序章-4話

 アルシェが魔物によって倒れるよりも少し前。

 城を襲撃する魔物たちの姿に、急いで救援に向かおうとしていたユーシスレイアは、途中で国王フィスカからの伝令を受けた。

 既に王は隠し通路から王都の外へ落ち延びてリュバサに向かっており、主要な将や重臣たちも参集せよとの命令だった。


「……それは、城下を見捨てろということか?」

 信じられない言葉を聞いたように、ユーシスレイアは伝令使を見やる。

 カスティナの王都シェスタは、中心となる城郭都市内におよそ二千人の住民がおり、その郭外にさらにいくつかの町が連なって構成された広大な都市だった。

 異形の者たちが次々と姿を現している中、そこに住む人々を「気にせず来い」などという命令を、聖王フィスカが下したとは思えなかった。

 もちろん王や文官が脱出するのは理にかなっていると思う。けれども。自分のような武をもって立つ将が率先して逃げてどうするというのか。


「い、いえ。その、郭内なかの民は、参集した騎士たちがリュバサに誘導する手筈になっています。……郭外そとの住民に関しては街の警備兵がそれぞれ避難させていますので、どうかご心配なく」

 見たものすべてを射抜くような鋭く強い白金の双眸を向けられて、伝令使の男は震えあがるように身をすくめた。


 カスティナ王国にとってを失うことなくリュバサに集結させること。

 その中で、国王フィスカが特に重きを置いていたユーシスレイアにこの命令を伝えに来た自分の役目は大きく、失敗は許されない。

「これは、アルシェ様の決定でもあるのです」

 表情の硬いユーシスレイアに、伝令使の男はさらに説得するよう言葉を継いだ。 

「ご自身は城内に残り、魔物たちの入城を阻んで陛下がリュバサに行く時間を稼いでおられます。……だからこそ、貴方様はただちに陛下の許に参じ、戦いにお備えください」

 もちろんこの命令を下したのはアルシェではない。しかし王にリュバサ行きを勧めたのは確かなのだから嘘にはならないだろうと、そう思った。

 軍を統括する将であり、またこの青年の父親でもあるその名を出せば、納得してもらえるのではないかという淡い期待もある。


 けれどもその期待とは裏腹に、ユーシスレイアの表情は鋭さを増し、怒りにも似た強い視線が伝令使に向けられた。

「 ―― もちろん、陛下のもとには参じる。だが、おれ一人が先にリュバサに行ったところで、そこに麾下きかの騎士たちがいなければ、将だけでいくさはできない」

 騎士たちが民を守り避難誘導するのであれば、自分もそこに居てしかるべきだとユーシスレイアは思う。

 まして父が城でをしているのであれば、自分は街で魔物と対峙し、城に向かう敵の数を少しでも減らしたかった。



「ユーシスレイアどの! まだ、こちらにおいででしたか」

 不意に前方から馬の蹄音と自分を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえて、ユーシスレイアはすっと視線を上げた。

「他の上層部の方々同様に、もうリュバサに向かわれたとばかり……」

 そう言って近づいてきたのはユーシスレイア麾下でもあり、腹心とも思う初老の騎士だった。

「ジェラード、魔物の被害はどうだ?」

 ユーシスレイアは急くように現在の状況を問う。

 王城から離れたこの地域からではまだ見えないけれど、城に近い場所では魔物たちによって住民虐殺が始まっているのではないかと気が気ではなかった。


「それが……どういう訳か異形の者たちは城に向かっていくばかりで、城下の人間には、いっこうに襲い掛かってくる気配もないのです」

 ジェラードの皺の深い強面こわもてに、不思議そうな表情いろが浮かぶ。

「そのため順調に避難が進んでおり、私がこちらの居住区域の住民たちを誘導しに参った次第で」

 残虐で殺戮を好むと伝わる魔物たちが、まったく住民たちに興味を示さない。それは不思議ではあったけれど、不幸中の幸いでもある。


「 ―― そうか。ならば、魔物やつらの気が変わらないうちに避難を進めた方が良いだろう。ジェラード、住民たちの統率を頼めるか?」

 すべての真実を見据えるような鋭く強い眼光が、じっとジェラードを見やる。初老の騎士は、大きく頷いた。

「承知しました。この地区の住民の確認を終えたら、すぐに皆を連れて発ちましょうぞ。ユーシスレイアどのは、先にリュバサに向かわれますか?」

 王国上層部の者たちが、国王の指示で先に王都を脱出していることはジェラードも知っていた。

 国の中枢である人材を亡くすことは王国にとっては大きな痛手となるのだから、そのことに不満はない。目の前にいるこの青年も、軍事面においては最重要ともいえる存在だった。


 ユーシスレイアは部下の言葉にほんの少しだけ考えるように目を閉じ、そうしてゆるやかに首を振った。

「いや、おれは殿軍しんがりを務めよう」

 夕陽をうけて赤く揺らめく髪に彩られたその顔は強靭な意志を宿し、静かに伝令使とジェラードを見やる。

「今は大丈夫でも、いつ魔物たちが牙を剥くか分からん」

 たとえ今は城だけに意識が向いて住民たちには無害なのだとしても、それが続くとは限らない。用心するに越したことはなかった。


「 ―― 分かり申した。確かに、ユーシスレイアどのが最もお強いですから、殿しんがりに適役ではありましょう」

 ジェラードは自分の半分ほどの年齢でしかない上官を見やり、わずかに笑う。

 ずっと近くでユーシスレイアの補佐をしてきたジェラードには、軍神と呼ばれるこの青年の強さも、その気性もよく分かっていた。

 一見すると王の命令に忠実で献身的な忠臣に見えるこの青年は、己の信念に反する命令には異を唱えることを厭わず、行動を起こす将だった。

 若い上官のそんな気性を、ジェラードは好ましく思っていた。

「それに、貴方ならすぐに追いつけるでしょうから」

 この青年の技量をもってすれば、リュバサ行きを後回しにしても大きな問題にはならないだろうとジェラードは思う。

 ユーシスレイアが足を負傷していると知っていれば、その判断はしなかっただろうけれど。いま目の前にいる青年からは、少しもそんな素振りは見えなかった。


「ああ。そちらは頼んだ」

 ユーシスレイアは軽く笑むと、自分の家族を含む居住区の誘導をジェラードに任せ、魔物たちが集まる歪んだ空の下へと向かう。


 城の近くまでたどり着くと、ジェラードの報告通り魔物たちは城にのみ集まっている様子が見てとれた。

 最も魔物たちがいるように見えるのは、本来国王フィスカが居るはずの宮殿へとつながる、内門が在る付近だった。

「…………」

 あの場所で、父を含む近衛の兵たちが時間稼ぎのために戦っているのだと、ユーシスレイアにもすぐに分かった。

 出来ることなら救援に向かいたいと思う。けれども。自分がいま、この場所を離れるわけにはいかなかった。


 騎士たちに誘導されて避難していく住民たちの不安と恐怖に満ちた表情が、背後を守るかのように魔物あふれる城前に姿を現したユーシスレイアを見て、わずかな希望のいろが戻ったのが分かる。

 彼が居てくれるのであれば無事にここから避難し、そしてまた、すぐに戻って来られるに違いない。そう思えるほどに、の存在は頼もしかった。

 ともすれば恐怖で乱れがちだった統率も落ち着きを取り戻し、整然と避難をしていく住民たちの姿はしばらく途切れることなく続いた。


 そうして最後の騎士が去っていく頃、魔物たちが集まっていた城の内門の方角から大きな音がした。

 視線を向けてみると、門前に留まっていた多くの魔物の姿がほとんど見えなくなっており、宮殿内に入っていったのだろうと想像がついた。

「 ―― っ!」

 とっさに、ユーシスレイアは城内に入ろうと身を翻す。父が討たれたのであろうとすぐに分かった。だからこそ、じっとしてはいられなかった。


 けれども ――


「お兄ちゃんっ!」

 その瞬間。いまここで聞こえるはずのない妹の声が聞こえ、ユーシスレイアは目を見開くように振り返った。

「シリア……?」

 そこには、他の住民たちと一緒に逃げるように言い置いたはずの母とシリア。そしてアリューシャまでもが並んで立っていた。


「ユールの足が心配だって、シリアが……」

 目が合うと、言い訳をするようにアリューシャは呟いた。

「ジェラードさんが、お兄ちゃんはに来るって言ってたから……。一緒に避難しようと思って迎えに来たの」

 シリアは兄のもとに駆け寄ると、心配そうに負傷しているはずの左足を見やり、そうしてきゅっと、白い外套マントの端を掴む。


「そう、か……」

 ユーシスレイアにとって、それは大きな誤算だった。

 だからといって、自分の足の負傷を心配してここまで迎えに来た家族を責めることは出来ない。

「……わかった。すぐに出よう」

 瞬時に思考を切り替えて、自分の馬には母を。アリューシャにはシリアを頼み、ユーシスレイアは家族を守りながら王都シェスタを脱するしかなかった。



 背後には、城を襲撃したような異形の者たちではなく、近付いていると報告のあった帝国の大軍が霞むように見え始めている。

 その中に、炎彩五騎士えんさいごきしを示す『月と稲妻ユエ・ダーレイ』の大軍旗が三旗。

 緋色と白と橙と。沈んだ陽の微かな残照をうけて、闇と光が混在する空に美しく揺らめいて見えた。

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