第29話 苦い酒

 マーシャル沖海戦から本土へと戻った俺はお役所恒例の残務整理という名の書類仕事をさっさと片付けて、例の事情通の同期と酒を酌み交わしていた。

 今回も俺のおごりだが、まあ開戦からこっちロクに遊んでいないから航海手当や飛行手当、それにその他諸々が結構積みあがっている。

 金を溜めるだけ溜め込んで、それで死んだりしたら目も当てられないから芸者でも呼んで豪遊しようかと思っていたら、同じことを考えているような連中がことのほか多かったらしく、芸者さんたちは目も回るような忙しさらしい。


 こうなってしまうと高いだけでサービスは期待できないから、俺は豪遊をあきらめて仕方なくむさ苦しい野郎と飲むことにした。

 目的はもちろん有益な情報を得るためであり、ある意味において接待と言ってもいいかもしれない。

 今回もまた、かなり上等な酒と料理を頼んだので結構な出費になりそうだ。

 だからこそ、元はとらねばなるまい。

 一方、同期のほうはうまい酒と豪勢な料理に気を良くしたのか、懇切丁寧にいろいろなことを教えてくれた。

 何度も死線を超えた同期には敬意を払わねばならないと、そう言って。


 「いや、敬意は払わなくていいから金を払ってくれ」


 俺は思わずそう言いかけたが、小物感たっぷりのセリフを海軍士官ともあろう者が吐く訳にもいかない。

 ぐっとこらえていかにも戦場帰りといった風情で「今日は好きなだけ飲んでくれ」と大物アピールを継続する。

 心の中で「あんまり飲むんじゃねえぞ」と祈りながら。


 同期が語った内容で興味深かったのは、意外なことに米海軍が窮乏しているという話だった。

 もちろん金持ちの米国だ、艦艇や金のことではない。

 人材だった。

 開戦からわずか四カ月の間にウェーク島沖海戦それにマーシャル沖海戦という二つの大きな戦いが太平洋で繰り広げられた。

 この一連の戦いで連合艦隊は手ひどくやられたものの、被害だけでいえば太平洋艦隊の方が明らかに大きかった。

 空母や戦艦といった主力艦だけでもすでに二〇隻も失っているのだから、その消耗ぶりは凄まじいの一言だ。

 これに巡洋艦や駆逐艦、それに潜水艦乗り組みの将兵やパイロットを含めれば戦死者の数は数万レベルに達するだろう。

 それに、米軍にとってはいずれの海戦も負け戦だったから十分な救助活動を行うことが出来ず、つまりは日本軍の捕虜になった者もかなりの数にのぼるはずだった。


 その海軍軍人はどの兵科であれ専門技能を身に着ける必要がある。

 複雑精緻な洋上の戦闘機械を扱うには相応の知識や経験、それに体力や時には胆力が要求されるのだ。

 だから補充は陸軍の歩兵のようにはいかない。

 海軍軍人に必要とされる専門技能の習得にはそれなりの期間を要するし、熟練の域に達するには膨大な時間を必要とするだろう。

 なかでも深刻なのが空母乗組員だと同期は語った。

 専門技能集団の海軍の中でも空母はさらに特殊だ。

 搭乗員はもちろん、狭い格納庫や限られた設備の中で飛行機をメンテナンスする整備員、艦上機の発艦や着艦に欠かす事のできない発着機部員といった技能者がウェーク島沖海戦とマーシャル沖海戦で空母部隊が全滅したことによってことごとく失われたのだそうだ。


 同期が言うには、仮に空母の数をそろえられたとしても、こういった人材の損失を短期間で埋めることはほぼ不可能なのだという。

 いくら世界最大の海軍国といえども、失われた特殊技能を持った人材の補充は容易ではないという同期の言は俺にもすぐに理解できた。

 それと、同期の話によれば、米海軍の足をひっぱる勢力も存在するのだという。

 米大統領と敵対関係にある政敵、つまりは野党の議員たち。

 彼らは相次ぐ敗北の原因について海軍首脳と大統領の戦争指導にあると指弾した。

 それだけならまだ良かったのだが、野党の議員らは大統領を攻撃するネタとして海軍軍人の死傷率のデータを使ったのだ。


 異様な数字だったらしい。

 陸軍や海兵隊のそれに比べて海軍は一ケタ多いのだ。

 同期によれば、このことで海軍を志願する若者が激減しているのだそうだ。

 米国では若者が国のために海軍軍人になると言っても家族あるいは一族郎党から反対され、逆に陸軍もしくは海兵隊ならOKだというようなことが今では珍しくないのだという。

 大量の艦艇建造が軌道に乗りつつある米海軍にとってウェーク島沖海戦とマーシャル沖海戦の敗北は、日本が考えている以上に深刻なダメージだったのだろう。


 指摘されればなるほどと思う。

 南方戦域ではアジア艦隊が、ウェーク島沖海戦では太平洋艦隊が、マーシャル沖海戦では太平洋艦隊の看板をかかげた大西洋艦隊が壊滅したんだ。

 戦死者はとんでもない数にのぼったはずだ。

 そうなれば、いくら高性能の最新鋭艦をそろえたところで、それを使いこなせる人間がいなければ戦力として何の価値も無いというのは俺でも分かる。


 「これは人間としてではなく、勝利を希求する海軍軍人として言うのだが」


 同期にしては珍しく少しためらうようなそぶりを見せながら先を続けた。


 「帝国海軍が米海軍に勝とうと思うならいくら船を沈めても無駄だ。狙うなら米国の海軍軍人だ。彼らを殺せば殺すほど相対的に我々は強くなる。

 そして、戦死者の数がある一定のラインを超えれば米海軍という組織は崩壊して戦争の継続は不可能になる」


 少し以前の俺だったら怒っていただろう。

 俺たちは敵機を墜とし敵艦を沈めるが、それは国を守るためだからだ。

 また、敵国の軍人とはいえことさら個人を狙い撃ちにする必要は無い。

 たぶん、そのようなことを言っていたはずだ。

 だが、今の俺は同期の言わんとすることが理解できる。

 今、俺たちの母艦航空隊は人材難で苦しんでいる。

 米国と同様、ウェーク島沖海戦とマーシャル沖海戦であまりにも多くの搭乗員を失ってしまったからだ。

 その搭乗員が枯渇すれば第一機動艦隊はその力の源泉を失う。

 そして、それは帝国海軍そのもの、もっと言えば日本の継戦能力そのものの喪失を意味する。


 俺たちに当てはめてみてもいい。

 烈風や強風がどんなに高性能な機体でもそれを操る搭乗員が未熟では戦力たりえないのだ。

 同期の言葉は一気に酒を苦いものにした。

 だが、俺は分かっていた。

 酒が苦くなったということは、戦争に明け暮れる俺にもまだ人間性というやつが少しばかり残っているのだということを。

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