《 第21話 水族館でショック療法 》
そして迎えた合宿当日。
1泊2日の初日となる今日この日の正午過ぎ。
駅近のファミレスで昼食を済ませた俺たちは、待ち合わせ場所の水族館を訪れた。
電車に乗ってるときも、昼飯を食べてるときも「赤鶴先生の命はあたしたちの手にかかってる……。一瞬たりとも気を抜けないわね!」と張り切っていた柚花だが――
「やあ、よく来たね」
「ひゃい! ほっ、ほほ本日はお招きいただきありがとうございましゅ!」
赤羽根先輩と合流した瞬間、カチコチになってしまった。
気持ちはわかるけども。
オタクに染まるきっかけになった神作家がほほ笑みかけてくれたんだから。
「道に迷わなかったかい?」
「だ、だいじょうぶでした! 航平にはあたしがついてますから!」
「おい。俺ひとりだと道に迷うみたいなこと言うなよ」
俺だって赤鶴先生の大ファンなんだぞ。ファン歴はお前より長いんだぞ。
持ち上げてくれとは言わないが、かっこ悪く思われそうな発言は控えてくれよな。
「昔、道に迷ってたじゃない。自信満々に『こっちだ!』とか言いながら反対方向に進んでたことあったでしょ」
「それはマップ見ながらだとお前が遠慮して話しかけてこないからだよ!」
「真剣に地図見てたから邪魔しないように気を遣ってあげたのよ!」
「こっちだって会話が弾むように気を遣ってやったんだ!」
「よけいな気遣いしなくていいわよ!」
「なにがよけいだ! 楽しいデートになるように気を遣ったのに!」
「べつに会話がなくてもあんたがいれば楽しいわよ! あんたは違うわけ?」
「違わねえよ! でも会話があったほうが楽しいだろ! だいたいお前だって昔駅で迷ってただろ! 自信満々に『一度来たことあるから案内は任せて!』って言ってたのに駅から出るのに1時間かかっただろ!」
「あれは迷路みたいになってる駅が悪いのよ! 道に迷って悪かったわね!」
「全然気にしてねえよ! ダンジョン攻略してるみたいで楽しかったし! ……なにしてるんですか?」
「録音しているのさ。リアルな痴話喧嘩は創作活動の参考になるからね」
「「痴話喧嘩じゃありませんからっ!」」
「相変わらず息がぴったりだね」
おかしそうにそう言って、先輩はボイスレコーダーをポケットに入れる。
「さて、それじゃさっそく水族館を見てまわろうか」
「はい! 資料撮影の邪魔にならないように隅っこでおとなしくしておきます!」
いや、おとなしくしちゃだめだろ。スズメバチから守るために来たんだから。
俺だって先輩の邪魔はしたくないけどさ。
なにせ水族館を訪れた目的は、赤鶴先生の受賞作にしてデビュー作となる読み切り漫画『海底王』の資料を集めるためなのだから。
元々雑誌に掲載されたが、俺が赤鶴先生を知ったのは単行本。初連載作品の巻末に収録された海底王を読み、その面白さに連載化を激しく希望した。
連載にはならなかったけど、1作目も2作目も海底王を上回る面白さだった。
主人公とライバルの関係性だけに焦点を当てて完結まで一気に駆け抜けた1作目も好きだが、俺の一押しはアニメ化もした2作目だ。
未完になってしまった神漫画の続きを読むためにも、必ずや赤羽根先輩を死の運命から逃さなければ!
ともあれ。
神漫画の資料集めに立ち会えて嬉しいのはわかるが、柚花には冷静さを取り戻してほしい。
「隅っこでじっとしている必要はないよ」
「い、いえ、赤羽根先輩の邪魔をするわけには……」
「私は邪魔だなんて思わないよ。とはいえ、きみたちは仲が良いんだから、ふたりでのんびり見てまわったほうが楽しめるだろうけどね」
「お心遣いに感謝します! ではそうします!」
そうしちゃだめだよ!
赤羽根先輩を守るために来たんだろ!
「それじゃあ16時になったらお土産コーナーに集合ということでいいね?」
柚花がうなずき、先輩はデジカメを手に去っていく。
小さくなっていく赤羽根先輩の背中を見ながら、柚花が俺の肩を揺さぶってきた。
「ど、どうしよう航平。あたし、神作家と話しちゃった……」
「俺のほうこそどうしようだよ……。なんで別行動に賛成しちゃうんだ。スズメバチから守らなきゃいけないのに」
「水族館にスズメバチなんか出ないわよ。いまからその調子だと本番を迎える頃にはへとへとになってるわよ?」
このあと自然豊かな温泉宿へ向かう予定になっている。
柚花の言う通り、スズメバチが出るとしたら水族館ではなく温泉宿が濃厚だ。
気を抜くわけにはいかないが、本番に備えていまは体力を温存させておいたほうがいいのかも。
「んじゃ、てきとーに見てまわるか」
「ええ。見てまわりましょ」
俺たちは水族館内へ。
するとそこには青い世界が広がっていた。映画館スクリーンみたいな大きな水槽は青白い明かりに包まれ、大小様々な魚たちがのんびりと泳いでいる。
まるでひとつの生き物のように泳ぐ魚群や、悠々と水槽前を通過するサメ。水中をひらひらと舞うエイや、あちこちを泳ぐ色とりどりの魚たちを見ていると、なかなか飽きがこなかった。
「……航平、いまなに考えてる?」
「帰ったらデスクトップの背景を水槽にしようって考えてる」
「それはそれで子どもっぽいけど……でも、ちょっとは成長したのかしら?」
「成長?」
「ほら、昔付き合ってたとき、デートで水族館に来たじゃない?」
「そんなこともあったな」
「そのとき航平、なんて言ったか覚えてる?」
「……来てよかったな、とか?」
「最終的にはそれも言ったけど、全然違うわ。あのとき航平、寿司屋に寄って帰るかって言ったのよ」
「……台無しだな」
「でしょ? あたしびっくりしたわ。ロマンチックなこと言われると思ってたのに、お寿司食べたいとか言われたから」
「でもさ、美味そうに寿司食ってただろ。しかも大量に。支払いのときびっくりした記憶があるぞ」
「だ、だって美味しかったし……。それに割り勘でしょ?」
「その記憶はない」
「都合のいい記憶力ね。まあいいわ。あっちも見てみない?」
「いいぞ」
通路を道なりに進むと、薄暗い空間に出た。
ライトアップされたクラゲの群れが、大きな水槽内をぷかぷかと漂っている。
まるでイルミネーションだ。幻想的に漂うクラゲを見ていると、心が癒されていくのを感じる。
派手な動きはしていないのに、いつまでも見ていたくなる不思議な魅力があった。
が、しかし。
「……あのさ」
「なに?」
「変なこと言うけど……手、繋がない?」
「……は?」
その一言に、意識がクラゲから遠のいた。
俺の視線は神秘的なクラゲではなく、恥じらい顔の柚花に釘付けだ。
赤羽根先輩の正体発覚と水族館の癒し効果で落ち着きつつあったときめきが再浮上してしまう。
「な、なんで手を繋ぐんだよ!」
「や、やっぱり嫌よね?」
「嫌というか……手を繋ぐ理由がわからないというか……」
「だって……航平がそばにいると落ち着かないのよ」
「普通にショックなんだが……」
「ち、違うわよっ。そういう意味で言ったんじゃなくて……ほら、こないだ誕生日を祝ってくれたでしょ?」
「あ、ああ。祝ったな」
「あれでね、あんたのこと好きになりかけたの」
……は?
「そ、その『好き』って……『友達として好き』って意味だよな?」
「友達としてはずっと前から好きよ。そうじゃなくて、航平のことを恋愛対象として好きになりかけたのよ」
「好きになりかけた……過去形ってことは、もう好きじゃないってことだよな?」
「いまもバリバリ意識してるわ」
「な、なに意識してんだよ! 友情を守るって約束しただろ?」
「どきどきしちゃったんだから仕方ないじゃない。……航平だって、少しはあたしのこと『いいな』って思ってるんじゃないの?」
「そ、そんなこと……なくはない、けど……」
「やっぱり! 最近様子おかしかったものね。あれってあたしにどきどきしちゃったから距離を置こうとしたんでしょ」
「悪いかよっ。お前が可愛くお礼を言うのがいけないんだろっ。俺が頑張って友情を守ろうとしてるんだから、手を繋ごうとか言うなよっ!」
「仕方ないじゃないっ! どきどきしちゃって航平と一緒にいると落ち着けないんだから……。だから手を繋ぐのよ」
「なぜそうなる!?」
「どきどきするのは、異性として意識しちゃってるからだもの。同性と……たとえばあたしが佐奈ちゃんにしてたみたいに接すれば、いずれ慣れる日が来るわ。そしたら緊張せずに遊べるようになると思って……」
つまりはショック療法だ。
上手くすれば柚花を意識しなくなり、男女の垣根を越えた友情を築ける。
リスクは高いが、得るものも大きい。
「どうする? 嫌ならいいけど……」
「べ、べつに嫌じゃないぞ」
「ほんとに? ……嫌なら無理しなくていいのよ?」
「嫌じゃないってば。そりゃ無理はしてるけどさ、これを乗り越えないと友情が崩壊するんだから」
最初はめちゃくちゃどきどきするだろうけど……これを乗り越えれば最高の友達になれるんだ。
ずっと落ち着けないのは嫌なので、提案に乗ることにした。
そっと手を握ると、柚花の手は汗ばんでいた。
「ど、どうだ?」
「どきどきしすぎて心臓が飛び出ちゃいそう……。航平は?」
「俺もだ。全神経が手に集中してるよ」
「あんまり集中させないでよね。手汗がびっしょりなんだから」
「そんなの気にしないって。俺のほうこそ手汗すごいし……はじめて手を繋いだとき以上に緊張してるかも」
「不思議ね。昔は手を繋ぐのくらいなんともなかったのに、いまはすごく緊張してるなんて」
「だな。恋愛経験値がリセットされた気分だ。……ちなみに、佐奈とはどんなことをしてたんだ?」
「指と指を絡ませて手を繋いだり、ハグしたり、一緒に着替えたり……」
「そ、それ全部俺ともするのか?」
「い、いきなりは無理よ。手を繋ぐだけでもギリギリなんだから……航平とのハグを想像しただけでどきどきするわ」
「俺もだよ。……でも、いつかはするんだよな?」
「航平が嫌じゃなければだけど……」
「嫌じゃないよ。そりゃぶっ倒れそうなくらい緊張するけど……でも、恋愛経験値を稼がないと、男女の垣根を越えることはできないんだから。まあ、時間はあるんだ。ゆっくり慣れていこうぜ」
付き合い始めた頃のように気恥ずかしい気持ちはあるけど、柚花と手を繋ぐことに嫌悪感はまったくない。
お互いの手をぎゅっと握り、俺たちは水族館を心ゆくまで楽しむのだった。
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