手を彼女の肩甲骨と腰に回し、抱き寄せてから宥める様に撫でた。思春期の女子は猫のように気まぐれだ。



 「お父さんの事は大嫌いだけど、お兄ちゃんがお父さんのような事をしている姿は惹かれる。人間って矛盾しているよ」



 彼の耳元で囁き、そのまま喉元に彼女の顔を近づけ、甘噛みする。幼い頃もこうして吸血鬼の如く、兄の肩や喉に歯型を付けていた。



 知努もまた妹と同じく、相手が持つ親の面影に惹かれている。成長した女性の短髪は、女から母親へ変わる時の髪形であるという固定概念を抱いていた。



 「矛盾してないよ。より良い遺伝子を得るため、近親を忌避するように女の子の体は作られている」



 「知羽が身籠る子を一緒に育てて欲しいから異性の父性的行動を見ると欲情する。知羽の脳に刻み込まれた遺伝子だよ」



 彼女へ説明すると恐ろしい疑問が浮かび上がる。もし、思春期以前に父親から性的虐待を受けた人間は、果たしその遺伝子が機能するのだろうか。



 規制が厳しい現代で大衆に納得させるような統計結果を提示する事は困難だ。しかし、おおよそ検討が付いている。



 共感が得られなかった彼女は、不機嫌そうな表情になりながら胸倉を軽く掴み、見つめ上げた。



 「その遺伝子に抗うため私は理屈臭い兄と近親相〇しようかな。大丈夫、ハプスブルク家みたいな事はしないから」



 兄を必要以上に困らせない事が彼女の主義であり、冗談とすぐ分かる。知努は苦笑しながら呟いた。



 「さすが母さんの娘だから大人びていて綺麗な女性になりつつあるね。知羽が妹でなかったら多分告白している」



 余程、兄から褒められた事に喜んでいるのか、彼女の頬はすぐ上気し赤くなる。心情が顔へ出やすい性質が兄と似ていた。



 運悪く、2人の母親が様子を見に来てしまう。その事に気づいていない知羽は彼と唇を重ねる。

 


 一種の修羅場に巻き込まれた彼が目を閉じ、現実逃避しようとした。しかし、彼の母親の声はそれを許さない。



 「はーちゃんが悪いちーちゃんに引っかかっているよ! もうっ! 兄妹仲が良すぎる」



 見せつける様に知羽はそのまま兄を斜め前へ押し倒した。所有物である事を主張するための行為だと彼が理解する。


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