第48話あい、しあい



 謎の来訪者の声を聞いた知努はゆっくりとコアントローを降ろして振り向く。背中まで伸びている繊細な黒髪、染子と背丈が似ている女子だ。



 不気味な豚の面と携えている日本刀から強盗か春の陽気で頭がおかしくなった変質者にしか見えない。



 面識がないのか彼女と同じ服装をしている従姉2人と染子は彼の後ろへ隠れていた。誰も予想していなかった異常事態に巻き込まれている。



 「1人で誰に再会して喜んでいるか分からないけど、色々説明して貰わないと困る。一体、誰なんだ?」



 彼はポケットの中へ手を入れて相手の行動に対して警戒した。これから行われる事は命のやり取りだ。



 一片の憎悪を抱いていない様子の彼女は左手で胸を撫でながら彼の元へ近づく。そして彼の胸に額を重ねる。



 「私はストロベリー・ワッフル、これだけ言えば思い出せる? それとも忘れちゃった?」



 「知りません、帰ってください。アジャラカモクレンフーライソテケレッツノパ」



 呪文らしき言葉を唱えた後、知努が軽く2回、手を叩いた。まだ彼女の頭上に死神は居座っていない。



 彼に正体を明かしたストロベリー・ワッフルは踵を返し庭の中央へ立つ。三中知努も目的が分かったのか、歩き出す。



「テメェら!  悔い改めてェ奴は十字を切りやがれ! でねェと、1人残らず叩き斬るぜ!」



 彼女は抜刀し鞘を地面へ置いて向き直り、刃先を喉元に向けて構えた。見えない気迫がひしひしと伝わる。



 キリスト教徒でない彼は好きなドラマの主人公を真似て十字を切った。これから狂気と対峙しなければならない。


 

 「どうして俺の周りの女子達はこうも不器用なんだろうな」



 分銅鎖を取り出した知努は迎え撃つ様に両手で構える。死と隣り合わせの状況で微笑んでいた。



 向けられている刀身は点にしか見えず、互いの距離感が掴み辛くなっている。油断すればすぐ斬られてしまう。



 すぐさま表情を引き締め、腰が深く落ちている相手の半歩、踏み出し斜めから繰り出される素早い斬撃を後ろに跳び避ける。頬へ当たる風圧は体幹の強さを物語っていた。



 ストロベリー・ワッフルが彼の喉を目掛け、また1歩、踏み出して動物の咆哮の様な掛け声を出し突く。



 彼女の高まった気迫は一種の攻撃だった。怯みそうになりつつも彼が分銅鎖で受け流し左側へ避ける。



 男女の死闘を2人と共に見物していた文月がスマートフォンで撮影していた。もしものため彼の勇姿を記録しなければならない。



 コアントローと彼の戦いを見ている際、ふざけた賭けに勤しんでいた犬猿の仲の2人も真剣な顔で見守っていた。



 しっかりと脳内へ彼の行動予測を組み立てているのか、即座に前蹴りを繰り出す。年頃の娘らしい細い足から鈍器のような重い衝撃が生まれていた。



 思わず彼は武器で受け止めるも体勢を崩してしまう。刹那の恐怖が襲い掛かると同時に笑みを零していた。



 死が目前へ迫っている時、おかしな事は何も見えない。しかし、嘘偽りなく、心の底から笑っていた。



 体勢を崩す事に成功した後、彼女は懐へ潜り込み上段から2度、振り下ろす。染子が駆け寄ろうとする。



 「彼と私の大事な命のやり取りを邪魔しないで! あなたの大事な彼は私に真正面から向き合ってくれているの!」



 頭蓋骨を叩き割られて、大量の血と脳みそが零れ落ちていると思ってた彼は横へ避けていた。染子の心配が杞憂で終わる。



 「まだ俺はくたばっちゃいねぇよ。もし、くたばっちまったらお通夜でLonely Manを流してくれ」



 ふざけた遺言を聞いた彼女は大人しく元の位置へ戻った。ストロベリー・ワッフルが知努の足元を薙ぎ払う。



 真上へ跳んで避けた彼は分銅鎖を片手に持ち替え、彼女の頬を勢いよく打つ。脳が揺れているのかふらついていた。


 すかさず先程の意趣返しとばかりに彼女の胸へ前蹴りを入れる。受け身が間に合わず、後頭部は叩きつけられた。



 刀から両手を離して割れるような頭の痛みに悶える。綺麗なドレスが砂によって汚れていく。



 脳震盪を起こそうが彼女の意思表示なしでは終われない。立ち上がるまでの間、彼は分銅鎖を片付け、次の武器に交換する。



 スカートの中で出番を待っていた3つに枝分かれしている鉄の武器を2本、取り出す。見慣れない武器が見えた2人は怪訝そうな顔へ変わる。



 「何アレ? 十手かしら? 岡っ引きにでも憧れているのかもしれないわね。私は火付け盗賊改が好きだけど」


 

 「あのドラマ、雰囲気が大人っぽいわ。でも、エンディングの夏と冬の場面で町民はかけそばを食べ過ぎよ」



 染子から日本の侘び寂びを理解する感性が不足していると小馬鹿にされたユーディットは彼女を軽く押す。



 少し痛みが和らいだ彼女は先程と違った刀の柄を右手首に添える持ち方へ変えて起き上がる。



 柄を両手、右手首で支える事により、従来の持ち方と比べ安定していた。そこから上腕が八の字に見える所謂八相の構えを取る。



 構えたまま走り出し彼と間合いを詰めた彼女が右膝を突き付き出すような体勢で止まり、振り下ろす。



 掛け声も激しくなっており、体育の時間に行う剣道で同じ掛け声を出せば体育教師から注意されるものだった。



 腹の底から声を出せば身が引き締まる。しかし、客観的に見ればこの掛け声は常軌を逸していた。



 ジークンドーの創始者であるブルース・リーの怪鳥のような掛け声が一般的に思える。



 刀を受け止められる構造になっている武器だが、彼はそれを過信せず左へ避ける。受け止めれば脱臼してしまいそうな斬撃だった。



 正面で避けずに対処する事が難しい圧倒的な彼女の攻撃を見た知努は、ある言葉が思い浮かんだ。




 それは今より世間知らずの汚れを知らなかった小学3年生の頃まで記憶が遡る。父方の叔母に連れられ、毎週、空手の道場へ通っていた。



 元不良のせいか気性が荒く、怒らせるとよく殴ったり、蹴ったりする怖い女性が叔母だ。



 甥の情けない根性を治す目的のため半ば強制的に習わせる。実際、そのおかげか多少精神は逞しくなっていた。



 いつも練習後に組み手が行われ、自身の叔母としなければいけない時は逃げ出したくなる。



 先人が鳥の立ち方から発想を得た技で彼女の回り蹴りを受けるも全く痛みが軽減されていない。



 人気格闘技ボクシングにはスウェイという攻撃を避ける技術が確立されている。避けなければ到底、状況を打開出来ない。



 ある日、彼女と組手中に足を狙う回し蹴りを受雷通り受けず、後ろへ避けると拳骨を落とされる。



 この拳骨をもし、上段払いした暁には鳩尾へ膝蹴りを喰らわされる未来がもれなく待っていた。



 「アホか、後ろへ下がったらすぐ追い詰められるだろ。とにかく前に、前に出ろ。気合が足りねぇんだよ」



 四十に片足を突っ込んでいる知努より体重が約3倍ある成人女性は精神論を重んじている。



 彼女の言う通り、下がらないやり方で戦うもやはり、回し蹴りを足で受け止めると痛かった。




 そんな彼女の回り蹴りと比べ物にならないストロベリー・ワッフルが繰り出す斬撃程の攻撃さえ出来れば避ける必要はない。



 組み手と命のやり取りは勝手が違う事を彼は思い知らされる。


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