第53話 嚙みしめる無力⑨

 蒼い顔をしたファボットとマクヴィー夫人。アドレナリンが出ているのか瞳を爛々と輝かせているディオと――いつもと変わらぬ無表情を湛えたロロ。

 彼らの命が、今、ミレニアの双肩にかかっている。

「まず、安心なさい。ここで時間を稼ぎ続けるとしても、おそらく、一晩以上救援が来ないことはないでしょう。夜が明ける前には、東の復興地域に配備されている軍隊がやってきて、救援に来てくれるはず」

「!」

「――ロロが、最初に、天高く炎の柱を上げてくれたおかげで、ね」

 ふ、と苦笑して黒衣の護衛兵を見ると、無表情のまま、ぱちぱち、と瞬きが速くなる。

(……最近気づいたけれど――これも、ロロの癖よね。驚いているのかしら)

 少し驚いたことや意外なことがあった時、ロロは表情筋を動かす代わりに、瞬きを速くする。左下に視線を落とすのも、瞬きをするのも――寡黙で感情を殆ど表情に乗せない彼が、唯一それを表に出すのは、この紅玉の瞳だけなのかもしれない。

 ずっと――ずっと、暇さえあれば間近で覗き込んできたから気づいた、ミレニアだけが知っている、彼の癖。

(これからも――ずっと、ずっと、見ていたい……私だけの、特別な瞳)

 きゅぅっと切なく胸が痛むような感覚に襲われ、ミレニアはそっと首飾りを指で辿る。

「今日は、月も星も雲に隠れている。この暗闇の中、ロロが天高く上げた火柱は、遠くからでも視認できたでしょう。――ここからさほど遠くはない、東の復興地域にいる派兵軍たちにも、確実に」

「!」

「最初からある程度の軍勢を出してくれれば儲けもの。もし、偵察だけ――と思って馬を出しても、すぐに魔物の襲撃があったことはわかる。仮に偵察兵が襲われたとしても、戻りが遅いとなれば、どちらにせよ軍を編成してくれるわ。――あの火柱は、さすがに、ただ事ではないとわかるはずだもの」

 不幸中の幸い、とはこのことだろう。魔力の温存を考えることなく、危機感に任せて迸らせた火柱は、意図せず希望を繋いでいた。

「だから、最後までここで凌ぎ切るという手も、残されてはいるけれど――お前たちの体力が持つかどうかは、別問題。特に、ディオが心配だわ」

「なっ……!お、俺は大丈夫だ!」

「無理をしないで。正確な戦力の把握は戦場を統べるための鉄則よ。三回の襲撃を経て、お前は、魔物五匹を相手に負傷し、肩で息をしている。ロロは、十匹近くを相手にして、かすり傷で軽く息を上げる程度。差は、歴然としているわ」

「っ……!」

「誤解しないで頂戴。お前が、戦士として劣っているという話ではないの。お前はつい数刻前まで、あの別邸で酷い扱いを受けていて、最初から体力を消耗していた。そもそもロロに比べれば歳も若く、身体が出来上がっていない。――まぁ、とはいえロロが規格外なのは事実でしょうけれど」

 呆れた顔で、ロロを見やる。自覚がないのか、自分の強さに無関心なのか、いつも通り頬をピクリとさせることもなく無表情を貫く護衛兵がいた。

「炎の向こうに残っている魔物の数を思えば、次を乗り切れるか、わからないわ。相手も、賢い魔物に率いられているなら、そろそろ障壁が消えるタイミングがわかってきている頃でしょう。外にいる十七匹のうち、半分が入ってきたとして――ディオが集中して襲われれば、危険だと言わざるを得ない。仮に凌げても、その次は、ディオを戦力として数えず、ロロ一人で戦うことになる」

 主の言葉に、ディオは悔しそうに歯噛みした。ミレニアが告げるのは、純然たる事実から導き出される仮説であり、高確率で起きうる未来だ。

「ただ、ここで一つ問題がある。――今、炎の外にいる魔物が、全てなのか、ということよ」

「え……?」

「これは、最悪の想定だけれど――もし、ここ以外の居住区も襲われていたとしたら、敵はそちらに割いていた戦力をこちらに投下してくる可能性がある。その瞬間、私たちの負けだわ。相手の戦力が未知数の中、救援が来るまでロロが一人で馬車を守り続けるには、限界がある。魔力も、体力も」

「……」

「もう一つ、敵に援軍がいた場合、厄介なことがあるわ。……賢い敵であれば、こちらの救援に向かっているであろう東の部隊の迎撃にも、きっとその援軍を回すでしょうね」

 ハッと誰かが息を飲む音がした。

「東の部隊はお前たちのように強い剣闘奴隷を有しているわけではないわ。貴族のお坊ちゃまたちを中心とした正規軍でしょう。魔物一匹に対して複数人で対処に当たるような兵士たちもいる。さすがに、対魔物の訓練を積んだ者たちばかりで、魔法使いもたくさん有していると思うから、軍が壊滅するようなことはないでしょうけれど――襲撃に遭えば確実に、進軍速度は遅くなる。そうなれば、救援が到着するまで、私たちは更に長時間を耐えなければならなくなるわ」

 ミレニアは嘆息してから、ぐるりと周囲の顔を見回した。

「以上が、私たちが置かれた状況。つまり――今こちらに向かっているであろう救援部隊と、どれだけ早く合流できるかで、私たちの生存は決まる。……敵戦力とこちらの疲労を鑑みれば、耐えられて、あと一回の襲撃が限度。次の障壁展開中に部隊が到着しなければ、私たちは終わり」

「っ!」

 その場の皆が緊張に息を飲む中で――

「――焼きますか?」

 淡々とした声が、やけに冷静に、響いた。

 全員が驚いたように声の主を振り返る。

「……やってみなければ、わかりませんが。今の魔力でも、周辺三区画くらいなら、十分焼けると思います」

「待ちなさい。お前は帝国史上最凶の虐殺犯になるつもり?第一、そんなことをすれば、近くまで来てくれている救援部隊まで焼き殺しかねないわ」

 冗談を言っているとは思えぬ本気の表情に呆れて制す。

 しかしロロは、いつ到着するかわからぬ救援にただ想いを馳せて、運に身を任せるような策に、決して賛同するつもりはなかった。

(そんなことをして、万が一、賭けに負けたら――姫を、この尊い命を、失うことになったら、どうする――!?)

 脳裏を過るのは、いつだってミレニアの美しい顔だ。

 初めて出逢った日の、慈愛に満ちた女神のような優しい微笑み。平穏な皇城で、何が楽しいのか、いつも上機嫌で下から瞳を覗き込んでくる、少し悪戯な表情。父を失っても、主の矜持を胸に毅然と振舞う横顔。帝国の窮地に胸を痛め、奴隷の少年に心を痛め、悲痛に顔を歪める姿。緊張の連続の合間、ふ、とロロの前でだけ見せる、十三歳の少女らしさを残した油断した顔。

 この美しい少女を、何に代えても、必ず守り抜くと、三年前のあの日に誓ったのだ。

 ――運などには、任せられない。必ず、自分の手で、守り切る。

「全く……でも、やはりお前ならば、そう言うのではないかと、思っていたわ」

 自惚れと言われてもいい。ミレニアは己がどれだけこの護衛兵にとってかけがえのない大切な存在として扱われているか、十分に理解していた。

「だから、もう一つだけ、策を用意したわ。――運に身を任せるのではなく、己の手で、運命を切り開く、起死回生の一手よ」

「!」

「博打要素が強いのは同じだけれど――私は、こちらの方が、生存確率が高いと思っている」

 少しだけ微笑んだ後、すぅっとミレニアは息を吸い込む。

 ひたり、と翡翠の瞳が、黒衣の護衛兵をしっかりと見据えた。

「ルロシーク。――お前が、単騎で魔物の群れを駆け抜けて蹴散らし、救援部隊をここまで先導して来なさい」

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