火曜日 その四

木陰の下に入った長月は女の子と向かい合って座った。


「姉ちゃんはなんの役がしたいの?」


「そうね。なんの役がいいのかな?おままごとはあんまり遊んだことがないから、教えてくれる?」


「そうなんだ。じゃ、姉ちゃんにびったりな役はやはり、冷蔵庫の中に冷凍されたお肉の役だけどね。きっとおいしいお肉になれると思うの」


「それはどうもありがとう。……私がお肉の役ならあなたはなんの役を演じるの?その隣にいるひき肉の役?」


「姉ちゃん、冗談がうまいよね。もちろん、ひき肉の役ではなくお肉を食べる役だよ」


言ってから、女の子は笑い出した。かわいい笑顔から洩れる笑い声は人の背筋がぞっとするほどのすごさがあった。


「でもまさか、こんなところで、あなたみたいな黒魂に出会えるなんて、私はついていると思うよね。探し求めていた強いやつに出会ったのだから、私はもしかして幸運に恵まれているかも」


「姉ちゃんの最後かもしれないけど、それでもついていると思っているの?これは幸運じゃなくて不幸じゃない?」


「それはどうかな。でも、よく考えてみると、ひき肉の役をやるより、あなたは私に食べられる黒魂の役の方がもっとびったりと思うよね」


女の子はじっと長月を見据えてから、再び話し出した。


「まぁ、そんなことで言い合うのをやめた。ほかに役者がいるから、呼んできてもいい?姉ちゃん」


「もちろん。お構いなく、どうぞ。多ければ多いほどにぎやかで楽しいから」


長月の返事を聞いてから、女の子は目をつぶって、唇を動かした。何を言っているのかは聞き取れないけど、大変なことが起こったのはわかった。なぜなら、女の子の体から、黒魂が出てきたから。黒魂は全部で三匹現れた。


女の子は目をあけて、黒魂を紹介してくれた。


「これは父ちゃんの役、これは母ちゃんの役、そして、これは弟の役。覚えたの、姉ちゃん?おままごとの基本は役に忠実することと、役者をちゃんと覚えることだよ」


「覚えたよ。つまり、この三匹の黒魂を全部食べないと、あなたには触れないってことだよね」


「姉ちゃん、そんな物騒な言葉は口にしないでよ。私はまだ子供だよ」


「あなたが先に話したのよ。……でも、本能って怖いよね。この時代に生きている黒魂は私の姿など知るはずないのに、一目みただけで、分かるんだから。やはり私たちは運命の糸で結ばれているのね。赤い糸ではなく黒い糸みたいな」


「私もそう思ってるよ、姉ちゃん。姉ちゃんの見た瞬間、心にある欲望が生き返ったような気がしたの。こんなにも何かを食べたいという衝動が私の心にあるなんてわからなかったもん。ただ、この黒魂達の楽しくおままごとをしながら残りの時間をつぶしたいと思っていたのに」


「しかしへまをしたんじゃない?昼だど、あなたの力も百パーセント使えないでしょう?力が減った状態で私を呼び止め、本当に大丈夫?夜に襲い掛かったほうがもっとよかったんじゃない?」


「大丈夫だよ。だって、今のままでも姉ちゃんに勝てる自信はあるんだから」


「そうなの。じゃ、姉ちゃんは手加減しないからね。覚悟しなさい」


「そういうことなら、私が手加減してあげるよ、姉ちゃん」


長月は立ち上がり、後ろに何歩下がった。周りを見ると、先までいた子連れの主婦もいつの間にか、いなくなった。周りに誰もいないほうがもっと、都合がいい。後で、記憶を消すのも面倒だから。


長月がまた何かを話そうとしたが、三匹の黒魂が自分の周りに駆けつけてきた。三匹の黒魂は同時に攻撃を仕掛けてきた。


長月はすぐ髪で三つの束をつくり、三匹の黒魂を攻撃に対応した。


黒魂たちの攻撃は鋭かった。だからと言って、長月の髪の防御を破るほどでもなかった。かといって、長月も簡単に黒魂たちの攻撃を突破できる状況でもない。思った以上の強さで長月は防御しつづけている。一見、不利の状況に置かれているようにも見えるのだが、長月は打開策をちゃんと考えている。


考えるうちに、黒魂たちの攻撃がますます激しくなってきた。


長月は、かわすチャンスも、反撃するチャンスも逃し、膝を抱え、髪で自分の身を包み、球を作た。防御の姿勢に入った。


三つの黒魂の攻撃はしばらく続いた。髪の球を打ち続けたが、長月はなんの反応も示さなかった。髪でできた球の中は安全だから。


髪が守っているから、長月が受けたダメージはゼロに等しかったけど、このまま攻撃を受けるだけだと、戦いが長引くことになるのに気付いた。


このままだと、埒が明かないので、長月は反撃を開始した。


何本かの髪を使って、三つの黒魂に向けて突き刺した。一部の髪を武器に使った代わりに、球に穴が開いて隙ができた。


三つの黒魂は思ったよりすばやい動きで攻撃を停止し、長月の髪の攻撃をかわした。そして、隙のできた球に拳を飛ばした。髪の球にある隙をこじ開けるように拳を押し入れた。長月はもちろん黒魂たちの腕が入るのをただみていたのではなかった。すぐ隙を縮めた。黒魂たちの腕はすぐ切断された。


痛みを感じない黒魂たちは、切断された腕をぼうっと見つめた。間もなく、切断面から黒い煙が上がり、新しい手が生えた。


「姉ちゃん、私の家族は丸ごと食べないと再生するよ。あんな甘い攻撃じゃ、ダメージはちっともないんだからね」


傍らで観戦している女の子の声が響いてきた。


「そうなんだ、いい情報ありがとうね。じゃ、さっそくあんたの言ったとおりにしてみるわ」


長月の髪の球にできた三つの髪束を足のように動きだし、弟役の黒魂に駆け寄った。一匹ずつ食べるつもりだ。


父ちゃん役と母ちゃん役の黒魂は長月の動きを見て、すぐ妨害しに走ってきた。


しかし、一足遅かった。


父ちゃん役と母ちゃん役の黒魂が近づく前に、弟役の黒魂は髪の球に食べられた。球の中にある長月が食べようと息を吸うと、弟役の黒魂は抵抗した。狭い髪の球の中で拳を上げ、長月の頭目掛けに振り下ろした。長月は手で軽く払いのけた。弟役の黒魂はそれ以上攻撃ができなくなった。無数の細い髪の毛が体を巻いたから。


「おいしくいただくね」


長月は外にいる女の子が聞こえるように、わざと大声で言った。それから、黒魂を吸い込んだ。弟役だからほかの二匹より弱かったのもあって、あっさりと決着がつけたのかもしれない。今、外で自分の髪の球を攻撃する二人の攻撃はますます激しくなった。まるで本当の子供を殺された親が暴れているようだ。


攻撃だけが上がった二匹の黒魂を真っ向から立ち向かうと決めた長月は髪の球を解けた。究極の防御を解けたが、勝てない相手ではない。


長月は髪を二分に分け、ドリルの形にし、黒魂たちの攻撃を攻撃で立ち向かった。黒魂は左右から攻めた。長月は二つの髪のドリルで黒魂たちの拳や蹴りを打ち払った。長月は力いっぱいで打ち払ったつもりだったけど、黒魂たちの腕や足を打ち砕くことはできなかった。やっぱり、弟役の黒魂とは違う。打ち砕くことができないなら、切断することしかない。


長月は髪が黒魂の体に触れるたびに巻きつく機会を狙ったんだけど、黒魂も長月の考えを呼んだかのように、そんなチャンスを与えなかった。


ぶつかり合った拳と髪、足と髪。長月はまきつこうとする。それを巧妙に避ける二匹の黒魂。


このすべてを、後方でじっと見ていた女の子は立ち上がり、戦っている長月に向かって歩き出した。


「姉ちゃん、余裕みたいね」


正直に言って、余裕まではいかなくても、長月は負けない。


「もちろんだよ。これしきの黒魂に私がやられるわけがないよ。さっさと終わらせてからあんたを食べるから、待っててね」


昨日の夜、十分寝たので、長月の体力回復はちゃんとできた。それに、今しがた吸収した黒魂の力も少しずつ体に溶け込んできた。


「じゃ、黒魂が増えても、姉ちゃんにとっては、なんの問題もないわけだよね」


「そうだよ。増えれば増えるほど、私的にはありがたいね」


長月の答えを聞いた女の子は笑った。


「それでは、家族をもっと増やすね。私の大家族を紹介する」


言葉が終ると同時に、女の子の体から、続々と、黒魂が出てきた。


「これは婆ちゃん、これは爺ちゃん、これは叔母ちゃん、これは叔父ちゃん、これは兄ちゃん、これは姉ちゃん、これは妹、これは従兄弟。これくらいなら、月の姉ちゃんをやっつけるのに、十分じゃない?」


数を数えてみるとちょうど十匹はある黒魂は、隙間がなく長月を取り囲んだ。長月はもう一度、髪の球で防御体勢に入ったのは、黒魂たちが一斉に攻撃をしかけた時だった。


たとえ黒魂を全部吸い込んだとしても、女の子はすぐ新しい黒魂を作り出すから、厄介なことになった、と長月は舌打ちをした。


女の体から出てきたたくさんの黒魂は、本体から切り離された黒魂なので、攻撃力はそんなにいないと思ったけど、そうでもなかった。父ちゃん役と母ちゃん役の黒魂並みの攻撃力を持っている。本来、本体から分離された黒魂の力は数が多ければ多いほど、攻撃力も下がるのに、この黒魂たちは違うみたい。


長月はずっと髪の球の中に隠れていてもいいが、早く、片付けないといけないと思い始めた。


なぜだか、力が少しずつ失っていく気がした。その変わり、黒魂たちの攻撃の力が


「月の姉ちゃん、自分の立たされた立場が漸く分ったみたいだね」


「どういう事?」


「私の家族は月の姉ちゃんの力を少しずつ吸い込んでいるのよ。だから、月の姉ちゃんがあの髪でできた盾の中に隠れていたら、結局負けてしまうのよね」


そして、黒魂たちに声をかけた。


「私の家族のみんな、頑張って!」


女の子の言葉にこたえるかのように、黒魂たちの攻撃は一層、激しくなった。


長月は地面に足をつけた。そして、髪を四方に伸ばした。ちょうど、開かれた傘のようにみえた。伸ばされた髪は、伸縮しながら、周りの黒魂を攻撃した。長月の足を狙っても、頭のてっぺんを狙っても、全部、髪ではねかえした。


「なら、私も本気を出してもらうわ」


長月は髪の毛を何十本に作り、攻撃をしてくる黒魂たちの拳や足に対抗した。黒魂たちの体に突き刺さった髪は刺さったまま、抜けられなかった。黒魂がどんなに引っ張り出そうとしても、できなかった。


女の子は一番近くにある黒魂の前まで走り寄って様子をみた。


「わかった?私の髪っていいでしょう?」


よく見ると、長月の髪の先端は釣りフックの形になった。だから、黒魂がいくら引っ張っても抜けなかった。


「抜けないならそのままでいいの。これって月の姉ちゃんも逃げられないってことでしょう」


女の子がの話が終わると、黒魂たちは体を貫いた髪を気にもせず長月に向かって走った。円の中心にいる長月は逃げることはできなかった。髪の毛は長くないから黒魂たちはすぐ攻撃できる範囲まで近づいてきた。


長月は焦った顔は見せなかった。


彼女の髪は持ち上げてから強く地面に叩き込んだ。これを何回か繰り返すと黒魂たちの動きも鈍くなった。


長月は、ゆっとりとした足取りで、女の子に近づいた。黒魂たちを空中に持ち上げたままで。


「あなたの家族をいくら出しても、結果は同じよ。だらか、大人しく私に食べられてはどう?」


「いやよ!」


女の子はまた家族という黒魂を呼び出そうとした。それより早く、長月は女の子の目の前について、髪で女の子の体を巻きつけ、持ち上げた。


「さあ、黒魂の本体はどうやら、あなたの執念によって、勝手にでられないみたいね」


「私を放して!」


女の子は抗ったが、髪から抜け出すことはできなかった。


「でもね、あなた。黒魂の本体を自分の心に閉じ込めて、その力を使うことができるってことは、あなたの精神力はとても強いってことよ。こんな、罪の塊みたいな黒魂とあそばなくてもいいじゃない?」


女の子は黙ったまま何も言わなかった。


「あなたに何があったのかは聞かないよ。でも、黒魂を食べることは確定だから、恨まないでね」


こういって、長月は一本の髪を女の子の額に刺した。黒魂の本体は何のダメージを受けていないので、息を吸うだけでは女の子の体から引き離すことは無理だ。


長月はその一本の髪に自分の力を注ぎ込んで、黒魂の力を弱まらせた。そして、ずいぶん弱まったところを狙って息を吸った。すると、女の子の体から、黒魂が現れ、長月に吸い込まれてしまった。


長月は女の子をそっと地面に置いて、残りの黒魂を全部吸い込んだ。


女の子は芝生に倒れて、しゃくり出した。


「みんな、私の事を嫌っているの。だから、一人でおままごとをするしかないの」


長月はしゃがみ、女の子の頭にそっと手を置いて、優しく撫でた。


「大丈夫。今は友達や家族がいなくても、この先にはきっと、あなたが望んでいる温かい人の心を感じれる未来が訪れるから。だから、その強い心で、前に進んで。……それにね、あなたが、黒魂を自分の心の中に閉じ込めなければ、私には勝算などなかったよ?」


「本当に?」


女の子は長月の慰めに、少しは気分を落ち着かせたようだ。時には嘘も方便。


「うん、本当。だから、家に帰ってね。そして、希望を捨てないで」


「うん」


女の子は目じりの涙を拭いて、たち上がった。


「月の姉ちゃん。ありがとう」


「お礼を言われるほどの事など、していないよ。あなたは十分強いだから、自分の事を信じて。たとえ、他の人に好かれなくても、自分が自分の事を大事にすればいい。いつかきっと、あなたの事を好きになってるくれる人はあらわれるよ」


女の子は力強く頷き、長月に別れの挨拶をして、どこかへ走り去っていった。


意外と、強力な黒魂を吸収できたことに、長月はすこし嬉しくなった。だから、気分がよかったので、優しい言葉をかけたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る