ヒメ1
一見ただの挨拶か世間話のような感じで毒を吐く。その見事な技に思わず目を見張ってしまった私だった。
もちろんその場にいる私以外の誰もがヒメの言葉を理解できないだろう。
おそらく「まあ来てくれたの? やっとお話出来て嬉しいわ」とでも言っていると思うだろう、そんな感じの言い方だった。
一瞬の間が空く。
そのとき、後ろでレクトールが何かを取り出した気配がしたので思わずちらりと振り返ると……。
ん? それは、何?
小さな容器を取り出して、そしてその容器の蓋を開けたところだった。
そのとたん。
「にぎゃー!」
『ぎゃー! まーたーたーびー!』
凄い勢いで喜びの叫びを上げて、私の足下から去ってレクトールをよじ登りはじめたロロだった。
ええ!? ロロ、なにあっさりと操られているの? ずっと私にくっついている子ではなかったの?
おまえには私の魔獣としてのプライドはないのか!?
けれども。
「ロロ、トイ」
そう言ってレクトールが中身をぽいっとロロに渡すと、ロロはそれをパクッと咥えてレクトールの頭に一気にかけ上がったのだった。
って、えぇ!? よりによって、頭の上?
さすがにレクトールもちょっと苦笑いをしているけれど、ロロはさっそく彼の頭の上で幸せそうにゴロゴロ寛ぎ始め……いやマタタビに溶け始めたのだった。
しかしこの世界にもあるのね、マタタビ……。
そしてマタタビって、魔獣にも効くのね……。
私がびっくりして見ていたら、レクトールが私たちの方を見て何事も無かったかのような顔をして言う。
「ああ君たちは続けて。あとアニス、君は私たちにもわかる言葉で話してくれると嬉しいな」
にっこり。って、いやあなた、その状況でそれを言う……?
「ロロ……あなたすっかり懐いたわねえ……」
私が思わずそう言った時。
「まあ可愛い! 私も猫ちゃん大好きなんですよお。ロロちゃんっていうの? とっても可愛いですねえぇ……!」
ヒメがすかさず両手を頬にあてて、可愛らしく、いかにもたまらないという感じで言ったのだった。
思わずヒメとレクトールを交互に見てしまう私。
えーと……そういうときだけはこの国の言葉なのね……。
部屋の隅の侍女たちが「うふふ、聖女様の方がかわいいわよね!」なんて小声で言っているのがロロを通して聞こえて来たぞ。
そう、ロロと私はつながっているからね。しかも普段はそれほど深く繋がってはいないのだけれど、今はどうやらマタタビのせいなのか、特にロロと繋がっているような感触があった。おかげでこの部屋の中のどんな小さな音も声も丸聞こえだ。
「続けて。こっちは気にしなくていいから」
っていや、そんなとろんと陶酔した猫を頭にのせて髪をぐちゃぐちゃにされているイケメンとか、インパクトがありすぎてね……。
つい見ちゃうでしょうよ。
まあお仕事ですから頑張りますが、思わず残念なイケメンをぽかんとガン見していたのから、ちょっと冷静な表情に戻すのに苦労したのは内緒です。
「ああ、じゃあ……ヒメ、お話があると聞いたのですが、そのお話を」
私がそう言うと、ヒメはちょっと困ったような顔をして、再び前の世界の言葉に切り替えて言った。
『やだ……上品ぶっちゃって。あんた似合ってないから、やめれば? それに話なんて決まってるでしょう。彼を私に返してちょうだい、この泥棒猫』
うん、毒を吐くときは私にだけわかる言葉を使うんだね。上手いなー。
でもそれならば、私は言われたことにただ返すのみ。きっとここでその挑発に乗ってはいけない。
大丈夫、今回はある程度心構えをしていたから……。
「でも彼は私のものでは無いし、あなたのものでも無いでしょう。返してと言われたからといって私には――」
だけれど私がそうこの国の言葉で話し始めたら、とたんにヒメは手で顔を覆い、その場でわっと泣き崩れたのだった。
そしてまた言語を切り替える。そして、
「酷いわ! 私はそんなこと言ってない! どうしてそんな風に言うの? 私はただ、私を国に帰してって言っただけなのに! 私、この国の言葉が苦手だから……でもそんな風に受け止めるなんて……!」
と言ったのだった。
ええ……なんだこれ、めんどくさい。
よくとっさにそういうことを思いつくよね。
もしや、たとえこれから私が何を言っても「そんなこと言ってない! 酷い!」って返されるやつじゃないの?
思った通り、後ろで侍女達が「まあ、ヒメ様お可哀想に! 誤解されやすい方だから」とかこそこそ言い始めたぞ。
そうだねーそういう風に見えるよねー……。
しかしここであっさりとそれを受け入れるわけにもいかない今の私の事情ですよ。
「……わかりました。あなたは国に帰してほしいのですね。でも私に決定権はないので、今この会話を聞いている将軍と副将軍に判断を委ねることになります。なのでお返事は後ほど。あとは他にお話はありますか?」
すると顔を手で覆って下を向いたままの状態でヒメがまた言語を切り替えて言った。
『なにムカつく言い方しているのよ。偉そうに。とにかくあんたは身を引いて、早く全てを私に返してちょうだい。言いたいのはそれだけよ。今彼をちゃんと私に返してくれれば、私もこれ以上は怒らないから。本当は私に謝ってほしい位だけど、もうそれはいいわ。今なら許してあげる。だから本当の彼の聖女はあんたじゃなくて私だったって、今すぐ彼に言って。本当は自分でもそうするべきだって、あんたもわかっているでしょう?』
ん? え? どういう理論なの? なんにもわかってないよ?
思わずそう思うと同時に私は、今思うと昔の自分は気弱だったのだなと思ったのだった。
昔の私は、こんな風に一方的に言ってくる彼女の言葉にはいつも動揺して、ついなんとなく理不尽を感じながらももしかしたら私もどこか悪いところがあったのかもしれないなんて、そういえば思っていたなと思い出した。その上私が結局従うまでずっとしつこく言ってくるしね。だからよくわからないけれど、そこまで言うならと今まではいつも私が折れていた気がする。
でもね。
さすがに私もこの約半年間、そんな優しい事を言っていられるような状況じゃあなかったのよね。
私も自分なりに必死で考えて、努力して選択した結果が今なのよ。なのに、その私が努力して得たものを返せ? は?
お断りだ!
もともとヒメのものじゃあない。正真正銘私のものだ。
「……私の聖女の称号については私ではなくレクトール将軍が認定したことですし、それも私が彼に何か嘘をついた結果というわけではありませんから私にはどうすることも出来ないのですよ。それにあなたも『先読みの聖女』さまという聖女の地位にちゃんといらっしゃるではありませんか。私の立場と入れ替わる必要は無いように思います。ただ私たちは、もしもあなたが『先読みの聖女』さまとして私たちに助言をしてくださるとしたら、私たちはそれをとても歓迎するでしょう。ここでこれから何が起こるのか、この国と将軍が一体これからどうなるのかを、ご存知でしょうか?」
それは、前もって彼女に聞くと話し合っていた話題だった。
もうさっさと聞いて、切り上げよう。どうも会話がかみ合っていない気がする。
もちろん彼女はきっと答えはしないだろう。だけれど何かヒントが出れば上々、ダメでもヒメの反応が見たいということだったのだが。
『……は? 彼が死ぬ話を知りたいの? で、私が彼の死因を知っているとして、私があんたに教えるとでも? 冗談はよして。良い子ぶっちゃって、ほんと昔からそういうとこムカつく。今もあんたがもう一瞬でも彼の横にいることが許せないっていうのに。あのね、そこは私の場所なの。レクトール様は私と結婚するはずだったの。なのに、なんであんたが割り込んでるの? 私、この世界に来たと知ったときから決めていたのよ? 私が彼を救って結婚するって。そのために私はずっと頑張ってきたんじゃないの。なのになんであんたがちゃっかり横取りしているのよ。ズルくない?』
顔は手で覆って下を向いているので見えなかった。だけれど、沸々とした怒りが感じられる口調だった。
「……なんでレクトールなの? てっきりあなたはロワール王子が好きなのかと――」
『はあ? 彼を馴れ馴れしく呼び捨てとか、やめてくれる? だって彼、一番かっこいいじゃない。レクトール様に比べたら、顔も地位も優しさだって、ぜんぜんロワールなんて太刀打ちできないじゃない。だから私が結婚するのはレクトール様って、最初から決めていたのに。だからロワールを攻略して、必死に裏ルートを出したのに。全ては私がレクトール様と結婚するためじゃないの。なのになんであんたがいつの間に結婚しているのよ。なんで? 許せない。横取りするなんてズルい。本当にズルい!』
「は?」
『彼があんたのものになるなんて、絶対に許せない。そんなの見せられるくらいなら、もういっそ彼が誰のものにもならない方がずっとましよ。レクトール様が私と結婚しないのなら、このままシナリオ通りに死んでしまえばいい』
そして顔を上げて、悲壮な表情ではらはらと涙を流しながら私を見たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます