第96話 <贄>の秘密②
ロロは、目当ての人間を探し、紅玉宮の庭園へと足を向けた。
近づいていくと、どこからか、鼻歌のような可憐な声が聞こえてくる。
「――レティ」
「ひゃっ!」
遠くから、なるべく驚かさないように。
そう意識して声をかけるも、何度やっても少女は暗がりで化け物にでも出逢ったかのように身体を跳ねさせて驚く。
「ロ――ろろろ、ロロ、さん……」
「今、いいか」
「はっ……はひっ……」
まるで野生動物を興奮させぬように近寄るような心持で、ゆっくりと落ち着いた声音で語り掛け、ことさら慎重に近寄る。
菫色の瞳をした少女は、恐怖に顔を青ざめさせ、眦にうっすらと涙を浮かべて身体を震わせながらも、ぎゅっと唇を引き結んで、逃げることなくじっとその場でロロが近寄ってくるのを待つ。
恐怖に耐えるようにぎゅっと握られたその手元には、小さな鉢植え。――彼女の名前と同じ花。
自分の名前の元となった花を、幼いころ読んだ書物でしか知らないと告げると、ミレニアは昔の庭師のデニーに頼み、小さな菫の鉢植えを与えたのだ。主の心遣いに感謝して、デニーに習いながら土いじりを始めてその魅力にのめり込み、今では時間が空いたときにはせっせと庭園へと通っている。
「今夜、また、森に行く。――すまないが、また、魔法をかけてくれないか」
「ぁ……は、はい、わかりました……!」
ぎゅぅっと鉢植えを抱きしめるようにして、何とか声を絞り出して返事をする。心を落ち着けるように小さく深呼吸をしてからそっと脇に鉢植えを置き、レティは庭園の手入れ道具が入っている倉庫へと踵を返した。
”仕様書”には、彼女に魔法適性はない、と書かれていたが、それは偽りだった。
奴隷商人によるものではなく――彼女自身の意図によって。
(えっと……あ、あった!)
倉庫の入り口近くに置いてある、最近活躍頻度が高まったシャベルを手に取り、レティは元の場所へと戻る。最近は、ミレニアにお茶を淹れるたびに一緒に飲むよう誘われるので、軽食をことあるごとに食べる羽目になり、最初のころの骨と皮だけの不健康だった身体つきはやっと普通の”やせ型”体型の少女へと変貌してきた。体力を使う庭いじりも相まって、筋力も程よくついてきて、見た目から悲壮感を漂わせるようなこともない。大きなシャベルを手にしてもふらつくようなことはなかった。
「すまないな」
「いえ……少し、お待ちください」
ロロの元へ帰ってきた少女は、すっと瞳を閉じてシャベルを横抱きに抱え、集中する。
ふわり……と特殊なイメージと共に魔力を解放する感覚。不可視の不思議な力が身体をめぐってほんのりと温もりを与えていく。
「……はい。これで、今晩一晩くらいは大丈夫だと思います……」
「助かる」
まだ近づくのが怖いのか、腰が引けた様子で震えながらシャベルを差し出す少女に、手短に礼を言ってロロは鉄製のシャベルを受け取った。
レティは、土属性の魔法使いだったが、奴隷小屋に連れて来られたときに、それを意図的に隠したらしかった。
土魔法が仕える者は、女であっても労働奴隷として重宝することが多い。女が派遣されやすい富裕層の屋敷ではなく、男に混じって建設現場などに派遣されてぼろ雑巾になるまで使い倒されることもある。
それゆえ、レティは己が土魔法の使い手であることを黙ったまま奴隷小屋へとやってきて、魔法を使うような過酷な任務には派遣されないように自衛してきたらしかつた。
だが、ここで従事するようになってから少ししたころ、ミレニアにそっと秘密を打ち明けたのだ。次の日には、ミレニアは同じく土魔法使いでもあり庭師だったデニーへと手紙を書いて、彼女に菫の鉢植えを与えるように指示をした。
最初はどうということもないそれを横目で見ていたロロだったが、ふと、少女に頼んだのだ。
――穴掘りを楽にする魔法をかけた道具を一つ、貸してくれないか、と。
「終わったら、戻しておく」
「は……はい」
怯えた様子は隠し切れないものの、レティの男性恐怖症はこの数か月でだいぶマシになった。薬師の資格を持つミレニアは、精神を病んだ者への治療も当然知識がある。レティをマクヴィー夫人がかつて務めていた筆頭侍女の位に就けて、四六時中傍に控えさせながら彼女との関係を育み、彼女に悟られぬようゆっくりと心を癒していった。レティ自身も、主の役に立つために、と必死に己のトラウマと向き合い、ここまで回復したのだ。
「ぁ……あのっ……」
「?」
相変わらず、寡黙な護衛兵は、余計なおしゃべりなど一切せず、要件が終わったらすぐさま踵を返してどこかへ行ってしまう。レティはその背中に慌てて声をかけた。
「す、すみません……その……”進捗”は、いかが、でしょうか……」
「あぁ――……」
菫色の瞳を揺らして、不安そうに尋ねるレティを前に、ロロは軽く周囲を見回し、誰もいないことをさりげなく確認する。
「……順調だ。お前の魔法のおかげで、掘り起こされるようなこともない」
手短に答えるロロに、少女はほっと安堵のため息を漏らす。
「……せっかく、姫が生きることに前向きになってくださったんだ。来る日に向けて、出来ることは全てやっておく」
「はい。……いつでも、お力になれることがあれば、言ってください」
「あぁ。助かる」
軽く手を上げて、ロロは庭園を後にする。
その背中に、ぺこり、と可憐な少女が頭を下げた。
夜――
うっそうとした森の中を、一頭の軍馬を操り、漆黒の衣をまとったロロが現れた。明かりにしている炎は、彼の魔法で生み出したものだろう。皇城からかなり離れた場所でも、衰えることなく、煌々と燃え続けている。
ロロは無言で空を見上げ、月あかりと星の位置から方角を算出し、辺りを付けて馬の頭を向ける。
「……あった」
しばらく行った先に、目当ての物を見つけ、ぽつり、とロロはつぶやいた。
それは、今朝、軍について討伐任務に赴いた際に、魔物と交戦した場所だった。二頭の魔物の死体が地面に放置され、周囲の木々には討伐時の戦闘の爪痕が生々しく残っている。
ザッ……と無言で馬を降りると、馬に括りつけていた荷を解いて、ロロは脇目もふらず、一本の木の根元へと向かった。
(魔物の爪跡が三本――十分な深さもある。これが一番、わかりやすいか)
じっと至近距離で木の幹に刻まれた痕跡を眺めて分析し、荷と一緒に降ろしたシャベルを手に取る。
それは、レティに魔法をかけてもらったシャベルだった。
魔法は、物体に簡易的な効力を付与することが出来る。土魔法の効力を付与したシャベルは、土属性の魔法使いが魔法で穴を掘るように土を簡単に掘り起こすことが出来るし、魔法を使ったときのように掘り起こす前と同じ状態に戻すことが出来る。燃えない素材――例えば剣の先など――に火属性の魔法を付与して、松明代わりにしたり、水筒に水魔法をかけて、長期の行軍の飲み水確保に生かしたりと、軍用に転用される道具への魔法付与という機能に目を付けたロロが、レティに頼んだのだ。
「……よし」
手荷物を一度解き、中身を確認してから、再びしっかりと密閉するようにして防水加工を施した革袋の中に入れ込む。
月明りに一瞬見えた荷物の中身は――眩いばかりの宝石と、いくらかの金貨と、小さな薬袋。
ザッとシャベルを木の根元の土に入れると、魔法の効果のおかげで、空気を掻くような抵抗のなさで土を一気に掘り起こしていく。
(姫を連れて、<贄>として捧げられる前に逃亡する羽目になった時のために準備してきたが、クルサールの手引きで逃亡することになったとしても、役に立つだろう。結果として、早めから準備しておいてよかった)
荷物の中は、ミレニアに拾われてから殆ど使うことのなかったロロの給金によるものだ。いざ逃亡するとなった時、大量の金貨を持って馬を駆けさせるというのは合理的ではない。
大量に残っていた給金のほとんどは持ち運びのしやすい宝石へと変えてしまい、いつでも換金できるようにしておいた。すぐに使える現金も必要になるかもしれないため、金貨は最低限荷物の中に入れておく。怪我や病に備えるため、薬袋も欠かせない。
(もう少し寒くなってきたら、携帯食や保存食などを埋めてもいいかもしれないな……次の討伐任務から、支給されるものを取っておくか。……アイツに頼んで調達してもらうのもいい)
胸中で呟きながら、あっさりと掘り起こされた穴の中に乱暴に革袋を投げ入れ、再び土を戻していく。魔法の効果で、掘り起こした形跡など全く見受けられない、綺麗な表面が出来上がった。
次のミレニアの誕生日の夜――紅玉宮を抜け出した後、クルサールの生まれ故郷、エラムイドまでは逃亡の日々となるだろう。帝都からはかなりの距離があるが、ミレニアの素性を隠しながらの旅程になる。いざというときのために、金や薬などはいくらあっても足りないと言うことはない。
ここは、魔物が棲むと言われる東の森。ただでさえ、深い森に一般人は近づかないが、今はなおのこと近づく者はいないだろう。金品を隠すにはうってつけだ。
目印は、あまりにわかりやすくては意味がない。だからこうして、魔物の討伐任務などで自然についた森の傷跡を目印にして、ロロはことあるごとに夜に抜け出しては荷物を埋め込んでいくのだ。獣たちが掘り起こしたり、万が一誰かに発見されたりする可能性も考慮し、いくつも小分けにして分散させて、何度も埋めに来る。
ロロがこんなことをしていると知っているのは、レティだけだ。どうしても魔法を付与した道具を使う必要があったため、計画を打ち明けた。
(だが、だれがいつ、どんな状況で裏切るかわからない――何せ、埋めているのが大金だ。なるべく誰にも告げないでおきたい)
それは――クルサールであっても、同じだ。
その意味では、レティを共犯に選んだのはよかったと言えるだろう。男性恐怖症の症状が少しずつマシになってきたとはいえ、ロロと庭師のデニーにはだいぶ慣れてきたが、まだ他の男への耐性はあまりない。クルサールや、他の護衛兵として雇われた剣闘奴隷たち相手では、蒼い顔で震えてしまって、泣き叫ぶことは無くなったものの、まともな会話となるとやや難しい。デニーといるときは終始土いじりの話しかしていないし、彼女が誰かに秘密を打ち明けるようなことはないだろう。
第一レティにも、こうして逃亡資金や必要物資を森に埋めている、ということしか伝えておらず、当たり前だが細かい場所や目印も伝えてはいない。万が一、彼女が誰かに秘密を漏らしたとしても、荷物にたどり着く可能性は低いだろう。――ミレニアに人一倍心酔している彼女自身が、ミレニアを裏切ってこの軍資金を独り占めしようとすることも想像が出来ない。
(仮に秘密を知っても、そう簡単には、探せないはずだ。――魔物がひしめくこの森で、探索活動などしようものなら、あっという間に命の危険にさらされる)
独りで、いくらでも魔物を相手に戦えるロロのような存在は稀有だろう。そこまで考えての、隠し場所だった。
しっかりと掘り返した形跡が無くなったことを確認し、周囲を見回してしっかりと隠した座標を頭に刻み込んでから、馬に戻り、ひらりと背に乗る。ドッと愛馬の腹を蹴って、守るべき主が眠る皇城を目指した。
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