第一章

第2話 神に見放されし大地

 綺麗に舗装された石畳の上を、豪華な馬車が一台、たくさんの護衛を引き連れながら走っていく。

 馬車に刻印されているのは、この国の紋章だ。道行く者たちは、皆首を垂れて最上位の礼をもってその馬車を見送っていく。この紋章を掲げることを許されるのは、皇族のみであることを熟知し――うっかりと顔を上げていたら、その場で兵士に首を刎ねられるということも、身に沁みているからだろう。

 馬車が駆けるのは、過去、どれだけの奴隷が汗水を垂らしたのか、考えるだけでげんなりするほど美しい石畳。かつての労働の対価として、帝都の外に比べれば格段に揺れの小さな馬車の中から、少女はそっと外を伺う。窓の外にはキラキラと陽光が降り注ぐ街並みが広がり、馬車が過ぎ去った街道には、首が繋がっていることにほっと息を吐いた人々が行き交っていた。

 彼らの手に、身体を拭う布や身体に塗るためのオイル瓶が握られているのを見て、少女は小さく安堵の息を漏らす。

「よかった。昨年完成した公衆浴場は、思ったよりも民衆に受け入れられているようね」

 少女が声をかけたのは、向かいに座る風格のある初老――と呼ぶには聊か苦しい年齢――の男性。褐色の肌と漆黒の瞳は、この国の皇族らしい特徴だが、寄る年並には勝てぬのか、かつて瞳と同じく真っ黒だったはずの髪は、すでに白髪が大半となっていた。

「そうだな。勿論、物珍しさ故もあるのだろうが――今年は、例年よりも病による死者が少なかったと報告を受けている。お前が、タゴール地方の病死者が少ないことに着目し、民衆の衛生環境の整備がその一助となっていると進言してくれたおかげだな。さすがミレニア。私の娘は天才だ」

「ふふっ……ありがとう、お父様」

 祖父と言われても違和感のない年齢差のある男に向かい、ミレニアと呼ばれた少女は素直に微笑んだ。

 ふわり、と花が綻ぶような可憐な微笑みを浮かべる少女は、年のころなら十歳程度。漆黒の長く艶やかな髪はこの国の皇族らしい色であり、父の血を引いていることを示していたが、皇族には珍しい抜けるような白い肌と宝石と見紛う翡翠の瞳は、第七妃として迎えられた母親の血によるものだった。

「でも、それもこれも、昔、お父様がタゴール地方を帝国領として治めてくださったからこそだわ。民衆に浴場を解放するだなんて、それまでの帝国の風習からは考えられなかったもの」

「ふっ……我が娘は、父を喜ばせる術まで心得ているか。どこまでも可愛い娘よ」

 眉尻を下げて、孫娘を見る祖父のように柔らかな瞳で少女を見る男こそ、この国の現君主、『侵略王』ギュンターその人であるとは、誰も思わないだろう。

 若くして玉座についたギュンターは、国を治める能力そのものについては問題がなかったが、いかんせん、彼が玉座についてからの戦の数は、歴代の皇帝と比較しても倍以上あるため、そのような異名がつけられた。それは、領土拡大の侵略戦争しかり、領土内の反乱を鎮める戦争しかり――不意に人々に襲い来る魔物の討伐戦しかり。

 民の暮らしを良くする執政も多かったが、度重なる戦争に疲弊していく国民の感情を軽くすることはなかった。あまりに頻繁な出兵に苦言を呈した側近の首を刎ねた事件も、『侵略王』の苛烈なイメージを強固にしたのだろう。

 皇帝ギュンターは決して逆らってはならぬ存在――それが、いつしか全国民の総意となっていた。

「一度、ちゃんと私の進言がどんな形となっているか、この目で見てみたかったの。今日は、連れてきてくれてありがとう、お父様」

「良い、良い。お前の我儘など、お前が生まれて十年、ほぼ聞いたことがない。何よりそれは、民を統べる皇族として、大事な感覚だ。お前の兄たちに見習わせたいくらいだ。全く……つくづく、お前が男に生まれていればと悔やまれることだ。さすれば私は必ずお前を次の皇帝に指名したことだろう」

「ふふっ……もしそんなことになったら、十二人もいるお兄様たちに恨まれちゃうわね」

 ミレニアは苦笑して謙遜し、再び窓の外へと視線を投げる。頭を垂れる国民は、愛娘を前に目尻が下がり切ったこの皇帝の姿を目に入れることなどないのだろう。

「全部、お父様のおかげよ。お父様が、私に、皇族とはどうあるべきかを教えてくれたんだもの。……だから、お父様のことを怖い皇帝だと誤解している民に、もっとお父様が素晴らしい為政者であると知らしめたいわ」

「ふ……なんとも愛い奴よ。――フェリシアも、とても賢く、美しかった。お前はよく母親の血を受け継いでいる」

 侵略王などという物騒な異名など信じられぬほどに優しい手つきで頭を撫でられ、ミレニアは擽ったそうに目を眇めた。

 僅か十歳という幼さでありながら、公衆浴場建設の進言をはじめとして、ミレニアは神童と呼ばれるにふさわしい実績を数々残していた。それはひとえに、現皇帝たるギュンター自ら、惜しみない英才教育を徹底的に施したが故と言っても過言ではないだろう。

(今は亡きお母さまを、かなり寵愛していたと聞いているけれど――お父様が私にどこまでも甘いのは、完全にそのせいよね。皇帝の寵妃の娘として生まれられて、本当に幸運だったわ)

 今から十年と少し前――ある一つの集落が、帝国の領土となった。それは、ギュンターが皇帝についてからというもの、何十年とずっと焦がれ続けた地域だった。

 この帝国の歴史は、戦争の歴史だ。

 昔から、この大陸にはいたるところに魔物が生息していて、人々を襲っては苦しめてきた。一般人では決して太刀打ちできぬその存在に、人は集落を作り、身を寄せ合い、生き延びてきた。

 そんな中、数々の集落を集め、国という単位にまで最初に発展させたのが帝国だ。襲い来る未知の理不尽に耐えるだけではなく、自ら戦いを挑んで、自分たちが生きる土地を切り開き、守り抜く。剣と魔法を駆使した軍隊と呼ばれる集団を作り上げ、魔物がはびこる大陸の中に、人間が暮らす領土を広げ続けた。今や、魔物に十分に対抗できるのは、帝国の武力だけと言っても過言ではない。

 そして、侵略王たるギュンターが帝位についてからは、加速度的に領土が広がっていった。歴代稀に見る速さで領土を広げた先――初めて目にしたのは、大陸中央にあった、小さな集落。

 そこは、帝国には滅多に見られぬ色素の薄い人間たちが住まう集落。

 名を、大陸古語で<神に守られし地エラムイド>と言った。

 その集落は、魔物の巣に囲まれるようにして存在していた。人口はそれなりに有するものの、領土は決して大きくなく、大した武力も持たぬその土地は――それでも、長年、魔物の侵攻を防ぎ続けていた。

 神も恐れぬ侵略王は、その秘密を探りたいと考えた。全ては、帝国の恒久なる平穏を叶えるためだ。

 しかし、その集落を取り囲む魔物の巣は、同時に集落を他者の侵略から守ってもいた。どれだけ魔物を倒そうと、あとからあとから湧き出てくる。

 何度も侵略戦争に乗り出しては、魔物に阻まれ続けて数十年――大規模な軍隊を率いて、数多の犠牲を出しながら、念願かなってたどり着いたその先は、帝国とは相反する思想と文化で形成されていた。

 『侵略王』の名にふさわしく、いつものように圧倒的な武力で制圧したその土地から、従属の証として、一人の娘が献上された。

 名を、フェリシア。エラムイドの長の娘だった。

 帝国にはあまり見られぬ、抜けるような白い肌と宝石のような翡翠の瞳を持つ、それはそれは美しい女で、長の娘として幼いころから高度な教育を受けており、とても賢く優秀だったという。

 既に初老と呼ばれる年齢を迎えていたギュンターは、一目でその女に惚れこみ、年甲斐もなく溺愛するようになった――というのは、この国の民であれば、誰もが知っている話。

「巷でお前が何と呼ばれているか知っているか?ミレニア」

「え?」

「”第二の傾国”だそうだ。――フェリシアが"傾国の寵妃"と呼ばれていたせいだろう」

「ふふっ……それはお父様が、お母様を溺愛するあまり、それまでの侵略戦争をピタっとやめちゃったせいでしょ?」

 クスクス、と皇族らしく淑やかに声を上げてミレーニアが笑う。

 侵略戦争の多ささえなければ、賢帝といって差し支えのないギュンターは、フェリシアにのめり込んで最低限の執政だけをこなすようになった。皮肉にも、そのおかげで、それまで悪感情に寄っていた国民の感情を一気に回復させたのだ。後宮の女に入れ込んで仕事を疎かにしたことで名誉を回復した皇帝など、帝国史上初めてだったことだろう。

 ほどなくフェリシアは皇帝の子を身ごもり――己によく似た娘を一人産み落とした後、産後の肥立ちが悪く、そのままこの世を去ってしまった。

 そうして、彼女の忘れ形見として残されたのが、”第二の傾国”――第六皇女ミレニア。

 フェリシアの面影を宿す彼女を、ギュンターは孫娘のように溺愛し、幼いころから彼女が欲するままに何もかもを惜しみなく与えた。

 しかし幼少期から皇女ミレニアが欲したのは、金でも権力でもなく――とにかく、知識だった。

(不思議と、初めて読むはずの本や初めて聞くはずのお話でも、一回で全部覚えてしまえるのよね……才能、と言って皆は褒めたたえるけれど――他の人は、そういう感覚がないのかしら?)

 人生で初めて触れた知識も、最初のさわりを頭に入れただけで、その全容を理解してしまえる頭脳を、人々は驚嘆して褒めてくれる。まるで昔からそれを熟知していたかのように、一を聞けば十を理解する少女のことを、人々は『神童』と言って特別視した。――娘を溺愛する現皇帝を筆頭に。

 そうして褒められれば褒められるほど、幼いミレニアは知識を獲得する面白さにのめり込んで行った。何度ギュンターに頼み、新しい書物や教師を用意してもらったかわからない。

「それにしても、この前文献でも読んだのだけど――お母様の故郷の風習は、興味深いわね。……”神様”に選ばれた<贄>を捧げて、集落を守る――でしょう?」

「あぁ。理屈はわからぬが、儀式にて選抜された<贄>を捧げた地方は、確かに見えぬ壁に阻まれるようにして、一時的に魔物が襲ってこなくなったという。それが、エラムイドの集落が今日まで永らえてきた秘密だと」

「何なのかしらね……まさか、本当に、”神様”がいるとでも?」

「ふっ……さてな。フェリシアはそのように申していたが――今となってはわからぬ」

 大人もかくや、という比類なき頭脳を持つ十歳の少女は、今日も変わらず好奇心旺盛だ。

 昔から、ミレニアは頭脳を巡らすことが好きで仕方なかった。物心ついたころにはすでに読み書きを完全にマスターしていたし、母の忘れ形見として溺愛してくれた父から聞く帝王学を寝物語の代わりに聞いて育った。

 生まれながらにして皇族としての心得と知識を徹底的に学んだミレニアは、齢十歳にして、すでにその風格は皇帝と変わらない。誰よりも勤勉で、誰よりも民を想い、誰よりも優秀だった。

「神様なんて、いるわけないわ。ここは泣く子も黙る”帝国”だもの。――絶対、何かからくりがあるはずよ。いつか、絶対私が暴いてみせる」

 呟く横顔は、真剣そのものだ。

 それは、目に見えぬ不確かな存在に縋り、民を惑わすことが悪であること――事象のカラクリを明らかにして、"仕組み"に昇華出来ない施策は恒久の平和をもたらさぬことを、皇族の心得としてその身にしっかりと刻んでいるからだろう。

「本当に……お前が男でさえ、あればな」

 ぽつり、と呟くギュンターの表情は苦い。

 ミレニアは、まだ街並みを真剣な顔で眺めている。人々が笑顔で行き交う街並みを、じっと。

(お父様が、お母様を愛すことで侵略戦争から手を引いて――私を溺愛することで、その後も、無茶な侵略戦争を推し進めることはなくなった。国民に笑顔が戻った今は、間違いなく重大な時期。……どんなにお父様が穏やかになったとはいえ、魔物の存在がある以上、決して武力を手放すことは出来ないし、魔物の巣が近くに出来て大規模侵略があったら、国民を有無を言わさず前線に送らざるを得ない……彼らが協力的なうちに、何とかカラクリを見つけておかなきゃ――)

 窓の外に見える、市政の人々の笑顔を守るために。

 ――将来いつか、自分が、この国を治める史上初の『女帝』となるために。



 ここは”帝国”。大陸唯一にして最大の栄華を誇る国。



 ――大陸古語で<神に見放されし大地イラグエナム>と呼ばれる一大国家だった――

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