第38話 忍び寄る影①

 ミレニアが初めに違和感を覚えたのは、ギュンターの葬儀の日だった。

 帝都の中を、粛々と棺が進んでいく。帝都中が黒い喪の色に染まり、崩御した皇帝を悼む、哀しみの一日――に、なるはず、だった。

(……どういう、こと……?)

 ギュンターの治世の半分は、大規模な戦の歴史でもあった。『侵略王』と綽名され、度重なる戦に、国民は疲弊していたのは事実だが――それでも、それ以上に功績が大きな皇帝だった。最も多くの国民の血を失ったと言われるエラムイド侵攻の果て、”傾国の寵妃”と呼ばれた第七妃フェリシアを迎えれたギュンターは、それまでの戦狂いと言える性格が嘘のように収まり、これ以上ない賢帝としての晩年を過ごした。

 国民は、様々な感情を抱いていたはずだが――それでも大多数は、ギュンターに対し、敬意を持ち、それなりに好意的に受け入れていたはずだった。

(……誰も……涙の一つも、流さない……?)

 皇族の紋を頂いた馬が通るとき、人々は頭を垂れて最上位の礼を取るのが通例だ。それは、ミレニアが幼いころ、ギュンターについて帝都の視察に同行していた時から変わらない。

 国葬でも同じことだ。国民全員が喪に服す漆黒の衣服を身に纏い、通りで皇帝の棺と皇族が過ぎ去るまで、大地にひれ伏すのが通例だ。

 故に、今日も、道端にひれ伏す国民を馬車の窓から見ながら道を行くのだが――

 ――誰一人、悲痛な顔をしている国民が、見当たらないのだ。

 それどころか、時折垣間見える人々の横顔は、どこか憎々し気に歪んでいるようにも思えて――

「……ロロ」

「はい」

 窓の外に目をやったまま声を上げると、間髪入れずに静かな声が返ってくる。

 今日、ミレニアの馬車に同乗しているのは、専属護衛のロロだけだ。今日のミレニアに与えられた馬車は、皇族の紋を入れられた馬車の中で最も小さく、最も質素な馬車。――かつて、剣闘場へ向かうときにギュンターと共に乗り込んだ豪奢な馬車とは比べるのも烏滸がましいほどの狭い車内で、共は一人しかつけられなかった。

 敬愛する肉親の葬儀の共に、誰を選ぶか――そう考えたとき、ミレニアは、ロロ以外の誰も、顔を思い浮かべることがなかった。故に、同乗することを許したのだが――

「……お前、最近、帝都に降りたことはあるかしら?」

「いいえ。……奴隷小屋が並ぶ一画以外では、俺は目立ちすぎるので」

「そう。……そうよね。……ごめんなさい。何でもないわ」

 言いにくそうに視線を下げた護衛に、ミレニアは話題を打ち切る。確かに、帝都の町並みをロロの左頬を晒して歩くとすれば、これ以上なく目立つことだろう。――石を投げられ、酷い迫害を受けるだけだ。

「……何か、ありましたか」

「いえ……少し、民の様子が、おかしい気がして――……いつから、こんな状態なのかしら、と思ったの」

 ミレニアが最後に市井の様子を見たのは、ロロに出逢ったあの日――今から約三年前。

 彼女が上申した大衆浴場に関する施策が通ったばかりで、人々は生き生きと笑顔で街で営みを育んでいた。

 だが、今、馬車の窓の外に広がるのは、どんよりと淀んだ重たい空気。これは、曇天だからでも、人々が喪服を着ているからでもないだろう。

 やがて一行は帝都の国営墓地へとたどり着く。

 粛々と儀式が行われ、国民全員がギュンターの死出の旅路が穏やかなものであることを願い、最後の別れの儀式を行った。

(……随分と……痩せて顔色の悪い者ばかりね……)

 広場での儀式の最中、ミレニアはさりげなく背後に控える国民の様子を観察する。

 皆、頬がこけ、目は落ちくぼみ、土気色の顔をして、具合が悪そうな者も多かった。

(皇帝の崩御に心を痛めて――という様子ではないようね)

 その証拠に、どの国民も、瞳にだけは、力を持っている。ふつふつと、湧き上がる怒りの炎を燃やし、まるで悪鬼を見送るようにして、ギュンターの棺を見つめる者ばかりだった。

(私が紅玉宮に引っ込んでしまったこの三年で、お父様の権威が失墜するような何かがあったのかしら……?これでは、あまりにも――)

 死者が浮かばれない。

 ミレニアは、美しい面に寂しさをそっと宿して、静かに瞳を閉じた。

 国民の感情は、皇族の行いへのわかりやすい”評価”だ。

 国家を良い方向へ導くことが出来れば、人々は皇族を敬い、日々を笑顔で過ごす。国家が惑えば、悪感情は全て頂点にいる皇族へと苛烈に向かっていく。それが、実際に皇族のせいであろうとなかろうと。

(そういえば、西方で、不作が続いていると聞いたわね。もしかして、想像以上に広範囲で不作が続いたのかしら)

 農作物に関しては、どれだけ気を付けていようと、不測の事態というものは存在する。ちょっとした天候の気まぐれで、人々に深刻な飢えが広がることは十分にあった。

(だけど、お父様が領土を拡大したおかげで、そんな心配はめったにないはず……大陸の半分近くを手中に収めたのだもの。物流も整えているのだから、どこかの地方で不作になろうと、国庫を開いて、税を調整してやれば、多少の飢饉ならば周囲の助けも借りて乗り越えられるはず。……まさか、国家全体に不作が広がったとでも?大陸の半分近くの領土全て、で?考えにくいけれど、帝都の民がここまで飢えた様子になるとなれば、それくらいの――……)

 そこまで考えてから、ふるっ……と自分の考えを打ち消すように軽く頭を横に振る。

(いいえ。やはり、ありえないわ。それにしては、皇城で出される料理が潤沢すぎるもの)

 この三年、ミレニアの食事として提供されるものは、何一つ量も質も衰えていない。もしも、国全体で飢饉に陥るという前代未聞の危機だとすれば、真っ先に切り詰めるべきは領地を治める貴族や、国を治める皇族の口に入るものだろう。

 今まで蓄えてきた国庫を開き、上流階級の人間が進んで質素倹約に努め、守るべき民を守る――それが、国を治める者としてのあるべき姿であり、当たり前の姿だ。

(私が知らないだけで、何か戦でも仕掛けたのかしら?あるいは、大掛かりな国家事業をおこなった?それで、税の徴収が厳しくなって、人々が飢えて――……それにしても、国内で最も富めるはずの、帝都の民がここまで?)

 帝都がこれならば、地方の領土はいったいどうなってしまっているのか――

 考えるだけでぞっとする想像を、ミレニアはぎゅっと瞳を閉じてやり過ごす。

 亡き父は、間違いなく、戦狂いであったことを除けば、賢帝といって差し支えない君主だった。それは、彼がイラグエナム帝国という国家自体に誇りを持ち、自国の民を心から愛していたからだ。

 その彼が、こんな風に、憎悪に近い瞳で死出の旅路へ送られるのは、哀しくてやりきれない。

 そして何より――

(国民が、こんなに飢えて、酷く苦しんでいるなんて――一刻も早く、何とかしなければ……)

 幼いころより、皇族として、民を導く者としての心得を刻み込まれてきた。父が亡くなっても、その教えだけはミレニアの胸に変わらずあり続けている。

 それは、ミレニアが皇城での権力を失っても、嫁いで皇族から除籍されたとしても、変わらない。

 彼女の心にあるのは――彼女の、人としての、生き様なのだから。

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