第32話Y・Z



 頬や首筋へ歯型が付いている三中知努は妹と幼馴染に左右から挟まれて就寝している。悲しい夢か怖い夢に意識が溶け込んでいるのか涙を流していた。



 就寝前に設定していたエアコンのタイマー機能が働き停止してしまう。暖房の余熱で知努の頬を濡らしていた涙は少しずつ乾いていく。



 静寂に包まれすっかり冷え切ってしまった部屋の空気が布団の中へ入っていき熱を奪っていく。



 尿意を催した鶴飛染子はゆっくりと目覚め隣で寝ている男の体を揺らす。深い眠りからこちら側へ戻って来ない。



 悠長に待つ余裕がない彼女は両手で彼の頭を持ち上げてから反対側で寝ている女のこめかみへぶつける。



 頭部の激痛と血が引いていく感覚に悶えながら意識を戻した三中兄妹は抱き合う。その様子に構わず染子はベッドから降りる。



 「私の膀胱とお前の膀胱を交換するかトイレまで付いて来るか選ばせてあげる。どっちにする?」



 部屋の照明を点けて眩しさのあまり2人は掛け布団の中へ潜り込んだ。返答が戻って来ず強引に引っ剥がす。



 兄が着ている寝巻のボタンを外そうとしている知羽の額へ再度、彼の頭部をぶつける。割れるような痛みに2人は暴れた。



 染子が散歩中に立ち止まる犬のような彼の左腕を引き無理やり歩かせて部屋から出る。



 「寒すぎるわ、地球温暖化なんて嘘だと思う。後ろ髪をマフラーに使いたいからすぐ伸ばしなさい」



 「どうして後ろ髪だけなのよォォォォ! 俺がラブデラックスを持っているように見えるか?」



 用を済ませに行っている彼女が戻るまで知努は忍び足でおしどり夫婦の寝室に近づく。



 扉を少し開け覗き込むとすぐそばでピンクのチャイナドレス風の寝間着を着た忠文と青いベビードール姿の妻が転がっている。



 酔っていたせいか髪だけ下ろしベッドへ辿り着く事なく硬い床の上で寝ていた状態だ。



 片手片足を手錠で繋いでおり、物理的、精神的に逃げられない関係性だと彼は理解した。


 

 川に入水自殺を図った妻と手首を紐で結んで寝ていた某明治時代文豪夫妻の話が頭によぎる。



 忠文の尻を軽く蹴り、2つの枕を敷いてから掛け布団も掛ける。急いで所定の位置へ戻った。



 10分程、待たされた彼はまた手首を彼女に引かれながら寝室へ向かう。染子の膀胱はそこまで大きくないようだ。



 知努は部屋の照明を消してベッドに向き直ると階段から足音が聴こえた。そしてゆっくりとこちらへ近づく。



 扉が開いてから辛うじて体格と衣装で女性と分かる奇妙な2人組は入室してくる。すぐさまその片割れに接近を許してしまう。



 後ろから彼の喉に巻き付けられた左腕が脇の下に差し込んでいる右腕で軽く押さえられている。背中を反らしながら肩関節と喉の自由が脅かされていた。



 花見の際、知努が着ていた衣装と同系統のドレスを纏いストッキングも穿いている。少なくとも強盗でなさそうな身なりだ。



 帽子に付いたベールから白塗りのゴムマスクをした顔が見えた。彼の色白の頬を黒い手袋が付けられている手で撫でる。



 一方、もう片方は黄金色と赤色で目と口を描いているカラスのようなお面が帽子から垂れているベール越しに見えた。



 暗闇に黄金色の目が光っている様子は彼の興味を引いているらしく感嘆している。しかし2人のお面から抱く印象の落差は雰囲気を締まらせない。



 三中知努の危機は笑いを堪える幼馴染と妹の娯楽にされていた。理由の大半が白塗りのゴムマスクのせいだ。



 カラスのようなお面を付けている女は照明を点けてゴムマスクの額にカラステングものPart2と油性ぺンで描かれていた新事実が分かる。



 「助けて、本当に、色んな意味で」



 とうとう我慢出来なくなり、布団へ潜り込んだ知羽は外から分かる程、抱腹していた。染子も顔を逸らしている。



 やや装飾に金がかかっている金髪の女はレモンジュースと名乗り、隣の女をコアントローと紹介した。



 2人の名前が分かった途端、知努も必死に笑いを堪える。お笑い芸人としか見えないようだ。



 「お、お前らマジでふざけんなよ。1つ足りねぇんだよなぁ、1つ足りねぇんだよな。おい、ラムどこ行ったんだよ。アレないとX・Y・Zになんねぇぞ」



 引き笑いになりながら喋っているいるせいで徐々に肺の酸素が消耗され、喋り終えてすぐ声は出なくなった。



 ラム酒、コアントロー、レモンジュースを混ぜたカクテルはX・Y・Zと呼ばれている。下地の蒸留酒がなければ意味を成さない。



 レモンジュースが続けて三中知努を殺しかけた鶴飛染子に報復するために来たと語る。一転し彼の顔が曇った。



 直接本人へ攻撃せず間接的な手段を取る事は染子の自由がまだある現状から彼は察し敢えて従う。



 知羽や染子が邪魔すればこのまま首をへし折るとコアントローに脅され2人はただ見守るしかない。



 無駄な抵抗をする意思がないと判断されたのかコアントローは両手を素早く体から抜いた。



 しかし、染子は忠告を聞かずレモンジュースに殴りかかり、彼女が服の中へ隠し持っていたスタンガンの電流を首筋に押し付けられ気絶する。



 床へ顔が直撃する前に彼は抱き留めてそのまま妹の隣へ寝かせた。レモンジュースから脱衣を指示される。



 3時間が経ち、上半身裸でうつ伏せになっている知努の頭をレモンジュースが撫でるように踏みつけた。



 机の上へ置いていた黒いリボンが付いたヘアゴムをレモンジュースに見つけられ、後ろ髪を束ねられた。



 彼女の思惑通りにいったのか見物していた鶴飛染子は顔を持っている枕で押し付けている。



 「結局ラムはいるの? いないの? それより不純な行為してから朝帰りなんてしたらパパに怒られるよ」



 「うるさいな三中くん、ボクはユーディットじゃないから問題ないだろ」



 声と顔立ちと人それぞれが持つ匂いで知努は正体を見破っていた。束ねている彼の後ろ髪が女の足裏に触れる。



 レモンジュースの中性的な演技は崩れ年頃の女子らしい声が出た。コアントローに手を引かれながら逃げ出す。



 スタンガンに勝てる見込みがない彼は深追いせず深いため息を吐く。時計の方を見るともうすぐ5時だった。



 窓の外から早朝に決まって聞く新聞配達か牛乳配達か分からない原付のエンジン音が響いている。



 そばで乱雑に置かれている寝間着を持ち着替えた知努は消灯し睨みつけている2人の元へ行く。



 「人間やっぱりさ、楽しく遊んで暮らさなきゃ、ね?」



 笑顔で誤魔化そうとした知努は2匹の猛獣に頬や首筋を甘噛みされ痕が増えていく。心も体も水気がない野菜のようにしなった。

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