第40話 最強の終焉

 模擬空戦の相手である三式戦の最高速度は明らかに烈風を上回っていた。

 ざっと見たところ、六〇〇キロ近く出ているのではないか。

 しかし、それだけだった。

 その最高速度は液冷発動機の直径の小ささやあるいは胴体幅の狭さといった空力特性に大きく依存しているのだろう。

 一方で加速は鈍く、上昇力は烈風の足元にも及ばない。

 要するにパワーが貧弱すぎるのだ。

 俺からすれば目の前の三式戦は多少運動性能の良くなったP40に熟練が乗っているようなものだった。

 そして、P40とはフィリピンやオアフ島で散々にやり合ったからどうすれば墜とせるかは体が覚えている。

 大馬力あるいは太いトルクにものをいわせてダイブ&ズームといった烈風得意の機動を続けていれば三式戦はその非力さからいずれは破綻に追い込まれる。

 こちらはそれを待てばいい。

 結局、赤松飛曹長のような圧倒的な勝ち方こそ出来なかったものの、武藤上飛曹の完璧なサポートもあって編隊空戦のほうも無難に勝利することができた。

 そう、無難。

 まさに俺の理想とする戦いぶりだった。




 陸軍関係者のさらなる恨みを買ったとはいえ、帝国海軍の士官として負けずに済んだことでほっとした俺は気分も軽く、すでに心は帰り支度に邁進していた。

 だが、そんな俺に例の陸軍大尉がニコニコしながら近づいてきた。


 「もう、そのニコニコにはだまされねえよ」


 胸中でそう毒づきつつも、小役人根性が染みついている俺は「本日は勉強になりました」といったような謙虚な姿勢を維持。

 その場を去るための無難な挨拶を口にする。

 とりあえず、この大尉には余計なことはしゃべらず、また耳を貸さずに一目散に退散するのみだ。

 そうしたところ、陸軍大尉は俺に対して、いま模擬空戦をおこなった三式戦とは別の開発中のものもあるので、手合わせ願えないだろうかと頭を下げてきた。

 前回はここで武藤が余計なことを言ったせいで二式戦と戦う羽目になってしまった。

 かつての手痛い経験から俺は真っ先に武藤をにらみつける。

 武藤もそれが分かっているのだろう、笑いをこらえるような表情で俺から目をそらす。

 その時だった。


 「それはいい。私もかつての部下がどこまで成長したのか、今度は単機空戦でも見てみたい」


 あろうことか、かつての俺の上官だった元「飛龍」戦闘機隊長の大尉が究極の余計な事を口ばしりやがったのだ。

 陸軍大尉と海軍大尉にこう言われたのでは少尉にすぎない俺に拒否権はない。

 苦い気持ちが表情に出てしまっていたのか、俺の顔をみた武藤のやつが真面目くさった顔で肩をふるわせていた。




 「速い!」


 さっき戦った三式戦と姿かたちは変わらないのに、その機動はまったくの別物だった。

 なにより上昇力が段違いだ。

 最高速度も明らかに速い。

 余裕で六〇〇キロを超えているはずだ。

 加速性能も悪くない。

 まるでカスタムメイドの逸品、「並の量産型とは違うのだよ」といった声が聞こえてきそうだ。

 俺の烈風は陸軍大尉の駆る三式戦に苦戦の連続だった。

 何度もケツをとられる寸前まで追い詰められた。


 だが、結局最後に勝ったのは俺だった。

 勝負を分けたのはもちろん腕ではなく機体の差だった。

 確かに陸軍大尉の駆る三式戦はその速度性能や加速、それに運動性能ともに烈風を明らかに上回っていた。

 しかし、一方で時々ではあるが、ぎこちない挙動が見られたのだ。

 以前の俺だったら間違いなく見逃していたであろう些細な違和感。

 それは試作機にありがちな小さな不具合、だが戦いにおいては大きな弱点だった。

 あるいは発動機と機体のマッチングがまだ完璧には仕上がっていないのかもしれない。


 だから、俺は全面的にそこに付け込んだ。

 どういう機動をすればそれが現れるのかもすぐに分かった。

 そして、それを再現させるべく罠を張るような機動を心掛けた。

 やがて、陸軍大尉の三式戦を嵌めることに俺は成功、完全に後ろを取った。

 逆にもし、陸軍大尉の駆る三式戦がもっと熟成されていれば、そのような不具合も現れず俺は間違いなく負けていただろう。

 三式戦の未熟さあるいは熟成不足に救われたといってもよかった。


 それにしても驚いた。

 戦闘機というのは発動機ひとつでこうも性能も性格も変わるものなのかと。

 対戦した陸軍大尉の説明によれば、その機体に積んでいたのは陸軍で「ハ二四〇」と呼ばれる予定の、ドイツでも最新型の液冷発動機なのだという。

 スエズ打通によって日欧航路が開かれた際に、真っ先にドイツから日本に持ち込まれたものなのだそうだ。

 それはDB605と呼ばれ、「ハ四〇」の元となったDB601の拡大改良型とも呼べるエンジンで一四五五馬力の出力を誇るのだという。

 烈風が一五〇〇馬力だから、差はほとんど無い。

 むしろこの程度の差なら抵抗の少ない液冷発動機の方が最高速度や加速については有利かもしれない。

 それに烈風よりも開発時期が遅い分、三式戦は機体もより一層洗練されているはずだ。

 俺には分かる。

 この出力強化型の三式戦は不具合を改修すれば間違いなく烈風よりも強い機体になる。


 そのことで俺は悟った。

 烈風が最強だった時代が間もなく終焉を迎えようとしていることを。

 昭和一七年末。

 まだ戦争が始まってから一年しか経っていない。

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