第73話 動き出す歯車⑧

 再びザナドと手紙のやり取りをして、前回の会合から七日後――

 ミレニアは紅い瞳の護衛兵を伴い、皇城内を突っ切るようにして、併設されている軍事施設に向かい、歩いていた。

 前回の非礼を侘び、再び条件を精査したので改めて面会がしたいと申し出たところ、ザナドは面会場所として、兵舎の中にある特別執務室を指定した。

「ロロ。何度も念を押すけれど、今日は決して、決して感情を荒らげては駄目よ。――ザナドお兄様だけではなく、ゴーティスお兄様も一堂に会すらしいから」

「はい。……先日は、申し訳ございませんでした」

「いいのよ。お前の変わらぬ忠誠が、とてもよくわかったわ」

 苦笑して許しを与えると、気まずそうにロロは視線を下げた。

 ザナドは、前回の件を公にしない代わりに、と言って、次の話し合いにはゴーティスも参加させること、ミレニア直々に軍事施設に赴くこと、の二つを要求した。

 可能ならば対等な立場で話し合いが出来るザナドだけを相手にしたかったが、前回の件を考えればこちらにばかり都合の良いことは言えないだろう。勿論、非礼を働いた侘びも兼ね、こちらから赴くこと自体に異論はない。

 施設の中を迷いなく歩くミレニアの後ろに、ピッタリとロロが寄り添う。まさか、軍国主義のイラグエナムの中核を成すとも言えるこの施設そのものが危険に晒されることはないだろうが――主を危険に晒す人間は、何処にいるかわからない。

 長い廊下を歩いていくと、不自然に廊下の両脇を武装した兵士が固めているところに遭遇した。

「第六皇女ミレニアよ。ゴーティスお兄様に呼び出されて、面会のため赴いたわ」

 ミレニアは驚くことなく一人の兵に話しかける。漆黒の軍服に見を包んだ屈強な兵士は、懐から何かの指示書を取り出し、確認した後、敬礼をしてミレニアを通した。

「……ここからは、特別区なの。お兄様の秘密を知る者しか、立ち入ることを許されない区画」

 ミレニアが小声で説明するのに、こくり、と頷いてロロが従う。

 再び長い廊下を歩き出した時、見知った顔を見つけ、ロロは視線を上げた。

 前方からやって来る、二人の軍人。一人は、ミレニアと大して変わらない年頃の少年。軍属になるには成人していなければならないため、ギリギリ十五になったばかりなのかもしれない。軍服に着られている、という表現がしっくり来るような様子だが、襟元にはキラキラした階級章を着けている。少し生意気そうな顔立ちをしてはいるが、顔の造り自体は、つい数日前に紅玉宮に来た第七皇子とよく似ていた。

 見覚えがあるのは、彼に付き従っているらしいもう一人の男。――熊を思わせる大柄な体躯は、遠くからでもひと目で彼がガント大尉であることに気付かせた。

 向こうもこちらに気付いたらしい。驚いたような顔をした後、パッと顔を輝かせる。

 ガントが思わず口を開くより先――生意気そうな少年の方が、先に口を開いた。

「何だか今日は施設内の空気が悪いと思っていたが――なるほど。異民族の血が混ざった穢らわしい小娘が、迷い込んでいたか」

 侮蔑の色が濃いその表情に、ロロはその少年の正体を悟る。――顔の造りが似ているのは、ザナドにではなく、ゴーティスに、なのだろう。

(年齢からして、第六皇子の息子……といったところか)

 ゴーティスはミレニアを母の出自で毛嫌いしていると聞く。不興を買わないようにした方が良いだろう。ロロは静かに頭を下げて、視界に入らぬように控え、二人の会話が終わるのを待つ。

「……お久しぶりですわ、ヒュード殿。お元気そうで何よりです」

 スッと膝を折って貴婦人の礼を取ったあと、ミレニアは「……では」と言って立ち去ろうとする。余計な火種を生みたくないためだろう。

 あまり長居して、ミレニアが無体に扱われ過ぎると、過保護な専属護衛と、同じく過保護なかつての宮付き護衛が、ミレニアを慮って余計な不興を買いかねない。

「まぁ待て。……ソレが、例の奴隷か?」

 顎で指し示され、ミレニアは軽く不愉快に眉を顰める。

「……元、ですわ、ヒュード殿。紹介します。私の専属護衛を務めるロロ、と申します」

 紹介を受けて、ロロは無言のまま床に膝を付き、正式な礼を取った。従順な護衛兵に、フンと鼻を鳴らして、ヒュードは口を開く。

「父上と叔父上から、話は聞いている。ハッ……貴様のような下賤な輩を無理にでも軍属にしようなどと、父上たちは何をお考えなのか」

 吐き捨てるような口調にも、ロロは特に反応することなくじっと床に控えている。奴隷小屋にいた頃は、暴力を伴うもっと口汚い罵りを日常的に受けていた。

(お貴族様は、罵り言葉さえ上品だな)

 いっそ感心していると、頭上でミレニアの声が響く。

「わからないなら、直接ゴーティスお兄様に聞いてみたらどうでしょう。……きっと、そんなこともわからないのか、と憂鬱なため息を吐かれるだけでしょうけれど」

「なっ……!?貴様、第六皇子の嫡男を侮辱するか!?」

 ゴーティスは、短気で凝り固まった思想を持ち、苛烈な性格ではあるが、優秀な男だ。しかし、どうやら息子の教育には失敗したらしい。

 絵に描いたような小者の発言は、ギークやヴィンセントを彷彿とさせる愚かさだ。兄もさぞや頭が痛いだろう。

「第一、お前も生意気だ……!所詮、女の分際で――!」

「ヒュード殿下。そろそろ参りませんと、会議に遅刻いたします」

 激昂した少年を、ガントがさり気なく誘導する。チッ……と舌打ちをしてから踵を返したヒュードに気づかれぬよう、二人にアイコンタクトを送り、ガントも共にその場を離れた。――彼も気苦労が絶えないらしい。

「全く……あれで私より年上というのが信じられないわ。ゴーティスお兄様も大変ね」

「……あれは……」

「ヒュード殿よ。ゴーティスお兄様は、正妃となるご令嬢とご結婚後、なかなかお子に恵まれず……第二妃を娶ったものの、立て続けに娘ばかりが生まれて、第三妃との間に出来た最初の子供が、ヒュード殿。待望の嫡男ということに加えて、第三妃は嫁いできたころはかなり若く、皇族の嫡男を育て上げる重責をあまりご理解されていなかったようで――まぁ、端的に言えば、幼少期から甘やかされて育ったのよ」

「……なるほど」

 軍国主義国家のイラグエナムで元帥の地位を戴くゴーティスは、皇族の中でも屈指の多忙を極める人材だ。ミレニアよりヒュードが年上ということは、生まれたのは、ギュンターが『侵略王』の名を恣にしていた時代だろう。遠征もひっきりなしだった上に、最後の侵略戦争は、帝国史上最も苛烈を極めたと言われるエラムイド侵攻だ。長らく家に帰れない時期もあっただろう。幼少期の子供の教育など、完全に家人に任せきっていたに違いない。

 結果として出来上がったのが、あの愚かな嫡男ということだ。ガントを補佐に就けて少しでも修正を図ろうとしているようだが、あの様子では、どうにも一筋縄ではいかぬらしい。

「ゴーティスお兄様は、感情面で私を毛嫌いしているけれど、頭の片隅ではお父様から受け継いだ私の能力を認めてもいるわ。同じくらいの年齢なのに、息子との出来の差を見せつけられて面白くないのも、私を嫌う理由なのかもしれないわね」

 クスッ、とどこか小馬鹿にしたように笑いながらミレニアは髪を翻して廊下を歩みだす。ぴたり、と影のようにして黒衣がすぐ後ろへと付き添った。

「さて、ロロ。……準備はいいかしら」

「はい」

 廊下を歩ききった先――施設の最奥にある扉の前で足を止め、ミレニアは改めて従者へと声をかける。

「お兄様は二人とも、水の魔法使い。かなり優秀な、ね」

「はい」

「二人ともかなりの武闘派よ。お前が癇癪を起したところで、二人掛かりで抑え込まれれば、拘束は免れないわ。――きっと、先日のことを踏まえて、魔封石の嵌められた枷の一つや二つ、事前に用意しているでしょう」

「……はい」

 言葉少なく従順に頷くロロを振り返る。

 そっ……と柔らかな繊手が奴隷紋を刻まれた左頬を撫でた。

「先日も言ったわ。――私の目に入るところで、お前に枷が嵌められるところなど、私は何があっても絶対に見たくないの」

「――…はい」

「そんなところを見せられたら――そうね。私、きっと、泣いてしまうわ」

「――――――――」

 ふっ……と困ったように笑んだ主を前に、ロロの瞬きが早くなる。

 普段、あまり読めない表情の彼が、酷く驚いていることが、纏う空気でも伝わってきた。

「私を泣かせないと――約束してくれるかしら?」

「は――…い……それは……勿、論……」

 美しい紅玉が、戸惑った様に揺れる。

 癇癪を起すな、破った時にはこんな罰を与えるぞ、と厳しい言葉で命令されるよりも――それは、よっぽど、堪える。

「ふふっ……ありがとう。約束よ、ルロシーク」

 念を押すようにして特別な名前を呼び、ミレニアはくるりと扉へと向き直る。

 切れ者二人を相手取った難解な交渉会場が、そこに待ち受けていた。


 ◆◆◆


 必要以上に重たく感じられる扉を開け放った先――部屋の中には、軍服に身を包んだ屈強な兵士が五人いた。

 腰掛けているのは、中央の二人だけ。傍目に見ても煌びやかな階級章を付けて、明らかに格の違う威厳を纏っている。それはさながら、生前『侵略王』と呼ばれたギュンターを思い起こさせる風格だった。

(予想はしていたが――本当に、全く見分けがつかないな……)

 胸中でロロは呟き、不敬に当たらないようにすぐに頭を下げ、視線を落とす。

 他の立ったまま控えている三人は、おそらく彼らの側近中の側近だろう。どれもこれも歴戦の猛者、といった風格を纏った厳しい顔つきの軍人だった。万が一、ロロが暴走したときに抑え込むためにと呼ばれたのかもしれない。

「よく来た、ミレニア」

「はい、ザナドお兄様。――先日は、大変失礼いたしました」

「全くだ」

 どうやらミレニアはどちらがどちらか、見分けがついているらしい。当たり前のように話しかけてきた右の男がザナドだと見破ったようだ。

「先日のことを鑑みれば、こちらも無防備で交渉に臨むわけにはいかない。ここに揃えたのは全て、水の魔法使いばかりだ」

「えぇ。……当然のことと思います」

「念には念を入れたい。――交渉の前に、ソレに枷を嵌めさせろ」

 ピクッ……とロロが小さく反応する。

(それは――)

 ――――困る。

 ミレニアを、泣かせるわけにはいかない。

 ロロ個人としては、枷を嵌められることなど、気にしない。先日、皇族という立場のザナドの身に危険を及ばせたのも事実だ。それくらいされても仕方がない、とも思う。

 だが――つい先ほど、約束してしまった。

 今、目の前にいる、この小柄でか弱い少女を、泣かせるようなことは、しないと。

「手を出せ」

 ザッと控えていた軍人の一人が、鉄製の枷を取り出して近づく。裏側にびっしりと魔封石が嵌っているそれは、奴隷拘束用に使われる見覚えのあるものだ。

 一瞬どうすべきか迷い、顔を上げたところで――すっ、と小柄な少女が、間に割って入った。

「拒否します」

「――――姫……」

 屈強な軍人を前に、毅然と言い放つ少女を呆然と見やる。ミレニアは、チラリと兄二人へと視線を投げた。

「お兄様方のお気持ちはよくわかります。ですがロロは、私の専属護衛。今も、まさに私の護衛任務をたった一人で務めている最中です。その護衛に枷を嵌めて――私の身に何かあった時、どなたが守ってくださるのかしら?」

「貴様……」

 ミレニアの詭弁を前に、ギリッ……と忌々し気に奥歯を鳴らしたのは、向かって左側に腰掛ける男。――第六皇子ゴーティス。

「ここには、軍属の、それもトップクラスの軍人が五人もいる。何かあったとしても、お前の身に危険が迫るようなことはない」

 軽く手を上げて己の片割れを制しながら、冷静な声でザナドが反論する。

 しかしミレニアは、その美しい面に悠然とした笑みを浮かべた。

「あら。――ここにいる五人が、私に襲い掛からないという保証はないでしょう?」

「「――――!」」

 その場にいる全員が顔色を変える。

 ミレニアは、手にしていた扇で貴婦人のように顔を軽く隠して、うっとりするほど完璧な微笑みを湛えた。

「何せ、今の私は皇城中の嫌われ者。――女の癖に生意気だ、皇族に異民族の血を入れた穢れた存在だと、つい先ほど、すれ違ったヒュード殿にも厳しいお言葉を頂いたばかりです。その御父上でもあるゴーティスお兄様はもちろん、そのお兄様が信頼するという側近も、同じようにお考えで、交渉の途中、感情に任せて私に乱暴を働かないという保証はないではありませんか」

「貴様――そこまで言うなら、望み通りにしてやろうか――!」

 第六皇子が短気というのは、確かなようだった。顔面を怒りに染め上げ、ゆらりと腰を浮かしそうになったのを見て、サッとロロがミレニアを庇うようにして前に出る。さすがにロロとて、ミレニアに直接的な危害を加えられそうになっている状態で、従順に控えていることは出来ない。

「待て、ゴーティス。今ここでそれは悪手だ」

 一瞬部屋の中が緊迫した空気に包まれたのを、ザナドが制す。渋面を刻み、ミレニアへと視線を向けた。

「わかった。……その護衛の自由が奪われる間のお前の身の安全は、私が保証しよう。仮にゴーティスが感情に任せて剣を抜こうと、私が止める。他の兵士に関しても同様だ」

「あら。ふふ……ゴーティスお兄様と並び立つ剣豪のザナドお兄様ともあれば、ありがたい申し出ですけれど――まともに戦場に立つことも出来ぬほどの体調不良を抱えるお兄様に、命を預けるのは少し博打が過ぎますわ」

 少しの気圧の変化や気温の高低差で、ザナドは簡単に体調を崩す。交渉中にそんな状態に陥れば、咄嗟の行動など難しいだろう――と、ミレニアは言っているのだ。

 ザナドはこれ以上なく苦い顔をして、嘆息した。

「……これだから、お前との舌戦は好かんのだ」

「お褒めの言葉と受け取りますわ」

 扇を手にしたまま、貴婦人さながらの笑みを浮かべるミレニアの豪胆さは並外れている。詭弁を弄させれば右に出る者はいないだろう。

 ミレニアは、魔法が使えない。運動もからきしだ。

 己の身を守るのは、ただ一つ――父が残してくれた、優秀な頭脳だけ。

「どうしても、ロロに枷を嵌めた状態でしか話を進められない――とおっしゃるのでしたら、そもそもこの時点で交渉は決裂。私たちはこの部屋を退室するだけです。……どうです?話はとてもシンプルでしょう?」

「生意気な――そんな奴隷の力など借りずとも――!」

「待て、ゴーティス。煽られるな。冷静になれ」

 頭に血を登らせがちなゴーティスを制して、ザナドは苦虫をかみつぶした顔でミレニアを振り返った。

「……わかった。だが、話し合いの途中で危険だと判断したら、お前がどれほど喚こうが、枷を嵌めるし、剣を抜く。それでいいな」

「勿論。そんなことは、決して起こりえませんもの。――そうよね?ロロ」

「はい」

 念を押すように言う主の言葉に、従順に頷き、首を垂れる。

 約束した。――ミレニアを泣かせるようなことは、決してしないと。

「では、話がまとまったところで――交渉を、始めましょうか」

 にこり、といっそ可愛らしいとすら思える笑みを浮かべて、ミレニアは兄二人が着席する向かいの椅子へと腰掛けたのだった。


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