水曜日 その二

「そういえば、長月はどこの学校の生徒?」


フミヨはマスオを茶碗を片付けながら尋ねた。


「わ、私は……」


長月は正直、どう答えればいいかわからなくなった。嘘をついてもいいけど、フミヨにだけは嘘の事を話したくはなかった。なので、言葉を濁すことしかできなかった。


迷っている長月を見て、フミヨは優しく話しかけた。


「話したくないなら、話さなくてもいいよ。きっと事情があるのね。人それぞれ、心の中に秘密を持っているんだから。だとえ、その秘密がいいものでも、わるいものでも、誰にも分らないように、ちゃんと隠しておけばいいのよ」


長月は思わず目を見張ってしまった。だって、最後の言葉がフミヨの口から流れ出てきたこと自体が、信じられなかった。まるで、自分の秘密を知っているかのような言い方だったから。


「あら、どうしたの?」


驚いた長月の顔を見たフミヨは心配そうに言った。


長月はすぐ顔を横に振り、朝ごはんを食べ始めた。


朝ごはんを食べてから長月はフミヨに手伝って皿を全部洗った。それから、二人はリビングルームのソファに坐って、テレビの電源を入れた。


「長月はこれからどうする?ここでマスオがくるのを待つ?それとも、いったん家に帰ってみる?」


「私に、家はありません」


長月の言葉に、今度はフミヨはびっくりした。そして、同情の目で長月を見つめた。


「これからどうするつもりなの?よかったら、ここに泊まってもいいけど。見たとおり、家はそれなりに広いし、寝る所なら用意できるよ。……しばらくここに住むだけなら、かまわないよ」


「いいえ、そんな事はできません」


「どうして?」


「家はありませんけど、帰る場所ならあります」


「そう……。それなら、安心できるね」


フミヨは本当に安心したような笑顔を見せてくれた。


これ以上、お邪魔したら悪いと思ったので、長月はフミヨに別れの言葉を告げた。


「あら、でも、もっとここにいてもいいのよ。そんなに急がなくてもいいじゃない?」


「いいえ、そういうわけにも行きません。十分お世話になりましたので、ここで、失礼させていただきます」


「そこまでいうなら、私も無理に止めないけど、たまには遊びに来てね」


「はい」


長月は元気よく答えてから、家を出た。たまにここを尋ねるのではなく、しょっちゅう、お邪魔するかもしれない。それでも今週の日曜日までだけど。


マスオが運命の人だってことを知ったから以上、もっともっと頑張って、黒魂を食べることを長月は心の中で決めた。


建物から出てた瞬間、長月は小さい歓声を上げた。一晩のゆっくりとした休みで、体もすっかり回復したし、今まで食べた黒魂の力も完全に吸収できた。これなら、髪ももっと長くなれる。


マスオの家を出た長月はまず周りに黒魂の気配がいないか下がってみたが、気になる黒魂がいなかったので、勘に頼って街を歩くことにした。


今、長月の頭の中はマスオの事でいっぱいだ。もちろん、黒魂の事も考えている。もし、自分があの結界に興味がなかったら、今頃も、マスオを捜しながら、黒魂と戦っているところだろう。とりあえず、マスオを見つかったから、今は黒魂食いに集中できる。


それにしても昨日、マスオの家に入ろうとした黒魂はいったい何なんだろう。今夜もマスオの家に侵入しようとするかもしれないから、見張りにでもいくと決めた。


マスオには結界のお守りがある。でも、あのお守りの結界でどれくらいの黒魂を防げるだろう。それに、結界は自分の手によって壊されてしまった。そもそも、あの結界は長くもたないから。やはり、今夜は行った方がいいと思う。


いろいろと考えながら歩いていると、いつの間にか、商店街に入ってしまった。


特色のある店が軒を連なっているが、入って何かを買うお金など持ち合わせていない。


ショーウィンドーから中の商品を眺めながら、長月は道を進んだ。


商店街の端まで来たところ、雨が降り出した。


近くの屋根の下にもぐって雨宿りをした。すると、同じく雨宿りをする男性一人が入ってきた。


男性が長月の傍に立つとたん、長月の胸はどぎっとした。恋などの甘ったるい胸騒ぎではなく、本能的に感じ取った危険のにおいだ。


長月は、今の自分は勝ち目などないことを十分承知した上で、逃げようとした。


「どこへ逃げるつもりなの?」


長月の考えを読みとったらしく、男性は明るい声で呼びかけた。が、長月は何も言わなかった。男性を声を聞いただけなのに、体はもう自分の言う事を聞こうとしない。心の中でどんなにもがいても、四肢は固まってしまった。


「逃げる必要はないよ。俺はね、あなたなどに興味ないから。今回、この世に現れてから、まだそんなに時間が経ってないでしょう?俺はね、戦いに全然興味がない。この黒魂の力を手に入れた瞬間から、俺は自分のほしいものも手に入れたから。だから、俺の邪魔をしないとここで約束すると、見逃してもいいよ」


男性の口調は穏やかだったが脅しだってことは長月もわかっていたた。それより、情けないことに、体はまだ動こうとしない。男性の圧倒的な力によって、完全に体の支配権を奪われてしまった。


「どう?約束する?」


悔しいけど、ここで反抗し、戦って死ぬわけにはいけない。マスオを見つけなかった昨日だったら自尊心でこの男と戦ったかもしれない。しかし、今は運命の人であるマスオも見つけた。来週から始まる戦争に参加して勝つために、ここで我慢するしかない。


長月は力を振り絞って、軽く頷いた。瞬間、長月の体を覆っていた男性の威圧が跡もなく消えてしまった。


この時にやっと、長月は男性の顔を見ることができた。


驚いたことに、あんなに恐ろしい黒魂の力を手に入れた男性の顔はとても優しかった。イケメンではないが、顔立ちが悪いほうでもない。何より、体から自然と溢れてる一種の魅力がある。


「約束してくれてありがとう。俺はね、戦いがとても嫌いだから、できるだけ、穏便に物事を運ぼうとするの。でも、いざとなると、何をするのか分らないからね」


長月は今まで反抗できなかった恥から少しでも威厳を取り戻そうとして、胸を張って、力強い声で反し出した。


「私があなたと戦わないと約束しても、他のみんながあなたと戦わないとは限らないよ。それに、その中でも、あなたの手におえない存在が一人いる」


「そんなこと知っているよ」


「ならいいけど」


「でも、あなた達が俺を狩りにくるまで、俺は何もしないでただ待っているとでも思っているの?」


「あなたがどんなにあがいても、あの人には勝てないよ」


男性は軽く笑い出した。


「何がおかしいの?」


長月は自分がバカにされたと思い、少しむっとした。


「いやいや、俺のいった準備は戦いの準備ではないよ。先も言ったとおり、俺は戦いが嫌いだから」


「逃げるつもりでいるの?でも、どこへ逃げても無駄よ。絶対見つけられるから」


「そうね……」


男性はここまで言って、言葉を一回切った。小雨を零す曇りの空を見上げながら、また話し出した。


「でも、あなた達も俺を捜すほど、暇ではないこともちゃんとわかっているよ。あなたたちには俺を追うことより、もっと大事なことがなるから」


長月は男性が言いたいことが分った。


確かに、かぐや姫の分身たちはこの世界に長くは残れない。運命の人を探しだし、ほかの分身と戦う事がなにより大事だから。


「でも、一人くらいは残れるよ。そして、あなたを見つけ出して食う事だってできる」


このまま何も言い返さないと、自分が負けたような気がして、長月は言葉を発した。


「そのとおりだけど、残った一人は俺なんかにかまう暇があるのかな?俺だって、もしもの時には彼女の運命の人に手を出すかもしれない」


男性は長月を見下ろしながら言葉をつづけた。


「それでも、俺を殺しに来るだろうか?」


「な、ないと思う」


「そうでしょう?好きな人と幸せな暮らしをするためには黒魂狩りをやめないといけないじゃない。それに、残った『月』があのつよい『月』に限らないじゃない?」


悔しいけど、自分の負けを認めざるをえなかった。最後に残った一人も、この男性を追うことなど、到底ない。


「運命の人を見つかったでしょう?」


沈黙が続くと思ったら、男性がいきなり話し出した。それに、一番敏感な話題だ。答えたくないので、長月は黙っていた。


「その様子だと、図星だね」


「そうよ!それで、何が?もしあの人に手をだしたら、絶対に許さないからね。死んでも道連れにするから」


男性は子供をなだめるような口調で話し出した。


「俺はあなたの運命の人なんかに興味はないよ。ただ、すんなりと約束してくれたあなたの様子から、察したわけだ。もし、運命の人が見つからなかったら、ここは修羅場になったかもしれない」


長月は答えたくなかった。今の自分が男性と戦ったところで、すぐ結果が分る。周りに及ぶ被害は殆どゼロに等しいほどで負ける。


「あなたはこんな無口な性格なの?」


男性が訊いた。しかし、長月は口を噤んだままだ。


「わかった。黒魂とあんまりはなしたくないのね。でも、あなたたちは自分の運命が、どんでもない悪戯には思えない?」


長月はぱっと顔をあげ、男性を見据えた。目からは怒りが見えた。


「嘲るつもりはないよ。俺はただ、あなたたちの運命が切ないと思うだけ……」


「黒魂に哀れむほど、私たちは自分の運命を嘆いてはいない」


「当事者がそういうなら、俺にもこれ以上何も言えないが、そんな運命を変えてみようと思ったことはない?だっで、何回繰り返しても、幸せになる者は誰一人いないってことは、ちゃんと知っているでしょう?」

長月は顔を俯いた。確かに、男性の言ったとおりだ。今まで何回か繰り返したかぐや姫の分身たちの戦いのなかで、本当の幸せを貰った人は誰もいなかった。最後に勝ち残った最後の人の幸せさえも、目の前で粉々に潰されたから。


「でも、あなたはなぜそんなことまで知っているの?!」


男性は軽く笑ってから話し出した。


「俺はね、黒魂から知ったんだよ。俺が吸収した黒魂は長い間、この地球で漂流してたから、物知りだ。いろいろ教えてもらったんだ」


「今まで逃げてきたなんて、本当にすごいね。逃げ足だけは一流のようね」


「敵意のある口調ではなくなったね」


「あなたは敵じゃないみたいから。でも、警戒はしているから、少しでも変な動きがあったら、私は命をかけても、戦うんだから」


「安心して、そんな事はしない」


「それで、あの黒魂は全部みたって言うの?今までの私達の運命を」


「そう言っている」


「言っている?完全に吸収できたわけではなにね」


「吸収したのはあの黒魂の力だけ。消してはいない。生きる歴史はまさにあの黒魂だから、殺すわけにはいかない」


長月は小さな溜息をついた。


「確かに、あの黒魂があなたに教えたとおり。私たちは今まで、誰も幸せになったことはない。でも、今度こそ幸せになれると強く信じているから、必死になって戦える」


男性は何も言わなかった。


長月もこの沈黙が好きになった。


聞こえるのは雨が大地を叩く音だけ。悲しリズムに聞こえたのが、悲しい話をしたからかもしれない。


しばらくしてから、男性が先に話した。


「雨もそろそろ上がるところだ」


そして、長月を見つめた。顔には微笑みを浮かべた。


「また会えるといいね」


男性は長い知り合いにでも挨拶るす口調だった。


長月はすぐ言い返した。


「私はあんまりあなたに会いたくはないけど」


男性は微笑みながらまた言い出した。


「俺はまたあなたに会いたいよ。そして、あなたたちにも会いたい。今度の戦いで誰が幸せになれるか、最後まで見届けたいから。こんなことを言っちゃ変なのかもしれないけど、俺はあなたたちがみんな幸せになってほしいんだ。そのために再び地球に戻ってきたのでしょう?」


男性の言ったことは正しい。かぐや姫は分身たちが全部幸せになってほしかった。しかし、ことはかぐや姫の予想とおりにはいかなかった。幸せになれる人は一人しかいない。


「今回の戦いも楽しみにしているから」


「あなたものんびりだね。でも、私たちだけでもなく、あなたを狙う黒魂だっているはず。あなたは一生、戦いから逃げられると思っているの?」


「そうね。……逃げれるところまで逃げたい。今まで逃げたんだから、これからも逃げられる自信だけはあるから」


「猿も木から落ちるって諺、聞いたことがないの?でも、それがあなたの答えなら、別にいいけど」


ちょうどこの時、雨がやんだ。暗雲は風に吹かれてどこかに流れていく。


「じゃ、またいつか」


男性はこう言って、振り向かずに前を向いて歩き出した。


「会いたくないといったでしょう」


長月は男性の背中にむけて叫んだけど、男性は何も言わなかった。

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