土曜日 その十

あまりの速さに、どれぐらいの距離を走ったかの実感がないので、随分と遠くまで来たと思った頃、僕は足を止めた。周りを見回したら、海岸娯楽施設の付近に戻ってきた。殺人事件と夜のせいで、海岸娯楽施設はお化け屋敷に見えた。


長い間走ったと思っていたのに、結局ここまでしかこれなかったことに僕はがっかりした。ここに長くいてはいけないと思って、再び走りだそうとした時、葉月は自分を下してと合図をした。


葉月は砂浜に立って、僕に話した。


「どこかに身を隠して。あいつが来る」


「でも、あなたの腕はまだ治っていないよ」


突然、葉月の傷口を包んだ白い光は消えうせた。


「治ったから、速く隠れて」


葉月は僕をみず、僕らが走ってきた方向を見つめていた。


白い光が消えたのをみて、僕も少しはほっとした。それから近くの物陰に身を隠した 。いざと言う時、葉月を抱いて逃げるための待機した。


最初に現れたのは男の子ではなく、岩だった。


岩はまっすぐに葉月に向かって飛んで言った。


「お姉さん、腕、もう治ったの?治るの早いんだね。じゃ、何回壊してもいいってわけだね?まるでお人形みたい。でも、お人形は自分で治せないからちょっとつまらないか」


男の子はさりげなく怖い事を口走った。


葉月が何も答えなかったので、男の子は話を続けた。


「じゃ、早くこの戦いを終らせようね、お姉さん。お姉さんを僕のお人形にしたくなったなあ~」


葉月は自分に向かって奔ってくる男の子に髪の槍を投げつけた。よく見ると、今の葉月は左手でしか攻撃をしていない。


左手だけってことは、まだ全部治っていないのに違いない。僕を安心させるための嘘だったと考えると胸が締め付けられるような気持にかられた。今から出て行って、葉月を抱いて逃げようにも、戦いの中に乱入したら、かえって葉月の邪魔になるかもしれない。


男の子も今まで受けた傷のせいか、攻撃も防御も思うままにできず、左手だけで攻撃をしている葉月には近づけなかった。このままでは、戦いが長引くののを知った男の子は、体の向きを変えて、僕に向かって走りだした。


男の子の算段がすぐわかった。僕を人質にして葉月の動きを少しでも鈍らせようとしたのだ。


僕は海岸娯楽施設に向かって走り出した。そこなら、結構な隠れ場所が見つけると思っていた。男の子は僕の後ろで追いかけてくる。


海岸娯楽施設に入ったら、後ろで建物が壊れる轟音が響いた。振り返ると捕まえそうなので僕は前だけ見て必死に隠れ場所を探した。


「壊さないで!!」


すると男の声が聞こえてきた。振り返ると髪の槍が海岸娯楽施設の中にある建物を壊している。僕はでっきり男の子が建物を破壊していると思ったのに、違った。


男の子は壊された建物に駆け寄って、髪の槍を抜きながら、なんとか、建物を修繕しようとしている。瓦礫を拾っては、欠けたところに置くけど、それだけじゃ、くっつけるわけがない。


葉月は男の子の叫び声を無視して、髪の槍を施設に向かって投げ続けた。立て続けに壊れていく周りの建物を見ながら、男の子の声は怒鳴り声から、懇願の声に変わった。


髪の槍を引きちぎるやら、建物を守るやら、なおすやらと、男の子は涙を流しながら忙しく動き回っている。


でも、男の子の努力は報いをもらえることはできなかった。


「お姉さん、お願いだから。もうやめて。もう壊さないで!父さんと母さんとの楽しい思い出がつまっている場所を壊さないで……」


葉月は男の子の願い事を聞き入れず、施設を壊し続けていた。


男の子は自分には建物をなおすことができない事が分ったか、ただ泣いているだけだ。


施設を廃墟のようにまで壊してから、葉月は男の子に近づいた。そして、四本の髪の槍は男の子の四肢を貫いて地面に固定した。


「お姉さん。本当に……僕の黒魂……を吸収しちゃうの?」


葉月の無表情な顔から、答えを読んだらしく、男の子は抵抗したが、髪の槍を抜くことはできなかった。


葉月は男の子が抵抗しないように、身体にも何本かの髪の槍を立て続けに刺した。


「父さん、母さん、僕を捨てないで……」


男の子は独り言をしゃべり始めた。


「僕を捨てないで。ねぇ、お願い。こんな病気に罹ったのは僕のせいじゃないよ。だから、捨てないで。父さん、母さん、今どこにいるの?」


葉月は黒魂を吸う準備をした。


男の子の身体から、黒魂が少しずつ引き離された。


「僕の黒魂を吸わないで。お願い、お姉さん!」


男の子がどんなに泣き喚いても、葉月はやめなかった。黒魂が消えつつある男の子の身体からは血が滲み出た。


「父さん、母さん」


男の子の声も力をなくしていた。


「この子がかわいそうだよ」


僕の心に同情の念がわきあがってきた。


「心配ない。この子は死なない」


「それでも……」


僕が言葉につまっているその時、男の子の様子が変になってしまった。父さん、母さんと喚くのではなく、別の人と会話しているそうだ。ちょうど、前の女性被害者のようだ。


「お願い、消える前に僕を殺して。君がいなくなったら、僕はもう生きていけないよ。だから、早くして。お願い」


黒い影が男の子の首を巻きつけた。その後、僕は骨が折れた音を聞いた。


黒魂を全部吸って、葉月も地面に倒れこんだ。傷のダメージが相当おおきらしい。


僕は葉月の傍に坐り、彼女の頭をそっと、自分の膝の上に載せた。


葉月は目を開けて、僕だと確認してから再び目を閉じた。


時計をみると、もう朝の3時になった。海風が冷たい。葉月が風邪にかからないように、僕はそっと彼女を抱いてみた。


波の音だけがこの静寂な夜に潜む恐怖を払ってくれる気がして、安心できた。


どれぐらい経ったのだろう。


葉月はいきなり起き上がった。


「行きましょう」


こういって、すたすたと歩きだした。


「うん!」


僕もすぐ後ろについて行った。


少し歩いてから、


「葉月、この壊された施設と、男の子の死体はこのままにするの?」と葉月に聞いてみた。


「それしか方法がない」葉月はこう答えた。


死体を僕たちが処理できるはずがない。振り返って施設の残骸を一目みた。朝になれば、これも結構なニュースになると思った。謎の破壊事件としてオカルトファンに好かれそうなテーマだ。

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