第65話大胆不敵



 朝の9時になり、白いワイシャツ姿の彼は何か愉快な事を考えているのか、笑みが零れている。



 後ろ髪をヘアゴムで束ねており、彼の母親と同じ髪型だった。朝食が終わり、使った食器を洗っている。



 16年近く彼の母親をしている三中涼鈴みなかすずりが恨めしそうな表情で背後から彼の背中を見ていた。



 両親の前でほとんど身なりに気を遣わない彼がこのような格好をしている理由は1つしかない。



 この後、父方の叔母の墓参りを従弟の白木忠清とする予定が入っていた。知努は忠清を溺愛している。



 従弟の前では彼が三中忠文の息子だとすぐ分かってしまう程、大胆な行動をとってしまう。涼鈴すら2人の間へ入られない。



 それぞれ予定があるため昨日、泊まっていた女子たちは帰宅している。染子だけ未だ寝間着姿のままコーヒーカップに淹れているコーヒーを飲んでいた。



 机の下で対面に座っていた三中知羽と蹴り合いを繰り広げている。かかとで彼女の脛ばかり蹴り、とうとう知羽が兄へ泣き付いた。



 「お兄ちゃん、ク染子がかわいい妹の脛ばかり蹴っていじめてくるよ。痛くて歩けないかも」



 同情を引くために大袈裟な物言いをしている。染子もまた対抗して、幼馴染の庇護欲を掻き立てようとした。



 ブラックコーヒーを飲んだ後は人肌恋しくなってしまう。今まで抱き締めてくれる相手がそばにおらず、辛い思いばかりしていた。



 「ちーちゃんと同じ遺伝子が全く入っていないメス猿に足を蹴られて痛いわ。誰か助けて欲しい」



 流し台に掛けてあるタオルで手を拭いてから知努は染子の背後へ回り、抱き締める。彼女と猫の行動原理が似ていた。



 構って欲しい時に悪戯したり、他人へ攻撃して注意を向けさせる。気まぐれで繊細な生き物だ。



 知羽が嫌味の1つも言わない彼の様子に染子から不安を煽られたと勘繰る。彼女ならやりかねない。



 「どうせお兄ちゃん、ク染子に酷い事を言われたんだよね。付き合いたくないとか、友達へ戻りたいとか」



 昨夜、彼に言った内容の予想を当てられてしまった染子は無言へなってしまう。察した涼鈴がため息を零す。


 「ちーちゃんはそーちゃんが好きだけど、もう嫌いになったんだね。でも大丈夫だよ。優しい従姉がちーちゃんにいるから」



 「お兄ちゃんと付き合う気ないなら早く帰って下げ〇ン。後、敷居跨いだらピーマン投げ付けるよ」



 すっかり染子が知努を愛し合っていないと2人に断定されており、観念した彼は答えを教える。



 「昨日、染子に中学3年間、全く俺が構ってくれなくて辛かった。今は告白の返事すら考えられないから友達へ戻りたいって言われた」



 血の気が引いた彼女は涼鈴に許して貰うため脊髄反射で謝罪した。運悪く、彼女の母親へ知られると愛想尽かれてしまう。



 「息子さんの心を傷つけてしまいごめんなさい。仲直りしたのでこの事は内緒にしてください」



 「仲直りしたなら別に私は何も言わないよ。ただ、そーちゃんはちーちゃんの特別な人という事を忘れたらダメだよ」



 彼女の髪を指で梳いている彼が裏切られたと知った時、どのような行動へ出るか分からない。



 少なくとも数年間、隠している秘密の1つを染子に明かしていた事は、信頼関係が強まっている証拠だ。



 「ソメちゃんの事は小学校の頃から好きだった。でも、意気地なしで素直じゃなかったからたくさん傷つけてしまった」



 安易に踏み込んではいけない彼の領域へ入っていると自覚していた染子は彼の手を優しく包み込む。



 ここまで好意を寄せていた相手から愛される事はやはり彼女も嬉しく感じている。優しく微笑みを浮かべた。



 「お互いの良いところをもっと知ってから付き合いたい。やっぱり、ちーちゃんのそばにいるといつでも安心出来るわ」



 2時間後、知努は従弟の忠清を連れ、白木家の墓参りに来ている。ライターで線香へ火を点けていると忠清が質問してきた。



 両親の墓参りのため彼は白いマリーンワンピースを着て、同じデザインのベレー帽を被っている。



 「お兄ちゃん、カミ様ってどんな姿をしているの?」



 人の願いを叶えてくれる側面ばかり強調されていたカミは、他人から明確な姿が求められていない。



 カミは形が存在していない概念という身も蓋もない答えを出せば解決する。しかし、忠清の想像力は育たない。



 「みんなに内緒にするって約束出来るならママとパパに手を合わせた後、教えてあげる」



 香炉の中央へ線香を立てた知努と花立に花を入れた忠清がしゃがんで合掌する。会話出来ない再会はとても辛いものだ。



 叔母から彼は多くの事を教わった。人の強さ、優しさ、二面性、残虐性など一般家庭の父親が子供に教える内容ばかりだ。



 実の我が子のように愛してくれた彼女は亡くなってしまう。骨壺へ収められている彼女の骨を骨噛みした出来事が蘇る。



 刹那の追憶を経て、少しずつ彼は目を開けると無意識に涙が流れていた。未だ深い悲しみは心のどこかで滞在している。



 「お兄ちゃんは本当に泣き虫だね。お〇ん〇ん、ちゃんと付いている? もしかしておトイレ中に落としちゃった?」



 からかいながら忠清が手の甲で撫でる様に彼の涙を拭う。従弟からこのような仕草をされると彼は予想していなかった。



 両手を従兄の頬に置いた忠清は、首を横へ向けさせてから唇同士重ねる。小学5年生と思えない大胆さだ。



 そのまま舌を彼の唇へ捩じり込もうとする。一瞬だけ、知努は葛藤するも入れやすいように口を軽く開けた。



 両親の墓前で従兄と舌同士を触れ合わせる口づけ出来る程、忠清は逞しくなっている。彼の髪から女子のような甘い香りが漂う。



 口付けでは飽き足らず、ワイシャツのボタンを外そうとする彼を知努が転ばない程度の力で押し退ける。



 恥ずかしさのあまり、赤面しながら忠清の腰へ片手を回して抱き寄せた。年々、行動が過激になっている。



 姉の文月と違った気品ある振る舞い、女性らしさを感じさせるまつ毛が長く、目尻はやや吊り上がっていた目は魅力的だ。



 髪形は従兄と同じく後ろ髪を肩まで伸ばしており、中性的な印象が強い。



 「お外でそんな事しない。ターちゃんもそろそろ好きな人がいるんじゃない?」



 「僕はその人の事を考えると胸がとても熱くなる。お嫁さんになりたいくらい好きだよ。これでお兄ちゃん、満足した?」



 幼馴染の染子にも同じような事を言われた彼は照れ隠しで忠清の鼻を軽く数回摘まむ。



 「僕は傘が色んな形に変わるキノコじゃないよ?」



 不思議そうな表情になりながら小首を傾げる。彼なりの愛情表現だと理解していないようだ。

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