4 ランチと魔女と蜜りんご(8)
コルダ殿は腕を組み、煙管の先をゆらゆらと揺らした。
「パートナーも連れずに晩餐会に出席しようだなんて、どこまで非常識な男なの」
「いやでもルーチェは人間なんですよ。うちの任務に連れていけるわけないじゃないですか。なに言ってんですか」
「たしかに人間だね。だが肝が座っている。おまえよりよほど使えると思うよ」
ふたりの視線がわたしへ向けられる。意見を求められている。
どうするべきなんだろう。ふたりの主張はどちらも正しく思えて、わたしには判断がつかない。
優雅に微笑むコルダ殿と、拝むようにこちらを見るメテオラの顔を交互に見比べる。こういうときに優先すべきは、……指示系統だ。
わたしは反射的に軍靴の踵をそろえて、胸に手をあてた。
「わたしは上官殿の指示通りにするだけです」
コルダ殿は呵呵と笑った。
「よいよい。よいお返事」
「ねえルーチェ、断っていいんだよ、ていうか断ろ? 隊長の強引な空気に流されないで。正直な気持ちを教えて」
メテオラはわたしの両肩を正面から掴んだ。その必死さに、わたしはすこし申し訳なさを覚えて目をそらす。
「断る理由などなかろう。隊長殿の命令ならば御意とこたえる。その一択だ」
「ルーチェの隊長じゃないのに?」
「そうだな。だがおまえの上司だ。従うよ」
「だからなんでそうなるの」
わたしの両肩に手を置いたまま、メテオラはがっくりとうなだれた。
「隊長殿の仰ることもそのとおりじゃないか。つまり潜入ということだろう? 晩餐会と銘打っているならペアのほうがいいに決まっている」
「いざとなったらおれはまた呪いを解放するかもしれないよ」
「そうなればまた頃合いを見て頭突きをするだけだ」
「今度はルーチェの血が欲しくなっちゃうかもしれない」
「なんだやはりエレジオだったのか」
「……や、そうじゃないけど!」
ばっと顔をあげたメテオラは、わたしをじっと睨みつけるように見据えた。なにか言いたげな目をしているが、やがてため息とともに観念した。
「わかった」
「ああ。頼りにしているよ」
メテオラはわたしの返事に満足したのか、気を取り直してふわりと微笑った。
「で、でも、ルーチェさんが潜入するのは、実際のところ難しいんじゃないですか」
シロカネがわたしの袖をひく。
「人間だってバレたら、ヤバですよね」
「それはそうか」
「だからこそ狐、おまえも行けと言ってるのよ」
「へ?」
ふたたびシロカネは煙に包まれ、狐の姿にさせられてしまう。
「何度もやめてくださいよお!」
「まあまあ静かになさい。これをこうして、こうして」
コルダ殿はシロカネを掴み上げるとわたしとメテオラに背を向け、シロカネに覆いかぶさるようにしゃがみこんだ。
「ぎゃっ、ふぎゃっ、やめてくださいい!」
シロカネの悲鳴は聞こえてくるが、なにが起こっているのかわたしたちにはわからないし、それを暴こうとはしなかった。たぶんとても無謀なことだ。
「これでよかろう」
そううなずいて、コルダ殿は手にしたものをわたしの首に巻きつけた。軽くて、あたたかい。
それはすこし長細くなったシロカネだった。
「よい襟巻きね。あなたやればできる子よ、狐」
「シ、シロカネ……、大丈夫か」
シロカネはみずからの尾に抱きつくような形でわたしに巻きついている。愛らしいライトグレーの瞳がくるりとわたしを見あげる。
「案外平気でぼくもいま驚いています。こんな風に狐みがいかされる
ポジティブな子でよかった。すっぽんぽん問題も、襟巻きとして存在することでどうやら気にならないらしい。
「けものくさくて、とても人間には思えないわね」
コルダ殿はひと仕事終えた人のように、満足げに煙管を吹かした。
「そうだ狐、いちごみるくはおいしかった?」
「え、はい。でもなんで?」
テラスで話しはじめたころから烏が飛んでいたことを思い出す。見られていたのだ。
「任務が成功したら褒美として、おまえが欲しかろう情報もくれてやるよ」
メテオラは胡乱な目を向ける。
「ずいぶん親切ですね。気味が悪いくらいに」
「これからおもしろいことになりそうだから、その投資」
コルダ殿は糸を引くような笑みを浮かべて、机上にあった呼び鈴に手をかける。その指をちらりと見て、コルダ殿はなにか思い出したように、ああと呟いた。
「メテオラ、おまえの馴染みのサキュバス、あれには先日世話になったよ」
指先を差し出し、爪をはじく。海を宿したような爪がこちらへ向けられた。
「まだしばらくヴェントにいるようだから、晩餐会の身支度をしてもらいなさい」
「わかりました」
メテオラはドアのほうへわたしの背を押す。わたしは促されるままドアをあけて廊下へ出た。
ちりりん、とベルが鳴る。
「メテオラ」
コルダ殿の呼びかけに振り返る。わたしのうしろに立っていたメテオラもまた、コルダ殿を振り返っていた。
「おまえはその蜜りんごをどんなご馳走にするつもり」
わたしの場所からはメテオラが壁になってコルダ殿の表情はわからない。だが彼女の問いかけは多分に嘲りを含んでいた。
メテオラはなにも言わない。言葉も、身じろぎも、なにもない。彼の背中はへらへらとした印象とは異なり、思っていたより大きく、冷え冷えとしていた。
そのとき初めて、わたしはこの男のことをなにも知らないのだと思い至った。昨日知り合ったばかりなのだ。当然のことなのに、そうは思っていない自分がたしかにいた。
いまメテオラはどんな表情をしているのだろう。あの流星の眼差しにはコルダ殿がどう映っているのだろう。
うん、とか。ああ、とか。なんでもいいから彼の表情の想像がつくような声が聞きたい。
だがそれは叶わないまま、廊下の床が振動をはじめる。
世界はふたたび反転した。
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