第77話 “神”に選ばれし<贄>②

「今日はまた、一段とお美しいですね。黒玉の君」

「ありがとうございます」

 庭園に設置されたテーブルに向かい合って座った途端、完璧な笑顔で言われて、こちらも完璧な笑顔で返す。

 最近、何が面白いのか、やたら頻繁に訪れる美しい好青年クルサールは、今日もにこにこと笑顔を絶やさない。

(全く……マクヴィー夫人の思惑が透けて見えるようだわ……)

 扇の下でこっそりとため息をついて、ミレニアは己の装いを見下ろした。

 確かにクルサールは、エラムイドの代表者だと名乗った。形式上は属国となっているとはいえ、殆ど形骸化している領土の代表者――いわば、他国の王と言っても差し支えがない。

 相応の身分を備えた相手に、礼を失してはいけない、と言えばそうだが――どう考えても、この装いは、気合が入りすぎだ。

 まるで――お見合いでもさせられているかのよう。

 美しく結い上げられた髪も、陽の下で映えるように考えつくされた化粧も、ヴィンセントと逢う時のためにと購入されたドレスも――全て、全て、マクヴィー夫人の勝手な選択だ。

(まさか、この男と結婚して嫁に行けとでも?……冗談がキツイわ)

 確かに、目の前の男と結婚すれば、皇城内の兄からの嫌がらせからは逃れられるだろう。帝都から遠く離れた土地にあるエラムイドで暮らすことになれば、今も人々を脅かす魔物の恐怖に怯える必要もない。属国とは名ばかりのかの国は、帝国への納税義務すらほとんどないから、ギークがどれほど横暴な政治をしたとて、影響は少ない。

(魔物の脅威にもさらされず、下らない嫌がらせからも逃れられる代わりに――訳の分からない、”神”様とやらを信仰しなきゃいけなくなるわけだけど)

 マクヴィー夫人の考えはわかるが、ザナドの話を聞いた今、目を覆いたくなるような残虐な行いを、信仰の名のもとに盲目的に遂行し続ける国家に嫁ぐ気には、どうしてもなれなかった。

「今日は、あの黒衣の護衛兵はいないのですか?」

「あぁ――……彼は、別の任務に出ています」

「ですが、向こうにいる護衛が着ているのは、軍服でしょう。皇族護衛兵は皆、マントのある黒衣を纏うと聞いたのですが」

「……少し、交換していますの」

 説明に困り、ミレニアは瞳を伏せて手元のカップを引き寄せる。

「交換?」

「えぇ。私の専属護衛は、とても優秀なので――国防を担う魔物討伐軍に、時折編入されることがあるのです」

「なんと……!」

「彼がいないと、私の護衛が一人もいなくなってしまうので……代わりに、軍人を派兵してもらうという約束になっているのです」

「そうだったのですか。……いえ、私の知識が間違っていたのかと、不安になりまして。では、軍人が皇族の護衛に就くのは非常に稀、ということでしょうか」

 どうやら、好奇心旺盛な青年らしい。それもそのはず――今まで、エラムイドとは、国交らしい国交を開いてこなかった。今になって、初めて目にする様々なイラグエナムの風習に興味を示しているようだ。

「いえ、そうとも限りません。専属護衛として選ぶ者は、皇族と直接の雇用契約を結びますが、そうではない護衛兵たちは、軍属の者がほとんどです」

「そうなのですか?ですが、他の皇族の方々の護衛兵たちも、軍服を着ている者は殆どいないように思えましたが」

「はい。何と説明したらよいか……所属は軍隊に置いたまま、期間を定めて出向している、とでも言えばよいでしょうか。出向期間中の上官は、仕える皇族になりますから、殆ど皇族の私兵といって差し支えないのですが、期間が終われば彼らは軍人としての任務に戻ります」

「なるほど。軍国主義と言われる貴国らしい制度ですね」

 ふむふむ、と頷きながら、クルサールはテーブルに並べられた皿の中から、美しく焼き上げられた菓子を手に取り、興味深げにそれを眺めた。

「イラグエナムを訪れるようになって、驚くことが沢山ありました。これらの菓子文化も、その一つです」

「まさか、エラムイドには、甘味が存在しないのですか?」

「いいえ。ただ……エラムイドで広く信仰されている神の教えでは、清貧を愛すように、と言われていますから、婚礼などの特別な日でもない限り、菓子が振舞われることはありません。祝いの席での振る舞いとなることがほとんどなので、数を用意するために揚げ菓子が多くて、こうして窯で焼き上げる繊細で芸術的な菓子を嗜む文化はありませんね。日常で甘味を取る場合は、蜂蜜や果実で賄います」

「なるほど。エラムイドからは、砂糖の産地が遠いですから、そういう背景もあるかもしれませんね」

 ミレニア自身の好奇心も刺激されて、つい口を滑らせてしまってから、ハッ、と思わず口を抑える。

 彼らはそれを「神の教え」と捉えているのだ。産地が理由、などと言われて面白いはずもあるまい。

「申し訳ございません。他意はないのですが――」

「あぁ、いいえ。お気になさらず。……確かに、そういう地理も影響しているのかもしれません。そもそもエラムイドは領地が狭く、周囲を魔物の巣に取り囲まれているため、昔から、行商で何かを得ようとするのは非常に苦しい土地でした。限りある資源を有益に使うように、と先人たちが”神”の教えとして広めただけかもしれませんね」

「――――」

 ぱちぱち、とミレニアは翡翠の瞳を何度も瞬く。

 ふと、その様子に気づいたクルサールはいつもの人好きのする笑みを浮かべた。

「ふっ……もしかして、私が”神”の教えを軽んじるような発言をしたと、お思いですか?」

「ぁ――……いえ、その……」

「構いません。……私自身、ずっと、この目で見るまで、イラグエナムという国がどういう国なのか、全くわかっていませんでした。きっと、貴女方も同じでしょう。エラムイドについて、よく知らない」

「……そう……ですね。そうだと、思います……」

 慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと話す。

 クルサールは、安心させるように優し気な笑みを浮かべて、言葉を重ねた。

「最初にお会いしたときに、申し上げたはずです。私は、もっと、貴女たちのことを良く知りたい。特に、ミレニア姫――貴女のことを」

「――――……」

 世の中の女性の大半が頬を染め上げてしまいそうな、極上の笑みを浮かべられ、ミレニアは困った顔を返す。

 幸い、ミレニアはここ四年近く、目の前の男と同等の美丈夫を常日頃から傍に控えさせているせいで免疫があるのか、この美貌にも笑顔にも絆されるようなことはないが――まるで女を口説くかのような物言いをするこの男の真意が、読めない。

(まぁ――……ロロは絶対に、こんな笑みを浮かべないものね……)

 甘やかな蕩ける笑みを浮かべる金髪碧眼の美丈夫を前にして、思い出すのは、奴隷紋を刻んだ褐色の肌の表情筋が仕事をしない美青年だ。同じような美青年でも、こうも対照的なのかと思うくらい二人が正反対で、脳みそがやや混乱する。

 今や、ミレニアに近づいてくる従者以外の男といえば、基本的にミレニアに悪感情を持っている男ばかりだ。ミレニアの出自を蔑み、優秀な頭脳を妬み、女の癖にと威圧的に接してくる。唯一の例外はザナドくらいだろうが、彼は表向きは存在しない男であり、何より片親だけとはいえ血を分けた兄でもある。

 従者たちを思い浮かべても、ミレニアに好意的に接してくるのは紅玉宮の古株ばかりで、親子ほども年が離れた男たちばかりだ。最も年齢が近いのがロロだが、彼は太陽が西から登ったとしてもこんな表情を浮かべない。

 もう何年も、これくらいの歳の差の男性に好意的な笑みを浮かべられたことがなく、ミレニアはかつてどのように対応していたかいまいち思い出せなくて、困惑するほかなかった。

「あぁ――申し訳ございません。言葉が拙くて。……私は、ミレニア姫。貴女の出自と考え方にとても興味があるのです」

「……私の出自……?」

 困ったような表情で押し黙ったミレニアを見て、慌ててクルサールが言葉を重ねた。ミレニアが聞き返すと、「はい」と再び笑顔で言葉を続ける。

「エラムイドと、イラグエナム――この相反する二つの血を、両方引く、貴重な血統。これだけでも、我々が相互理解を深めるために、相応しいお方だと言えます」

「――……」

「そして何より貴女は、この帝国においても我々が信じる"神"が説く善行を、当たり前のように行う人だと思っています」

「何を――……」

 それこそ、ミレニアの何を知っていると言うのか。

 今度は少しはっきりと不愉快を顔に出したミレニアに、クルサールは笑みを湛えたまま真剣に告げる。

「知っていますよ、黒玉の君。――――巷で、そう呼ばれていることを、ご存じないのですか?」

「――ぇ……?」

 ぱちり、と目を瞬いてクルサールの碧玉を見返す。そこにはただ、慈愛に満ちた柔和な笑みがあった。

「”さる高貴なお方”が、身分も明かさず、高価な宝石を、無体な行いをされた不幸な民に真心を込めて贈った――その粋な計らいに、今や民衆の中で”黒玉の君”の話を知らぬ者などいないのではないでしょうか」

「――――ぁ……」

 やっと話の内容に思い至り、ミレニアは小さく声を上げる。

(ファボット――正体は明かさないで、と伝えたのに……)

 きっと、名前までは告げなかっただろう。だが、きっとあのミレニアに心酔していた従者のことだ。黒玉を渡すときに、誰がそれを指示したのか、はっきりとわかるようなあからさまなヒントを出し――そして、彼女の意図も一緒に言い含めたのだろう。辻馬車の客にも、色々と喧伝しているのかもしれない。

 民衆は、その手の話が大好きだ。きっと、全員が、ミレニアのことだと知りながら”黒玉の君”の話を広めているに違いない。

 そうでなければ、異国の出身であるクルサールが、ミレニアと”黒玉の君”を同一人物であると結びつけることは出来なかっただろう。

「ご安心ください。貴女に”神”を信じてほしい、などとそんなことを言うつもりは毛頭ありません。……第一、誰も姿を見たことも声を聞いたこともない存在の、何を信じろと言うのですか」

「な――……」

「私は――ここだけの話ですよ、黒玉の君――私は、”神”の教えというのは、先人が考え出した、国民を導くための体のいい指針に過ぎないと考えているのです」

 ぐっとひそめられた声で告げられた言葉に、今度こそ、ミレニアは大きく息を飲む。

 まさか――神に守られし地エラムイドの代表者であるこの男が、神そのものを否定するようなことを口にするとは思わなかったのだ。

 二の句を継げずにいるミレニアに、ふわり、とクルサールは笑みを湛える。

「清貧を愛せよ、というのは、限られた資源を有効活用するため。性愛に溺れるな、というのは、魔物の巣に囲まれ外部の血を入れることが難しい狭い領土で、必要以上に血を濃くしないため」

「――――……」

「我らが信じる”神”の教えは、とても、国を治めるのに理に適ったものばかりです。……だからこそ、私は、貴女に教えを乞いたい」

 クルサールは、慈愛に満ちた瞳で――まるで、神そのものといった瞳を湛え、優しい口調でミレニアに告げる。

「公衆浴場建設を上申したのは貴女だと聞きました。奴隷解放の施策を考えたこともあるとも。そして、極めつけは、”黒玉の君”と呼ばれる善行。……貴女は、間違いなく、私がこれまでの人生で見てきた中で、最も『君主』――国を治めるのに必要な資質を持ったお方です」

「……そ、んな……ことは……」

 ミレニアの声が震える。

 そんな夢は――四年前、捨てたはずだ。

 ――捨てた、はずだった。

 ミレニアこそがこの国を治める『君主』にふさわしいと、そんな風に、地位ある誰かに認めてもらえる――そんな、夢は、遠い昔に。

「今の私も、小さい領土ではありますが、自治を認められた一つの集落を治める代表者。我々はあれを、国だと思っています。――だから、貴女に教えを乞いたい。この国で、誰よりも『君主』として相応しい、貴女に」

 きゅっと眉根を寄せて、ミレニアは扇で顔を隠し、俯く。

 机の上に置かれていた、扇を持つのとは逆の手に、そっ……とクルサールの大きな手が重なった。

 ――どこかひんやりとした、冷たい手だった。

「だから、ミレニア様。――これからも、頻繁にお会いしてくださいますか?」

「――――……は……い……」

 ドクドクと脈打つ心臓は、何なのか。

 ミレニアはその答えがわからないまま、小さな声で、頷きを返していた。

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