見かけと真実5

 なにをそんな大事な事をまた今頃さらっと言っているんでしょうねこの人……。


「あっ、その目! もしかしてこの結婚を後悔している?」

 私の目が据わっているのを見て、レクトール将軍が上目遣いに私を伺う。

 なんでこんな偉い人に機嫌を伺われているのかしら私。


「結婚したあとの後出しが酷すぎて呆れていますよ。もはや詐欺じゃないですか。結婚詐欺。知ってます? そういうことをすると、結婚した後から喧嘩になるんですよ。嫌でしょう? 険悪な妻。だから次の時は最初に正直に全部言っておいた方がいいですよ」


「次……?」


 だって、ねえ?


 そりゃあこんな素敵な人に愛されて、末永く幸せになりましたーなんておとぎ話は素敵だけれど。


 アリスという家庭教師の教えのお陰で、やっと最近はあまり驚かれるような失態はなくなってきたとはいえ、でも本当に私は根が庶民。骨の髄まで一般庶民だったせいで、まだこの身分のある人としての生活には内心戸惑うことが多いのだ。


 私は今でもお風呂には一人で入りたいし、着替えだって一人でぱぱっと済ませたい人なのよ。

 お辞儀や歩き方だって、散々指導を受けた上で気合いを入れて頑張ってやっと「まあ、なんとかいいでしょう」と言われるレベルなのに、こんな状態では幼い頃から徹底的に優雅に育った人たちの中で生き抜けるとは思えない。


 現に最初の頃の使用人たちからのなめられっぷりときたら。辺境の軍の砦でさえこうなのに、王都とか王宮とか心から勘弁して欲しい。やっと最近は虐められなくなってきたのに、また最初からやり直しになりそうな気がする。私は何度あれを繰り返せばいいのだろう?


 それにこれはあくまで偽装結婚だ。お互いの利害があるからこその白い結婚。今でもしっかり真っ白よ。

 どこからどう見ても白。そして色の付く気配も無い。


 一応彼も私も若い男女なので、少しはこう彼が我慢とか、うっかり魔が差すとか、ちょっとグラッとくるとか、そんなハプニングくらい漫画や小説だったらありそうなものなのに、全くそんな気配は無かった。

 かたくなに、絶対に触れたりはしてこない夫(仮)。そして常に一定の距離を保って微笑む、口だけ甘い男。


 それでもこの人はいい人で、いつも私を気にかけてくれて、優しくて、今みたいに聞いたことにはちゃんと誠実に正直に答えてくれるし、ちょくちょくチャラ男キャラが漏れ出て甘い言葉は吐いてくる。

 もちろんグラつかないわけではない。うっかり夢を見そうになる時もある。


 でもたいした恋愛経験も無いままにこんなことになってしまった私は、きっと本気で彼を愛してしまった後に彼から離婚を切り出されたら、立ち直るのに膨大な時間がかかりそうだとわかっていた。下手したら一生引きずる予感がする。怖い。


 それに万が一、彼が私でもまあいいやと思ってくれたとしても、いつかどこかで私はボロが出るだろう。盛大にやらかしたその時に、この国の王族や側近達が彼に離婚を勧めるかもしれない。


 私が彼には「相応しくない」と、いつか誰かに言われる日がきっと来る。

 

 正直なところ傷つきたくない。

 大勢の人達から分不相応と糾弾されて肩身の狭い思いをして生きるくらいなら、一生そう言う人たちと戦わなければならないのなら、ついひっそり庶民として、市井で生きる方が幸せだと考えてしまう。


 だから今は早く春が来て、全てが美しい思い出のままこの生活を終えられるのを願う。


 彼がこれ以上私に微笑むことも無く、うっかり私室でくつろぐ彼の姿にときめくことも無く、彼が私の名前を呼ぶ声も聞こえないくらい離れられれば、きっと彼は私の美しい思い出になるだろう。


 私はのんびりと、ロロと一緒にポーションを売って暮らすのよ。そしてたまにロロと、彼の思い出話をするのだ。


 私は足下で眠るロロを見る。

 ロロがいてくれてよかった。きっとこの子だけは私を裏切らない。だってそういう契約だから。まあたまには文句は言うかもしれないけれど。

 ……うん、結構言うかもしれないけれど。

 ロロはここでとても良い食事をしているからな……。



 まあ、そんなことを頻繁に、眉間にしわを寄せてまで考えてしまうくらいには私は今、正直に言うと、今の生活の刺激が強くてちょっと困っているのだった。


 なにしろ今までとんと男性には縁がなかったからね!


 ねえ、なんで男の人って、お風呂の後に上半身裸でうろうろするのかしら?

 え? 下を穿いているだけまし? そんなことは聞きたくないわね。


 一応軍人で訓練も欠かさないから、腹筋とかバッキバキに割れていて迫力なのよ。そしてそれが二人の共通の居間で寛ぐ私に丸見えなのよ。

 しかも見せつけているのかと思うほどに堂々とした態度なのよ。


 ちゃんと服を着て出てきてとお願いしても、

「暑いじゃないか。それに私室でくらい自由にさせろ」

 と、取り合ってもらえない。

 

 そんなに暑がるのなら、その趣味のように何度も入るお風呂を減らせば良いのではないですかね。一回で十分綺麗になると思うよ? 私も今では温かなお風呂に入れるようになったとはいえ使用人さんたちの負担を考えると、日に一回だけでもいつも申し訳ない気持ちになるというのに。


 それにその格好、ちょっと王族のくせにだらしがないのではないかしらね? ついでに言うと、どうして髪も乾かしきらないで出てくるのかしら? そういう育ちではないはずなのに、どうして?

 もう、色気がダダ漏れなんですよ。思わず見つめてしまいそうになるのを無理矢理視線を引き剥がす日々。とっても困る。


 目のやり場に困っている私を見てにやりと笑うその顔は、もはやわざとやっているような気がするけれど、どうでもいいから止めて欲しい。


 彼は飄々としているのに、私だけがドキドキさせられるなんて不公平じゃないかしら!?


 何も見ないように自分の寝室に引っ込んでいても、「上がったよ~だから一緒にお茶でも」と何故かわざわざ声をかけにくるから、私は自分の寝室の入り口でこの状態を見せつけられるくらいなら居間の方がまだ精神的なダメージが少ないという、究極の選択をしなければならなかった。

 もはや目のやり場が他にもあるだけ居間の方がまし。

 あら今日も花瓶の花が綺麗ねえ?


 この将軍、顔も一般的に言ってとても美しい上に、私の好みでもあるから本当に困る。黒髪は艶めいて、碧の目は澄んでいて、背が高くてりりしい笑顔。

 そんな人に甘い態度をとられる度に、うっかり喜んでしまう自分が本当に困る。


 ねえ、これで惚れるなという方が無理というものでしょう?

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