第43話 忍び寄る影⑥

 ”情報源”の存在が気にかかるとはいえ、ロロが持ってきた情報は、ミレニアを十分に満足させるものだった。

「まず最初に、姫が懸念されていた民の飢えの問題ですが――これは、ここ一年ほどで地方から徐々に広まり始め、帝都にも影響を及ぼしているようです」

「一年――……なるほど。何となく、理解したわ」

 その期間を聞いただけで、聡いミレニアはすぐに要因に思い至った。

 一年前といえば、ミレニアが婚約を決めたあたり。それは即ち――ギュンターが床に伏せり、実質的な政権が長兄ジークに渡った時期だ。

「お兄様の執政が上手くいっていないと言うことね。でも、そんなにすぐに、だなんて――何が起きたのかしら」

「発端は、一つではなく、いくつもの要因が重なり、絡み合ったようです」

 ロロは、静かに報告を続ける。

 一番初めの発端は、予期せぬ魔物の襲来。帝都の東の森を超えてやってきたという。今まで魔物の観測がなかった地域だったことに加え、森は帝都の防衛も兼ねていため、襲撃された地域に普段から配備されていた軍備は、他の地域に比べて薄かった。対応が遅れ、東の一部分が壊滅。死傷者多数で、被害は甚大だったという。

 二つめは、魔物の襲来によって壊滅した地域の復興と、緊急の軍の派兵による出費の増加を補うための課税強化。しかし、季節が冬だったため、どこの地域も急な課税に対する余裕はない。被害が甚大だったため、帝都の労働奴隷だけでは復興の人出を賄えず、地方からも人手を半強制的に募ることになったのが最悪だった。治める税金が増えたところに、働く人手は搾取され、地方は疲弊していった。

 三つ目は、西方の日照り続きによる農作物の不作。国内への供給量が減った。冬に人手を搾取されて、十分に備えることが出来なかった西は、深刻な飢饉に陥った。西方地域を救うため、ギークは再び税を強めた。

「ちょっと待って……どうして、そんな手段になるの……!?」

「?」

「国庫を開けばいいじゃない……!何のための、国の備蓄なのよ……!」

「……俺には、国政の良し悪しはよくわかりませんが」

 愕然として蒼い顔をするミレニアに、ロロは静かに目を伏せる。

「聞いたところによると、国家から通達された追加徴収分以上に、さらに上乗せして領民から税を徴収している領地も散見されているんだとか」

「なっ……!?どうして!?」

 ガバッとミレニアが身を起こす。ロロは少し気まずそうに視線を伏せた。

「……現皇帝は、わかりやすい人だそうで……”心付け”によって、待遇が変わるそうです」

「――!!?」

 ガラリ、とミレニアの顔色が変わる。

 わなわなと震え、唇は真っ青になっていた。

「ギークお兄様への賄賂を工面するために……苦しんでいる民から、さらに搾り取ろうとしたと、そういうことなの……?」

「……おそらくは」

 ギッ……!とミレニアの奥歯が硬く噛みしめられる。拳は固く握りこまれ、既に真っ白になっていた。

 それは、狡猾な貴族たちが考えそうなことではあった。

 己の家の勢力を拡大するため、ギークに取り入るには莫大な金が要る。だが、賄賂のために税を増やせば、当然領民から不満の声が上がる。どうしたものかと考えていた時に――降って湧いた、国からの増税命令。

(『これは国からのお達しなのだ』と告げて、実際に内部通達された額よりも多い金額を徴収すれば、貴族たちの手元に残る……仮に、領民から不満が出たとしても、『国からの命令だから仕方がない』と、領主である自分たちへの直接的な批難は避けられる、というわけね……!)

「どうして……!他のお兄様たちや、周囲の臣下は、そんな状態を目の当たりにしながら、何も諫言しなかったというの……!?お父様の治世で執政に携わっていた者もたくさんいたでしょう!?」

 ギュンターの執政を間近で見てきた者であれば、ギークの施策が悪手であることはわかり切っていたはずだ。

 主を諫めるのも、臣下の務め――臣下の諫言に真摯に耳を傾けるのもまた、主の務め。そう教わって生きてきたはずだった。

「先代が床に伏せってすぐ、現皇帝の施策に苦言を呈した者もいたようですが――残らず首を刎ねられ、さらし首にされたとか」

「な――――!」

 ひゅっ……とミレニアは恐ろしさに息を飲む。

 静かに、白に近いグレーの睫毛が、ゆっくりと風を送った。

「裁判も、酷く形式的で、誰が見てもおかしなものだったらしいですが、皆、声を上げたところで己も同じ憂き目にあうことはわかり切っている。最初に大粛清が続いた後は、もう誰一人声を上げる者はいないそうです。司法も現皇帝に買収されたのか、人員整理が成されて、もはや中立の立場とは言い難く、まともに機能していないと言います」

「な……なん……ですって……」

「すぐに、貴族たちの中では、現皇帝のご機嫌取りが始まったようです。逆らえば、不興を買えば、すぐに首を刎ねられ、お家の取りつぶしとなるため、金策に走ってはせっせと賄賂を贈り――人事はそれで決まるため、実力のあるものではなく、狡猾な者たちが力を得ていく」

「……っ……」

「まともな人間もいるのでしょうが、それはそれで、別の皇位継承権を持つ皇子を擁立しようとして、水面下で勢力拡大の争いを生んでいる。皆が皆、まずは貴族社会の中での地位確立に動いていて、誰一人国の本質的な運営に目を向ける者はいないとか」

「そんな――!」

 ミレニアの顔が絶望に青ざめる。ふと、三か月前に、唯一ミレニアを認めてくれている、まともな兄が告げた言葉が耳の奥で蘇った。

『……まぁいい。今は、国内も荒れているからな。お前の施策が成れば、ちょうどいい目くらましと求心力の補填になるだろう』

『荒れている……?日照りによる西の地方の不作のお話?』

『ふっ……そんな平和な話ならよかったのだが』

 唯一、父の教えを素直に引き継いだ優秀な兄の、ザナド。ゴーティスもまた、性格に難はあれど、能力だけで見ればザナドと変わらぬ有能な男だ。

 まともな諫言をしてくれそうな兄二人だが――彼らの継承権は低く、皇位を争える位置にいない。彼らを擁立する勢力は少なく、後ろ盾はないだろう。

 まして、彼らの役職はあくまで帝国軍元帥。軍部のトップとしてしか国政に携わる会議に参加は出来ないだろう。軍が関わらない通常の会議には、出席義務がない。体調を崩しがちなザナドが、進んでそれらに出ることが難しいことはもちろん、彼らとて自分たちの家族がいて、家がある。ギークの不興を不用意に買うことが出来ないのは、たとえ皇族であったとしても変わらない。ギークの耳が痛くなるような諫言を進んでしてくれるとは思えなかった。

(だから、ザナドお兄様は、北方地方への侵略をよしとしたのね……!体のいい、悪感情の発露先として利用するために――!)

 戦争というのは、少なからず国家の求心力を高めるものだ。国民全員に仮想の敵を植え付け、悪感情を全て国外へと向けさせる。奴隷と同じだ。――悪感情を遠慮なくぶつけたところで問題がない共通の存在を作り上げることで、国への不満の目くらましとする。

 ザナドもゴーティスも、ギークの執政が良くないことはわかっているだろう。父の教えを引き継いだものとして、何とか国を早い段階で立て直したいと思っているはずだ。

 自分たちが皇位を継承するのではない形でそれを成そうと思えば、軍として関われる大きな施策を利用するしかない。そこに、タイミングよくミレニアが北方侵略の上申を持ってきたのだ。ミレニアの異民族の血を嫌ってゴーティスはすべてに賛同したわけではなかったようだが、それでも進軍自体には異を唱えていないと言う。おそらく、ザナドと同様、上手く戦争を利用して国民のガス抜きをして時間を稼ぐことで、その間に他の皇子らが政権を取ることを期待しているのだろう。

(だから、カルディアス現当主は、その場での回答を避けて持ち帰った――!皇帝への献上金だけがものを言う今の貴族社会において、北方の誰も手を付けていない金脈を独占できる権利は、喉から手が出るほど欲しいはずだから――)

 リスクも大きいが、リターンも大きい。あの狡猾な狐のような男は、おそらくそこまで考えて、カルディアス公爵家の利を計算したい、と一度持ち帰ったのだろう。通常の感覚であれば、突っぱねる可能性も大きいと思っていただけに違和感があったが、まさか、そんな副次的な要素が絡んでいたとは。

「……さらに質の悪いことに、東の魔物の脅威は、一年経った今も取り除けていないようです」

「え……?」

「姫がおっしゃったとおり、東の森は、慣れないものには踏破が難しい領域。どこかに巣があるのか、ないのか。それを捜索するだけでも莫大な人員が必要で、軍事費用は膨らむばかりと聞きます。何度も森の中で交戦が起きているということですので、魔物が住み着いていることは事実なのでしょうが」

「な……」

「東は、帝都の中でも比較的安全な地域と指定されていたと聞きます。有力貴族が住まう土地も多い。……彼らは、次は自分のところかと怯え、今、必死に金に物を言わせて剣闘奴隷を買いあさっているそうです」

「…………待って。待って、それは――よく、ない、わ……」

 ミレニアは、一つの仮説に思い至り、カタカタと小さく震えだす。

 ロロは、静かに目を伏せた後、控えめに口を開いて、言葉を続けた。

「東の復興のために、労働奴隷が沢山投下されました。優秀な剣闘奴隷を買い上げようとする動きが見られています。……賄賂を確保するため、一獲千金を狙う貴族は、闘技場での博打を利用したい者もいるでしょう」

「っ――!」

「……奴隷小屋にいた馴染みからも、同様の声が上がっていたので、事実でしょう。――今、奴隷商人は、先代皇帝の施策で失った力を取り戻し、非常に大きな力を蓄えている」

 ぎゅっとミレニアは現実逃避するように瞳を閉じて、ふるふる、と頭を振った。

 金が集まるところには、権力が集まる。

 今、この状態で奴隷商人に金が集まれば――

「労働奴隷と剣闘奴隷の値上げ……高くても、買わざるを得ないから、東の復興にかかる資金は膨れ上がるわ……それに対して、ギークお兄様は、馬鹿の一つ覚えみたいに増税で乗り切ろうとするんでしょう」

 増税は、ある種わかりやすくて簡単な打ち手だ。貴族の生活水準を変えぬままに金だけが増える、いわば困った時の打ち出の小槌。

 愚かな長兄は、その代償になど全く目を向けていないのだ。

 魔物の脅威が取り除かれていないなら、今後、似たような襲撃が別の地域であるかもしれないのに。

「そして、権力を持った商人は、再び優秀な剣闘奴隷を隠すようになり、国家の求心力はますます落ちていく……国が腐敗し、堕ちていく未来しか見えない、ということね……」

 ミレニアの言葉は弱々しく、うつむく横顔は悲痛に歪んでいた。

 愚者が支配する国家の、なんと罪深きことか。

「ありがとう、ロロ。貴方のおかげで、今がどれほど危機的な状態か、正しく理解することが出来たわ。……とはいえ、今の私に、何が出来るのか、ということだけれど――……」

 美しく形の良い眉を寄せて、ミレニアはじっと考え込む。

 ロロは、しばらくそんな主の様子を眺めた後、口を開いた。

「……俺に出来ることがあれば、何なりとおっしゃってください」

「え?」

「外見が目立つため、出来ることは限られていますが――情報収集でも、荒事でも。姫が動けない分は、俺が動きます。……他の人間には任せられないような、危険な任務も、重大な任務も」

 ぱちり、と翡翠の瞳が驚いたように瞬かれた。

 確かに、それは魅力的な申し出だ。敵だらけのこの世界で唯一、ロロだけが、ミレニアを決して裏切ることのない味方であり、ミレニアは誰よりロロを信頼しているのだから。

「ありがとう。……でも、少し、考えさせて頂戴。慎重に動かなければ、足元をすくわれるわ」

「……はい」

 すっと静かに頭を下げた従者を前に、ミレニアは口の端に微かな苦笑を刻む。

 何をしても絶対に裏切らない、唯一の味方。誰よりも心強い彼を――

(――――絶対に、失えない……)

 かけがえのない味方だからこそ――危険な目に遭わせることを、躊躇してしまう。

 彼だけは、何があっても絶対に生涯手放せない、唯一無二の存在なのだから――

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