闘技大会6

 私は必死で会場の真ん中まで走った。

 しかしこんな時に限って、衣装が重い!


 でももう見えている場所まで走るのに、わざわざいろいろ外す時間も惜しかった。

 こうなったら根性だけで最速で行くのだ。

 豪華衣装で見えないけれど、履いているのが走りやすい靴で本当に良かった……!


「どきなさい! 私を通して!」

 

 派手派手しい姿の「聖女様」が、出せる最大の声で怒鳴りながら必死の形相で夫の将軍の元へと走っているのだ。

 もちろん注目度はピカイチだ。

 私の進む前方は、人垣がモーゼの十戒のように割れた。

 

 そのまま真っ直ぐにその人垣の中心に走りこむ。


「レクトール!」

「アニス様! ここです!」

 

 倒れたレクトールの横に膝をついていたジュバンス副将軍が、レクトールの傷を示してくれた。

 傷は腕だけなのに、視ると明らかに黒々とした色がレクトールの腕全体から肩、そして首元まで急速に広がっているのが視えた。


 うわあ危険! これは危険!


 とっさにそう判断した私は、即座にその黒い色を必死に消した。

 

 ぶっちーーーーっ! ぺっぺっぺ。


 聖女らしく素敵に見えるパフォーマンスなんて、する余裕はなかった。

 私はみるみる拡がっていくその黒い色を、急いで両手で引きちぎり、握り潰し、蹴散らして消したのだった。

 

 ……よし、消えた!

 間に合った、か……?

 

 もう何処にも黒いところはない、はず。


 思わずレクトールの体全体を、くまなくしつこくチェックする。


 私が彼の元に着いた時はまだそんなに怪我から時間が経っていなかったはずなのに、もうその時にはずいぶん毒が広がっていた。なんて早い毒なんだ。

 とっさに毒を予想して対処をしてくれた副将軍には感謝しかない。

 これ、もたもたしていたら手遅れになっていたかもしれないよ。危なかった。

 

 そう思いながら、派手派手しい恰好のまま地面に膝をついて必死でレクトールの無事を確認していた私は、ふと視線を感じてレクトールの顔を見た。

 

 そうしたら、まだ地に横たわったままで、でも真剣な顔で私を見上げてレクトールが言ったのは。

 

「アニス、無事か?」

 

「はい? え? 私? なんで?」

「君も狙われただろう」

「ん? ああ、そういえば。でも大丈夫、ナイフはとっさに避けたから」

 

 今はあなたのこの事態に、ちょっとそのことは忘れていたよね。でもそういえば飛んできてたわ、ナイフ。

 でもあなた、回復して第一声がそれなの?

 有り難いけれど、少しは自分の状態も気にしてくださいよ。明らかにあなた、今死にかけたんですよ?


 しかしレクトールは安心したように微笑んだのだった。

 

「それは良かった。ちょうど君が避けたところは僕には見えなかったから」

「うん大丈夫。それに私はもし当たっても自分で治せるから」

 

 でも今のレクトールのそのセリフ……もしやこの人、あの副将軍と戦っている最中だったというのに、天幕の中にいる私が狙われた事にも気付いたのね?

 ということは、もしやそのせいでこちらに一瞬気が逸れたのだろうか。

 

 ……まさか、それで自分への攻撃を避けるのが遅れたと?


 私は、レクトールの気をそらすための囮として狙われたのか?

 まあ、確かに狙ってくださいと言わんばかりの派手派手しさで、かつ見通しの良い場所にいたからな。向こうからしたらさぞかし狙いやすかったことだろう。


「犯人は矢が飛んできた方角に居た警戒班の奴らが追っている。だがどうやら遠くから魔術を使って飛ばしてきたようだ。ギャラリーの外から真っ直ぐに飛んできた」

 副将軍が厳しい顔で言った。

 

 見ると、すぐ近くに弓矢が落ちていた。これが凶器か。弓矢の先には、それはそれは毒々しい色をした何かがべっとりとついていた。なるほど、これはわかりやすく毒である。

 

「ジンも追っている。ガーウィンの鳥も追っているはずだから、そのうち見つかるだろう」

 そう言いながらレクトールはその場で立ち上がり、優雅な動作でほこりを払った。

 とたんに大勢のギャラリーから歓声が上がる。

 

 いつの間にかにギャラリーとして試合を見学していた人垣が、その囲いを縮めて将軍と副将軍を守るように立っていた。そして外側の人は周りに向かって警戒しているようだった。その上今はある程度の人数が、犯人をもうすでに追っていると。

 さすが戦闘職、とっさの状況判断と行動が早かった。

 

「将軍は無事だ!」

「聖女様が救った!」

 中心で見ていた人から伝令のように口々に伝わっていく。


 あ、はい。実はこれが私の秘密の本職だからね。全うできて良かったです。


 しかし。

 考えてみればこの事態の全てが、当初のレクトールの想定内というのがびっくりである。

 

 最初にあのファーグロウへ向かう馬車の中で「妻としてなら駆け付けやすい」と聞いた時には、さすがに「それはよっぽどの非常事態か、万が一のこと」だと思ったのに、まさかこんなにあっさり現実になろうとは。

 

 しかもこれ、もしも私がレクトールと結婚していなくて、そしてここでの「聖女」としての立場がこれほどしっかり確立されていなかったら、今回あの大勢の人垣をすんなり越えられたかはちょっとわからなかったな。なにしろ大勢の本職の兵士たちが、がっちりと二人を囲って守っていたのだから。


 そこにもし肩書のない私が外から必死で通してくれと叫んでも、彼のもとに駆け付けるのにはもっと時間がかかった可能性が高い。そうしたら、きっとあの毒がさらに回って事態はもっと悪くなっていたかもしれなかった。

 

「いざというときには突然ちゃっかり進み出て将軍を救う」という当初の私の計画が、いかに甘かったかを思い知らされてちょっと悲しくなったよね。

  

 とはいえしかし、結果的に彼が無事で良かった。

 もう、うっかり気が緩んで大会を純粋に楽しんでいたときに限ってこれだよ。

 

 お役目が果たせて本当に良かった。

 ちゃんと彼を救えて良かった。

 そんな風に、私は心から安堵したのだった。



 ……というのに、この脳筋たちは。 


「なら、もう元気だな? よし続きやるか! お前ら! 城門は全部閉めたな? じゃあ犯人を確保したら、しっかり牢にぶち込んどけよ!」

 

 って、いやいやいや副将軍、何を言っているんだ。普通は中止でしょう、こんなことがあったら。


 うおー! って、いやいやギャラリーも盛り上がるんじゃない。人垣を広げるんじゃない!


「よし! じゃあとっとと決着をつけるか!」


 レクトールも叫ばない!


 もう、なんなのこの人たち……。

 毒だけ消して傷は治さなければ良かったかしら?

 なんでこんなにピンピンしているんだ。そう、私がやったんだよ……。


 私は心から呆れ果てて、もう何も言えなかった。

 だからその後は勝手に盛り上がる野郎たちは放って、私は一人元の豪華な天幕の自分の椅子まで自分ですたすた歩いて戻り、その後はそこから終始ジト目で観戦することにしたのだった。


 まあほら、主賓は一応いないとね?

 とりあえずこの豪華で高価そうな衣装があんまり汚れていなくて良かったわ。今侍女たちが必死ではたいて汚れを落としているけれど、大丈夫、もうだいたい綺麗よ。

 それにここ遠いから些細な汚れなんて見えないし、なんなら厚化粧で細かな表情もわからないから、多少埃がついていようがジト目だろうが全然大丈夫ー。

 

 ジト目で上座にどっかりと座り込んだ私が、たとえ傍目にはとっても偉そうに見えたとしても、もうそろそろどうでもよく思えてきたわー。



 結局この二人は今度は黙って、さっきまでは遊びだったのかというくらいに真面目に勝負をした結果、随分と時間をかけた挙句、ほぼ相打ちで疲れ果てて地に倒れこんだのだった。

 この二人、延々と戦って結局互角なのか。

 

 おそらく高度な技術が見られたのだろう最初は盛り上がっていたギャラリーたちも、最後はなんだか遠い目で二人の戦いを静かに見守っていたくらいには時間がかかったのだった。

 

 なにやってんの。

 結局最後は私がうっかり傷と毒だけでなく体力も回復してしまったらしいレクトールが、かろうじて立ち上がったのでレクトールの勝ちとなったのだが。


 ねえ、なんで暗殺されかけた直後にそこまで無駄に疲れ果てるかな……?

 

 ちなみにさすがに、第一部と第二部の優勝者同士での決勝戦は、後日仕切り直しとなったのだった。

 何故ならそのタイミングで、犯人たちの遺体が発見されたから。

 まあ、当たり前だよね。さすがにね……。

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