第44話3.44 洗髪剤を届けに来ました
鬼人族の村を離れた俺は、再び『女神ウェヌスの店』の店の前で躊躇していた。
「なぁ、サクラ。なんか変なオーラ感じないか?」
「え? 何んも感じへんけど? なんや、やましいことでもあるんか?」
「そんなことはないけど……気のせいかな?」
前回とは違い、何やら圧迫感を感じる店構えにたじろいでしまう。その時。
ばーーん!
「アル様! サクラ様! お待ちしておりました‼‼‼」
勢いよく、扉が開かれて飛び出してきたのは、店主の孫娘であるカンパスさんだった。
「さ、ささ、さささぁ、お入りください‼‼‼」
有無を言わせぬ勢いで俺とサクラの手を取り店内へと引きずり込むカンパスさん。まるで、何かの妖怪のようであった。
「さ、洗髪剤を‼」
カンパスさんに引きずられ連れてこられた奥の部屋。入るなり、カンパスさんが手を出してくる。俺は、恐る恐る収納空間から洗髪剤を取り出した。
「人手が足りなくて一本しかないですが、どうぞ」
「これが! そうなのね。紅龍爵婦人の髪をも生まれ変わらせたという! うー、我慢できない‼ 失礼します‼‼」
手渡された洗髪剤を見てテンションが上がりきったカンパスさん、再び扉を開けて部屋を出て行った。俺とサクラを残したまま。
「髪、洗いに行ったんかな?」
「多分……」
「座って待っとこか」
「そうだな」
二人して苦笑を浮かべながらソファーへと腰を下ろす。そこへ。
「お客様。お構いもせず申し訳ございません」
ワゴンを引くメイドを連れて現れたのは、店主であるアペレスさんだった。
「いえいえ、お構いなく」
向かいのソファーへと腰掛けるアペレスさんの指示で、メイドさんがお茶と菓子を出してくる。俺はアペレスさんの言葉で少し気になったことを尋ねた。
「えっと、もしかしてウィレさんが来られましたか?」
「はい。つい先ほど。シェール様と従者のサーヤ様を連れられて」
「なるほど。それで、洗髪剤を持ってくることを知ってたのですね」
「はい。カンパスは、紅龍爵婦人からアル様が王都に来ている、との言葉を聞いて以来、ずっとそわそわ店の前を見てました。さぞ、驚かれたでしょう?」
「ははは、少しだけ。飛び出してきて、この部屋に引きずり込まれましたからね」
「せやなぁ。すごい勢いやったもんなぁ」
「申し訳ございません。美のこととなると歯止めが効かなくて」
苦笑を浮かべて頭を下げるアペレスさん。
「いえいえこちらこそ、来るのが遅くなって申し訳ありません」
俺も一応謝っておいた。実際、作ってから持ってくるまで、結構、日にちが明いていたから。
その後は、サクラを交えで王都での美容の流行などで和やかに盛り上がった。最近の流行は、胸を大きく見せる服らしい。巨乳の森人族が現れたという風の噂が広まってブームの火がついてきたそうだ。
ジト目を向けてくるサクラ、俺はただ苦笑いするしかない。
そこに――バタン! と扉が開かれカンパスさんが部屋へと飛び込んできて、俺の顔を見るなり駆け寄ってきて、俺の横に座った。
「見てください! 触ってください! この髪を‼」
俺の手を掴んで、綺麗にブローされた髪を握らせるカンパスさん。どうですか⁉ 綺麗ですよね! と言わんばかりの目を向けてくる。そんな中で、俺が出来ることと言えば。
「ははは、綺麗な髪ですね」
当然、自慢の髪をほめることだけ。だが、それは間違いだった――いや他に対応できないんだけど――カンパスさん、感極まったのか俺をギュっと抱きしめてきたのだから。さらに。
「アル様‼ 私、もう、虜になりました。一生を捧げます!」
耳元で囁くように告げてくるカンパスさん。
「は? 何言ってるんですか? 俺まだ12歳ですよ? 痛たたたたぁ」
俺は、思わず叫んでいた。反対隣りに座っているサクラが
「アル⁉ あんた、また!」
思いっきり太ももをつねってきたから。そこに。
『イエス、マスター。『心願成就』が、サプライズプロポーズを受けたい、という願いを叶えました』
またしても流れる俺の心をえぐる脳内アナウンス。
全く! 俺がいつ、そんな願い事をしたっていうんだ。そりゃ、アニメみたいに綺麗な女の人から突然プロポーズされたら嬉しいなとは思ったりするけど、誰がそんなこと願うっていうのか!
そんな願いより、もっと望んでいることあるだろう? 都市計画する人がいないとか、洗髪剤作る人がいないとか……
ため息の一つも出したくなる俺だが、カンパスさんの髪から香る椿油の臭いと抱き着く体の暖かみ、ついでに太ももに感じる、ますます強くなる痛みにもう訳が分からない。
そんな、はちゃめちゃ喜劇のような状態を止めたのは、アペレスさんだった。
「カンパス、落ち着きなさい。アル様が困っておられる」
言いながら、そっと俺からカンパスさんを引き離してくれるアペレスさん。
「あ、アル様。すみません。興奮しすぎまして……」
恥ずかしそうに、頭を下げた。
「はぁ……」
カンパスさんと同時に、痛みからも解放された俺、図らずもため息が漏れていた。
「やっぱり私では、無理ですか。アル様」
願いを断られたと、肩を落とすカンパスさん。その肩に、アペレスさんが優しく手を置いた。
「カンパスよ。いきなりは、無理だ。アル様は、紅龍爵様の孫にあたるお方。サクラ様という心通わせる女性もおられる」
「え、いや、うちは、そんなんじゃ……」
顔を赤くしてアペレスさんの言葉を否定しようとするサクラ。だが、言葉が続かなかった。
「だから、愛人で我慢なさい」
アペレスさんが、予想外のことを言い出したから。
「え⁉ アペレスさん、諦めさせるんじゃないんですか? 大事な孫娘でしょう?」
「愛人って!」
驚きの声を返す俺とサクラ。そこに。
「愛人って、どういうこと⁉ 私、アル様に嫁ぐんですか!」
カンパスさんの、素っ頓狂な声が届いた。
「「「は?」」」
俺、サクラ、アペレスさんの三人が、そろってカンパスさんへとジト目を向ける。
「え⁉」
カンパスさんも首を傾げていた。
「うぉっほん。カンパスよ。先ほどの、虜になりました。一生を捧げます。というのは、どういうことかな」
「えっと、私、もうこの洗髪剤の虜になってしまって、アル様のところで技術を学ぶために一生を捧げようかと――」
なるほど、そういうことだったのか、と頷く三人。そこに。
「でも、アル様が望むなら……技術学んでいたら行き遅れそうだし、アル様、商人としても一流だし、甲斐性ありそうないい男だし……」
不穏な気配を漂わせながら熱い目を向けてくるカンパスさん。話を引き継いだのは、アペレスさんだった。
「ははは、流石、わが孫娘。よく見ている。どうですか、アル様。カンパスを愛人の一角に加えてやってくれませんか? なに、大丈夫です。この子は、女性としても商人としてもどこに出しても恥ずかしくないだけ仕込んであります。末永くかわいがってやってください。そして、出来るなら、ひ孫の顔を――」
真面目な顔で俺を凝視してくるアペレスさん。
「ごめんなさい。12歳の俺には、まだまだ早いです」
俺は、机に顔が付きそうなぐらい頭を下げた。だが。
「まぁまぁ、そう結論を急がずに、少し時間をかけて考えてみてください」
「ふふ、アル様。まずは、私をアル様のところで雇ってくださいませ。人手、足りないのですよね。私、何でもしますよ。洗髪剤製造でも、接客でも、アル様の身の回りの世話でも……ね、サクラ様とも仲良くなりたいですし」
ニコニコと笑顔を振りまき、こっちの話を全く聞いてくれない二人。
「し、失礼します!」
俺は逃げるように店を後にした。
「後日、量産計画についてお話ししましょう」
「担当は、カンパスですよー」
背後から聞こえる声を無視するように。
どっと疲れた、と思いながら俺はサクラを引き連れ紅龍爵家屋敷へ向けて歩く。サクラは、不機嫌そうな顔を隠しもせずに横を歩いていた。
「で、アル、どうするつもりや」
「どうするって、俺、カンパスさんのこと、そんな目で見たことないんだけど……」
「でも、綺麗な人やな?」
「そうだな。美容用品専門店で働いているだけあって、頭のてっぺんから爪の先まで手入れが行き届いていてとても綺麗だと思う」
「なら、受けるんか?」
サクラが、キッと目を細めて見つめてくる。
「いや、断っただろ」
「でも、諦めてへんかったで? 二人とも」
「だよ、なぁ」
「……これは、ラスティはんとサーヤに報告して対応を検討やな」
つぶつぶとつぶやくサクラとともに屋敷へと帰った。
その夜、サクラ、ラスティ先生、サーヤの三人を前に俺は椅子に――まるで被告のように――座らされていた。
「話は聞いたわ。アル君。プロポーズされたって?」
「はい。ですが、断りましたよ?」
「全然諦めてへんかったやんか」
「そう言われても……」
「皆で行きましょうか? 今度、カンパスさんに会う時に。ね、アル兄様」
「いや、確かに行くけど、カンパスさんに会うためじゃなくて量産計画の話をしに行くんだが……」
「おんなじことですよね?」
「まぁ、そうなんだけど」
にっこりと微笑むサーヤに俺は返す言葉がない。現に、『女神ウェヌスの店』の去り際に言われた通り、交渉担当者はカンパスさんに決まったから。彼女に会わないわけにはいかなかったから。
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